寮生は姫君がお好き59_引いたクジに絶望する茂部太郎

─当たりませんように、当たりませんように、当たりませんように……

高1B組、銀狼寮の片隅で生きているモブ男子高生の茂部太郎。


部活も現在はなんとかぎりぎり校舎の片隅に確保された部室で同人誌などを作っている、同人活動部。

多くは望まず、その代わりにひどく大変な事も経験しないで良いように…そんな彼の信条は、クラブ対抗借り物競走のお題箱から引いた紙を目にした瞬間、粉々に砕け散った。


借りてくるもの:銀狼寮の姫君

さ~っと一気に血の気が引いた。

人間の顔色というものはこんなに急激に変わるのか…と、周りがその見事さに驚き、ああ、あいつ引いちまったんだな…と察する程度には…


無理だ…絶対に無理だ…と、茂部太郎は膝をついて天を仰ぐ。
3人1組での競技ということで隣に控えていた親友2人も膝をついて砂を握り締めた。

どうやって借りてくるんだ?

誰が貸してくれるんだ?!


自寮の姫君なわけだからちょっとお願いすれば…と思うやつは甘い。

姫君は尊い存在だ。寮の宝だ。
それが簡単に借りられたりすれば、姫君の名誉、しいては寮の名誉にかかわってくる。

寮の名誉はとにかくとして、姫君の名誉にかかわるとなれば、その姫君を大切に大切に溺愛している自寮の最強の寮長、校内1の優秀なセコムと評判の錆兎が許すはずがない。

申し出た時点で再起不能にされた挙句、社会的に抹殺されそうな気がする。


確かに動かせないモノでもなければ、学校に持ち込めないモノでもないので、ルールとしては違反してはいない。

だけど…だけど、絶対に無理だろおおぉぉ~~!!!!

茂部太郎は絶望した。


(俺ら…これが失格だとしたら…順位どうなるっけ……)
と、遠い目で考える。


最下位は0点だが、失格はマイナス10点だ。
確実に都落ち…ならぬ、校舎落ち。

校舎に入りきらない部のために建てられた建物には印刷機がない。
まず親に頼んでそれを購入してもらって……


そもそも、資料も本も多いため今の部室でもギリギリなのに、部屋の大きさによってははたして人間が作業する場所を確保できるかどうか…

さらに安全上の問題で部外者が校内に入るためには非常に厳重に煩雑な手続きを踏まなければならないので、部室の引っ越しは各部の部員自身が行うわけなのだが、あの量の本を校舎から持ちだして、棚も持ちだして、100mほど離れた部活用の建物に運ぶと思うと眩暈がする。

以上の理由から校舎落ちは勘弁してほしい。
だが…命も惜しい。

チラリと遠く銀狼寮のテントに目を向けると、皇帝が手ずから真っ赤なラズベリーを姫君の小さな可愛らしい口に放り込んでいるのが見えて、ほんわりと幸せな気分になる。

姫君に向ける皇帝の視線はどこまでも愛しげで優しい。

茂部太郎は途中に多少の困難はあっても良いが、ヒロインには最終的には絶対に幸せになって欲しいハピエン主義なので、スパダリに大切に大切に慈しまれているヒロインというこの構図は非常に性癖を刺激するものがある。

そして…やけくそな気分で思う。
自分…もう、ヒロインに不埒な事を言う輩として主人公に退治される役でも良いかな…


自分の家は白モブ家系だが、遠い親戚には黒モブとして名を馳せた人間もいるようだし、白モブとしての家は兄が継ぐから良いだろう…。

きっとこれで自分は黒モブとして語り継がれるに違いない…

行かないという選択肢はないので、スタートの掛け声と共にすっかり自暴自棄になって自寮のテントへと走っていく。



「うちの寮生じゃないか?
なんかこちらに来たぞ?」
との姫君の言葉に、ああ、一モブに過ぎない自分の顔を覚えていてくれたのか…と、感動する茂部太郎。

さすが我らの副寮長、我らの姫君、我らがヒロインである。

「確か…借り物競走だったよな。
何か借りたい物がある?
遠慮なく言って?」
と姫君の優しくも可愛らしい声。

それにうっとりするも、次の瞬間、恐ろしいほど冷やかな視線に晒されて身をすくませた。


「炭治郎、何が必要かを聞いて用意してやれ。
本来はクラブ対抗には寮としては関わらない方針だが、姫君は協力してやりたいらしいしな」

「錆兎っ!いいのかっ?!
ありがとうっ!!」

「ああ。姫さんの望みならな?」
と、そこで挟まれる皇帝の言葉。
茂部太郎に対する声音は淡々、姫君に対する声音はどこまでも優しい。

だが…だが、茂部太郎を見るその視線は淡々どころではない。

憩いのひとときを邪魔しやがって…ということなのだろうか。
絶対零度の風が吹きすさぶような冷たい怒りを含んでいた。


ああ、これ終わった、俺、人生が終わった…
まだ本題にも入っていないのに茂部太郎は思う。

もう黒モブ人生を送るのも悪くはないとまで思った先ほどの自分に蹴りをいれてやりたい。

送れない…黒モブ人生なんて送れない…
黒モブった時点で人生送る前に消されるっ!!


それでも炭治郎に全てを振った時点で、自身と姫君の役割は終わったと判断したのだろう。

皇帝は茂部太郎に見向きもせずに、姫君の可愛い口にフルーツを放り込んでやるという最も重要な仕事に戻った。


「この競技が終わったら昼食だからな。
今日の弁当には義勇の大好きな鮭大根も用意したぞ」
と、フルーツを摘まんでいるのと逆の手で姫君の頭を優しく撫でている。

ああ…眼福。
やっぱり物語はこうでないと!
ヒロインは絶対にスパダリに愛されてほわほわと幸せそうに微笑んでいるべき!!


茂部太郎がその様子をでれ~っと眺めていると、同じくニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべてそれを眺めていた炭治郎はハッと気づいたらしい。

コホン!と咳払いを一つ。

「で?何が必要なのだろうか?」
と、茂部太郎を振り返った。

そこで萌えの世界から一気に現実に引き戻される。


「茂部太郎?」

言えない…怖くて言えない…
タラリタラリと額に汗をかいて固まっていると、炭治郎に不思議そうに声をかけられた。



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