一般人初心者ですが暗殺業務始めます38_決意

気がつけばベッドの上だった。
ベッドの脇には青い顔をした錆兎。
ああ…倒れたのか…と、ぼ~っと思う。


「…心配……かけてごめん」
無性に謝りたくなったのでそれを口にしたら、錆兎が一瞬悲痛な表情をした。

しかしそれは本当に一瞬で、すぐ笑顔に戻る。


「少しでも体調悪いって思うたら言えよ?
…仕事行ってから一人の時とかに倒れないで本当に良かった」

髪を頬を撫でる温かく大きな手が心地いい。

このままこの手を独占していられればいいのに…そんな事を一瞬考え、その考えを脳裏で否定する。
玉壺から連絡が来たということは、どちらにしてもこの手を自分で手放さなければならない。


あまりに連絡が遅いと玉壺の方がシビレを切らして行動を起こしかねないので、早々にメールは確認しなければ…とは思うものの、どうやらここはカナエの治療室で、点滴等がついているということはこのままだとあまり早くは部屋に帰れそうにない。

義勇は少し考えこんで、それから言った。

「錆兎…温室の薔薇が見たいんだ」

その言葉に錆兎はちょっと目を見はって、すぐまた
「治療終わったらな。
胡蝶がそろそろ手術しようかって言っていたから、その前の検査もあるしな」
と、無理に作ったような笑みを浮かべる。

「今…すぐ見たいんだ。30分でいい」
「ダメだ。元気になったらいくらでも見られるだろう?
それまでは俺がちゃんと面倒みといてやるから」

錆兎にしては随分強固に反対するが、義勇も強固に今見たい、今じゃないとダメなのだと主張すると、あまり興奮させてもと思ったのか、諦めて

「じゃあ、30分だけな?実弥に言ってくる」
と、隣室へと入っていった。



こうして部屋に戻れた義勇はこっそり携帯を隠し持って温室へと入っていく。
一人にしてくれと言ったので、錆兎は部屋の中だ。

温室の中、錆兎の位置からは死角になる場所でメールを確認して義勇はため息をついた。

どうやら件の雑誌で今の状況がバレたらしい。

正確には…玉壺的には義勇がうまく錆兎の懐に潜り込んでいるらしいという認識のもと、早々に行動を起こすなら協力してやらなくもないので必要な事があれば言えという、実にありがた迷惑なメールだった。

よもや…このまま永久就職をしようと思ってましたとは言えず…かと言って今の状況がバレたからには全く行動を起こさないわけにもいかない。

玉壺側からしたら義勇が行動を起こさなければ、きっと本当の事をバラして撹乱を狙うだろうし、実際にそれをすれば十分錆兎を追い詰める事ができるだろう。

なにせ…スパイを自軍内に引き込んだだけでなく、籍まで入れてしまったのだ。
下手すれば背信行為で処罰されかねない。

役に立たなくなった義勇を情をかけずに放り出した相手に、何もできない義勇に同情したのか拾って親切にしてくれてあまつさえ義勇の立場を守るために籍まで入れてくれた情の厚い男を窮地に追いやらせることになる…。

いつもいつも自己犠牲的なまでに義勇を案じ、世話をしてくれる錆兎。

義勇が倒れてベッドで目を覚ますたび、側で注がれる心底心配そうな眼差しを思い出すと泣きそうな気分になる。

この世で唯一と言っていいくらい溢れるくらいの無償の愛を注いでくれた相手だ。
せめて…自分の事で破滅はさせたくない。

守りたい…。
でも何も持たない自分にどうやったら守れる?

こちらの軍の人間には自分が敵軍の人間だと知られずに…玉壺の口を塞ぐ方法…。
そんな都合の良い事、どうやったらできるのだろう。

戦闘訓練など受けてない義勇自身が玉壺を葬るのはまず無理だ。

玉壺をおびき出せれば逆に錆兎なら葬れるかもしれないが、二人を会わせれば、玉壺は本当の事を言うかもしれない。
それでは錆兎をひどく傷つける。

玉壺に口止めをした状態でいかに錆兎と対峙させるか……


……ああ、方法がひとつだけあった!

でもその方法を取ったら……
いや、この際手段は選んでられない。
行動を起こすならタイムリミットは30分。

義勇はある決意をして、玉壺に返信を打つ。
そして…その後残り少ない時間で、本当にこうして見るのは最後になるであろう薔薇達に最後の別れを告げることにした。


脱出手順は玉壺が整えてくれた。

錆兎が出動しなければならない状況の戦闘を作り出し、内部に潜入している自軍のスパイに車で義勇を連れださせる。

作戦上、飽くまで義勇が自発的に脱出したと思われないように、との指定をしたら、ご丁寧にもそのスパイに錆兎の居住スペース内の電話に義勇宛にニセのおびき出しの電話まで入れさせてくれた。

これで一人内部のスパイが使えなくなるが、彼的には錆兎を葬れるなら安い犠牲なのだろう…。

絶対にバレないように…との義勇の要望の結果、そのスパイは今遺体としてお忍びで近くまで来ている玉壺の足元に転がっている。

ヘラヘラとしているが相変わらず酷薄な支配者だ。

彼は上から来た命令の最後に自分の死があることなど思っても見なかっただろう…と、義勇はその遺体から目をそむける事もできず、そう思った。

絶対に知られないように…という自分の要望がこんな簡単に他人の命を摘み取ってしまう結果になるのか…と、そんな世界に生きていたのか…と、今更ながらに驚く。

しかし深く考えると色々行動できなくなりそうだ…と、あえて現実から目を背け、昔、世界の日常の全てがまだディスプレイの向こうの出来事であった頃のように、平面上のもののように物事を考える事にする。



「で?お前を囮に奴をおびき出す…そんなところですか?」

義勇の存在自体が機密…それは変わってないらしい。
玉壺は供も連れずに一人で来ている。

まあ…誘拐されたように連れださせれば、そんな展開は馬鹿でも思いつくだろう。
玉壺の言葉に義勇は小さくうなづいた。


「あいつはお人よしだから俺を盾にすれば抵抗もせずに殺られてくれる」

義勇の言葉に、玉壺は
「随分と気に入られたみたいですねぇ。
私の育て子は演技もなかなかのものだったということですか」
と、楽しそうに笑った。

その笑みをひどく覚めた気持ちで見ている元部下の青い瞳に気づく事なく…。


彼にとって義勇は命じられた事をこなしていく歯車の一つでしかなく、その歯車が感情を持っているなどとは思ってもみないのだろう。

実際、現実がディスプレイの中にしか存在していなかった頃はそうだったのかもしれない。

しかし皮肉な事に、今回命じられた事をこなすために外に出た結果、義勇は知ってしまったのだ。
世界は平面的なディスプレイの中に存在する0と1の数字の羅列で出来ているわけではないことを…。

こうして壊れてしまった機械に気づかず、使い続けようとしている事が彼の敗因だと義勇は他人ごとのように思った。



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