ツインズ!錆義_33_アオイ視点-彼女が諦めるのをやめたわけ1

「パパが捕まったぁ??」

アオイが高校から帰ると、ちょうど母が身支度をしていた。
父親が今警察にいて、身元引き取り人になって欲しいと電話がかかって来たというのだ。

いったい何があった?と訊ねたいところだが、なんとなくわかる気がする。

「義勇関係?」
と聞けば、母は泣きながらコクコクと頷いた。

それにアオイは腰に両手をあて、はぁとため息一つ。

「いいわ。私も行くから」
と言うと、母はホッとしたように息を吐きだした。



父が亡き自分の母親にその姿を重ねて色々拗らせてしまった双子の兄義勇が家を出てすでに2年がたった。

父の兄への思いは娘の目から見ても死ぬほど厄介である。

自分を捨てて自殺した母を恨んでそれに兄を重ねて辛くあたるのだが、じゃあ距離を置けば良いのかと思えば──実際に母は昔そういう選択肢を提案したらしいが──そういうわけでもなく、遠くに行く事がイコール自分を見捨てた母という方向性のトラウマを刺激するらしく、それも嫌がる。

辛く当たるけど離れて行くのは嫌だ。
まあ実の娘から見てもドン引きだ。

結局1年半ほど前、父がそんな態度をとり続けた結果、女のアオイより愛らしくお姫様のようだった兄にはおとぎ話よろしく王子様が迎えに来て──兄はずっと彼をおとぎの国の王子様だと言っていた──お城のような彼の家に引き取られて行った。
もちろん父には内緒で見かねた母が手配した上でだ。

一応母の実家に預けているという事にしておいて、完全に離れたわけじゃないからと、表面上は薄氷を踏むようなものではあったが平和になった。

…が、じゃあ家庭内が穏やかになったかと思えば、そうではない。

たとえいざとなったら連れ戻せると思っても、日々兄が家にいない。
その事実に父がイラついていて、母への態度がギスギスする。
そして八つ当たられる母はアオイに泣きつくと言う繰り返しだ。

アオイにしたって常に一緒に育った双子の兄が居ない事自体で十分ストレスなのだ。
自分以外の人間の負の感情なんて受け止める余裕はない。
なのに両親揃って当たり前に自分に縋ってくるのにだんだん疲れきって来た。


それでも…仕方ないのだ、と、思う。

兄の義勇は可愛くてお姫様だから王子様が迎えに来ても、可愛くない自分には迎えどころか助けの手すら差し伸べられる事はないのだ…。

そう思うとひどく惨めで、余計に疲労がひどくなった。

それでも…それだからこそ、唯一のとりえである勉強に手は抜けない。
むしろ他の事を考えたくなくて、アオイは勉強に没頭した。

学校では生徒会長で、こちらでも全ての厄介事が全部アオイの所に押しやられる。
唯一塾だけが、アオイの人間性など関係なく余分な事に関わる事なく居られる場所で癒しだった。




それは今から半年ほど前。
そんな日々を送る中、その日は塾だったのだが突然の雨に降られてアオイはとある店の軒下で雨宿りをしていた。

普段せわしなく動いていると頭から消えているが、こうして何もせずぼ~っとしていると、色々がこみ上げてくる。

疲れた…悲しい…泣きそうだ。

雨宿りの場所はすぐ見つからなかったので濡れた髪が、顔に張りついてうっとおしい。
…と、思った瞬間、ふわりとタオルが頭上から降って来た。

…え?
と、振り向くと、見知らぬ男。

「雨宿りすんなら、店にはいれよ。
今日はもう予約入れてねえし、上着乾かして茶くらい入れてやるから」

女の子顔負けのきれいな顔をした…なのに体格は服の上からでもそうとわかるような筋肉質な体の男。

バサバサのまつげはアオイより濃く長く、その下の濃い緑の目はキラキラ澄んでエメラルドのようだった。

「何故?」
と、つい警戒してみるが、綺麗なその男は、

「おまえ、1年半ほど前、悲壮な顔してうちで髪切っていったろ。
うちは完全予約制でそれを書いてあんのに、いきなり飛び込んできてすげえ気迫で髪を切れって言うからつい予約をずらしてまで切ったの覚えてる。
なのにお前それから全然手入れしてねえな?
とにかく、雨に濡れっぱなしだと髪も傷む。
今日は全部無料サービスでそっちもなんとかしてやるから早くしろ。
安心しろ。店は開けとくし、自分の店でおかしな真似はしねえよ」
と、カランコロンとガラス戸を手であけた。

あ…と、思い出した。
そうだ、ここは確か天元に他の男を紹介すると言われてやけくそになっていたあの日、発作的に髪を切った美容室だ。


だからといって今日は客として来たわけではないのに、どうして入ってしまったのかわからない。

たぶん…ただ“しっかり者の”という形容詞を押し付けられない時間を持ちたかったのかもしれない。

自分でもよくわからないが、とにかくアオイは男について、2年ぶりにその美容院に足を踏み入れたのである。



──どうせ私は可愛くないもの。

こうしてコートを乾かしてもらって淹れてもらったコーヒーで温まって、髪が傷むからとシャンプーで洗ってもらっている間、ちゃんと手入れをしろと何故か上から目線で言われた言葉にそう言って唇を噛みしめると、即

「ふざけんな。俺が丹精込めてカットしてやったんだ。
1年半前に店を出た瞬間のお前は確かに可愛かっただろうが。
可愛くないはずがねえ」
と、めちゃくちゃな答えが返って来た。

いや、美容師のプライド的にはそれはおかしくない言葉なのかもしれないが…。

そんな風に乱暴な言葉のわりに、髪を扱う手はすごく丁寧で心地いい。

「だいたい…お前、髪の手入れのぞんざいさは女として許されねえレベルだけど、顔は十人並みなんてはるかに突きぬけた美人だろっ」
という男の言葉は否定しない。

自分の顔立ちが十分綺麗なのは知っている。

でも“美人”ではだめなのだ。
可愛い”でないと…

そう訴えると、即
「なんで?」
と、返ってくる声。

そう言えば…会長になるような秀才としてでもなく、こんな風に友達のように言葉が返ってくるのは初めてかもしれない。

それがなんだか嬉しくて、楽しくて、聞かれるまま、ついつい話しすぎてしまう。

1年半前好きだった相手のこと、その相手が可愛いと言っていた本当に可愛い自分の双子の兄のこと、そして…“可愛くない”自分のこと……

そんな面白くもないであろうアオイの暗い話を淡々とした様子で聞いていた男は、手は休めずシャンプーを洗い流してトリートメントをしながら、

「馬鹿じゃねえ?」
と言った。

短い言葉。ぶっきらぼうに聞こえるそれは、文字にすれば突き離して聞こえるが、声音はどこか温かい。

「お前の兄貴が可愛いのはわかったけどな。
双子でも同じ人間じゃないし、100%分の可愛さを分け合ってるわけでもないだろ。
お前の兄貴が可愛いからその分お前が可愛くなくなるわけでもないし、お前の兄貴が可愛くたって、お前はお前に似合う形で可愛くなればいいだけじゃん」

「簡単に言わないで」
と、反射的にピシっと言ってしまって後悔するも、男はそれにきっぱり言い切る。

「簡単なことだろっ!
俺がカットすればお前は世界で一番可愛い女だっ!
俺は天才美容師だからなっ!」


「なんかすごい自信ね」
「俺は、嘴平伊之助だからなっ」

「え?誰?知らないわ」

教科書にも載っていなければ、政治家でも聞いた事がない。
近年ノーベル賞や各文学賞の受賞者にいただろうか?…いや、居ない気がする。
一生懸命脳内の情報を探ってもその名前は出てこない。
だからそう答えたのだが、驚いたように固まられた後、思い切り吹きだされた。

「そっか。さすが1年半も手入れ放置してる女っ!!
けらけら笑われてさすがにむぅ~っとする。

「それ関係ないでしょっ!で、結局誰なのよっ?!」
と問えば、

「3年前までカット賞総なめにして容姿に自信のない女を美人て言われるように変えるシンデレラビフォーアフターってバラエティ番組とかにも出てた、女子高生からOLまで大人気のカリスマ美容師…らしいぞ。
まあ俺はやりたいようにやるだけだから周りの評価も関係ねえし、髪いじる以外の仕事が多すぎて面倒になって、芸能界関係はもう一切引退したけどな」
と、返って来た。

え?ええ???
と、アオイは驚きのあまりぽかんと口を開けて呆けた。

知ってる。

正確にはアオイはそういう番組を見たことはなかったが、中学時代にクラスメート達がその番組の美容師がとんでもない美形でとキャーキャー騒いでたのを覚えている。

とんでもない有名人だ。
そんな有名な美容師にカットしてもらったくせに、相手のことを知らないと本人に言い放った自分のあまりのその手の一般常識のなさにさすがに恥ずかしくも申し訳なくなってアオイは俯いた。

しかし男はそれ以上アオイの無知さにつっこみをいれることなく、続ける。

「ま、別に有名人な俺なんて知らなくても全然構わねえ。
俺にとってはさ、番組のために作られたやらせの悩み女や有名な芸能人やモデルの髪いじって俺のヘアメイクに対して興味もないような奴らにきゃあきゃあ言われるより、商店街で向こうに生活や人生が見えてきたりする客の髪をいじってるほうが楽しいしな。
ちっちゃなガキが初めての発表会だからって張りきって来たり、最近疲れたから気晴らしに~って言うOLとかな。
友達の結婚式に出てそこで自分も彼氏ゲットするんだ!なんてツワモノもいたな。
1回のカットやセットが大勢に評価されるわけじゃねえけど、その時の客にとってはすげえ大事な人生の岐路を任せてくれてる事だって少なくはねえんだよ。
しかもその結果が全部じゃねえけど、たまにわかったりしてな。
次に来た時に、おかげで大成功でした~!なんて言ってもらえるとめちゃ嬉しくて、ああ、大勢に注目されるわけじゃねえけど、その分1人の人間にとってすげえ大事な意味があるんだよなって思うわけだ。
2年前のお前もさ、もう悲壮な顔してバッサリいってくれなんてのは、ああ、これ失恋だなって秘かに思って、俺的にはもっと良い男捕まえろよ~とか思いながら、思い切り気合い入れてカットしたんだけどな」

それがこれだもんな、と、呆れたように笑う顔は、最初の綺麗だけどきつそうな印象と違って、なんだかとても温かく親しみやすい。

「お前さ、充分わかりやすいし、充分可愛いし、充分放っておけねえタイプだと思うけど?
もうあの日からな、毎日のようにお前、店の前通るだろ。
そうすっと、わかるわけだ。
今日良い事あったなとか、落ち込んでるなとか。
ここ最近特になんか悲壮感漂ってただろ。
今日は俺がとびきり可愛くしてやっから、自信もって可愛い自分をアピールして、幸せ掴んでこいよ」

と、シャンプーを終えてカット台に移動すると、男は言う。
とびきり温かく無邪気な笑顔で。

「どんな感じが良いとか希望はあるか?」
と聞かれて、

「あなた、なんて呼んだらいい?」
と、そこでアオイが聞くと、

「え?俺?」
ときょとんとして自分を指して言う。

それにアオイは頷いた。すると不思議そうにそれでも
「猪之助でも親分でもなんでも?」
と、にかりと笑った。

「そう、じゃあ猪之助さんて呼ぶわ。猪之助さん…」
アオイは聞いたその名を反復すると、視線を少し下に落として考え込み、そして顔をあげて言う。

「あなたの好みの髪型が良いわ。
私、捕まえるならあなたを捕まえたい!」

アオイが断言すると、猪之助はおそらくアオイよりはだいぶ年上なのだろうが、何故かその手の事に自分の方が慣れてないのだろうか…。

真っ赤になって、視線を泳がせて、あ~とかう~とか言葉に詰まったあげく、

──…良いけど……俺は今はただの商店街の天才美容師だからな?取り消しはきかねえぞ?
と、さきほどまでの余裕はどこへやら、視線を反らしてそう言った。




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