虚言から始まるおしどり夫婦12_冨岡義勇の安堵

性別が変わって体が変われば筋力も落ちる。
そんな当たり前のことを全く考慮に入れていなかった。
鬼が斬れないかもしれない…そんな大変なことになるかもしれないことを義勇は全く想像もしていなかったので、ひたすらに青ざめる。

そして動揺のあまり他に何も考えられなくなってその場でひたすら涙を零している義勇の上からぱさりと羽織が降って来て義勇の身体を包み込んだことで、義勇は初めて自分以外の人間が傍に近づいていたことに気づいた。
隊士の頂点の柱まで務めているのにそこまで気配が読めないほどには義勇は混乱していたのである。

まあその人物は警戒すべき相手ではなかったので、問題はないのだが…



…さび…と…
と、涙目で見上げると、いつのまにやらきっちりと隊服を着こんで身支度を終えている錆兎が後ろに立っている。


そして義勇を見下ろすと、

「お前はぁ…もしかして半日も立たないうちに後悔してたりするのか?」
と、呆れ顔で隣に胡坐をかいて座り、義勇を引き寄せて腕の中に閉じ込めると、ぽんぽんと宥めるように小さく背を叩いてきた。
現金なことに、そんな錆兎の変わらぬ様子になんだか安堵してしまう。

そして義勇がくすん、くすんと鼻をすすりながら甘えるようにぎゅっと抱き着けば、錆兎は

「何が悲しい?言ってみろ。
男に戻すとかは出来んが、物理的に俺に出来ることならなんとかしてやる」
と、頭を撫でてくれた。


錆兎はこんなバカな自分でも見捨てたりはしないのだ…そうとわかって、義勇がさきほどまで考えていた、自分が女になって筋力が落ちて鬼が斬れなくなっていたら…という不安を打ち明けたなら、錆兎は、

「なんだ、そんなことか」
と、安堵したように息を吐き出す。


「そんなこと…じゃ、なくないか?」

鬼が斬れなければ義勇は水柱ではいられないし、水柱でいられなければ錆兎の妻でいる価値もなくなるじゃないか…と、そう訴えると、錆兎は目を丸くして、そして苦笑した。


「まず最初の話な。
少なくとも鱗滝左近次先生に師事して極めた剣術は、女になったくらいで鬼を斬れなくなることはない。
俺達は男はもちろん、男に比べたら非力な女の弟子でも岩を斬れている。
何故なら力で岩を斬っているわけではないからだ。

力と言うものは加える場所によって与える衝撃が違う。
硬い物でも正しい角度から正しい位置に力を加えれば加えた力が何倍にもなり、通常なら壊れない程度の力でも壊れるんだ。

例えば…長い棒を両手で横に握って折ることは容易くとも、縦に割ることはできないだろう?
素材は同じでそれを壊そうとする者の力が同じでも力のかけ方によって結果が全く変わってくる。
それをもっと細かくしたようなものだな。

先生の弟子は皆、無意識にその点を見極めて攻撃をしかけている。
岩が割れるか割れないかは、腕力がついたかついてないかではなく、それを見極める能力と正確に打ち込める技術が身に着いたかどうかだ。
もちろんそこに呼吸を乗せることは必要だけどな。

先生が執拗に罠をよける鍛錬をさせるのは、鬼のように動くものを相手にした時に、瞬時に動きを見極めてその攻撃が通る一点をみつけられるようにするためだ」


混乱を極めた義勇の頭では錆兎の説明の半分も頭には入ってこなかったが、とりあえず鱗滝先生が女でも岩を斬れる程度には腕力に頼らない剣術を教えてくださっていたのだということは理解して、安堵のあまり全身から力が抜けた。

その力の抜け加減がわかったのだろう。
錆兎が笑う。

「だから行動する時はきちんと考えろと言っただろう。
今回はそういうわけで上弦くらいの鬼になれば多少の影響はあるかもしれんが、普通に下弦くらいまでと戯れている分には問題はないはずだ。

それにもし鬼を斬れなくなったとしてもその時は引退すれば良いだけだろう?
別に女にならんでも柱とて年を取れば筋力が衰えるのは避けられんし、そうなったら柱を辞して引退することもある。

そもそも鱗滝先生だって“元”柱ということは、柱を辞した方だしな」

ああ、そう言えばそうだった。


「まあ…お前とは共に育ってお前がここまで頑張って来たのを見守ってきた仲だ。
祝言もあげることだし、万が一お前が鬼を斬れなくなったとて、お前が家のことをやって俺が鬼を斬っていれば別に問題ないだろう?
お前の一人くらい養える程度の甲斐性はあるつもりだぞ?」


錆兎の笑顔は温かくて力強くて…本当に昔から変わらない。
いつだって迷って悩んで立ち止まる義勇に手を差し伸べて手を掴んで引っ張っていってくれる。
なんだか先ほどまで暗雲が立ち込めていたような心の中にぱぁ~っと光が差した気分だった。


「とにかく早く着替えろ。
男の時分と違って女になったんだ。
服は隊服で手間は変わらんが、髪はいつものように手櫛というわけにもいかんだろう。
着替えたら結ってやるから」
と、なんだか親のようなことを言う錆兎だが、なんだか一点ひっかかった。

「結ってやるって…髪の結い方なんてどこで覚えたんだ?」

内心チクチクと胸が痛むのを表に出さぬよう、なんてことのない事のように聞いてみると、本当に何でもないことだった。

錆兎は
「ああ、このお屋敷にお世話になっている頃に、お嬢様達にせがまれて髪を結う奥方様を手伝ったことがある。
なにしろ4人だからな。
1人で結うのは大変だ」
とあっさりと言う。

なるほどと納得して、義勇は錆兎が背を向けて布団を綺麗に畳みなおして片付けている間に大急ぎで隊服を着る。


それは昨日女になってから採寸をして、その夜のうちに大急ぎで作ってもらったものだ。
大きさは女になった体に合わせて小さいが形は男の時と同じものである。

ふむ…と身につけて考え込む義勇に気づいて錆兎が
「どうしたんだ?」
と声をかける。

「いや…女の隊員の場合、隊服の制作を担当している前田という男が露出の高い服を用意すると聞いていたから…」


確か胡蝶は一度用意された隊服を破り捨てて燃やしたと聞いた…と、義勇が答えると、錆兎がにこやかに

「ああ、そういう無駄がないように先に男の時と同じ型のでなければ服を破り捨てて燃やすだけではすまんかもしれないからそのように頼むと“丁重に”頼んでおいたからじゃないか?」
と答えた。

なるほど。さすが錆兎だ。
全てにおいて卒がない…と、義勇は感心する。


それを実に恐ろしい顔で宣告された前田に言えば、『ないのはじゃなくて容赦ですうぅ』と泣きながら絶叫されそうではあるが……

こうして隊服に着替えたあとには錆兎が柘植の櫛で丁寧に髪を梳いてくれる。
そして長さの揃わない義勇の髪を器用に編み込みで結ってくれた。


こんな風に誰かに髪を結ってもらうのは姉の生前以来だが、錆兎の手は当然姉の柔らかく細い指先の手と違って刀を握る大きく硬い武骨な感じの手であるのに、実に器用に細かい作業をこなしていく。

さすが錆兎だ…と、義勇はもう彼と出会ってから何百回思ったかわからないことをまた思い、この手を他に取られて失くしてしまうことはもうないのだとその事実が嬉しくてムフフっと笑った。


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