元々10分前行動を心掛けているのだが、今日は特に自分の用事でつきあってもらうので遅刻はできないと、それより多少早く着くように出て来た。
まあ、彼女も時間には正確な方なので、待たせなかった事にはホッとする。
幼い頃から一緒にいる幼馴染でもある従姉妹だが、その辺は親しき仲にも礼儀あり。
自分の用事で時間を割いてもらうのだ。
そんな状態の時に相手の方を待たせるなど論外である。
普段から可愛らしい男の子が大好きで、そんな男の子を描いた男同士の恋愛を好む、いわゆる腐女子と言う人種の彼女には、事情を話したらすごい勢いで食い突かれた。
今回の同行を申し出てくれたのも彼女からで、おそらくそれは善意の身からのものではなく、嬉々として色々聞かれるのだろうと思うが、いつものようにキレないようにしなければならない。
男性同士の恋愛というものに対しては、実地ではなく知識のみではあるものの、その知識ですらほぼない自分が手っ取り早く瑣末な知識を得るには一番気軽だろうし、彼女にはこの先色々世話になるかもしれないと言うのもあるわけではあるし…
ということで、義勇との交際を速やかに進めるためにも、彼女との関係は良好に保った方がいいだろう。
そんな事をつらつらと考えていると、いつのまにか待ち合わせの時間の5分前になっていて、見覚えのある小柄な可愛らしい女性が視界に入った。
そう、真菰だ。
自分もそうだが割合と目ざとい彼女はすぐ錆兎を見つけて走り寄ってくる。
「ごめん、待った?」
と言う声は、一目で機嫌が良いとわかるにこやかなものだ。
それに錆兎のほうも
「俺の側の用につきあわせるわけだしな。
今回はわざわざ時間を取らせて悪い。でも助かる」
と、和やかに言葉を返して、
「別にいいよ。私もついでに見たいものがあったし。行こう」
と、うながす彼女と駅を出て街中へと足を踏み出したのだった。
「錆兎が可愛い男の子と結婚したいって聞いた時はびっくりしたよ。
でもまあ…昨今は錆兎好みの初心でどこか脆い守ってあげたくなるような子って、女で探すより男の子探した方が早いっていうのは前々から思ってたけど」
ご機嫌で隣を歩く真菰。
どちらかと言うと可愛いというよりはさばさば系の彼女は錆兎の好みではないけれど、こうして機嫌良く笑っていると、確かに美人は美人だ。
子どもの頃は錆兎や炭治郎と一緒に剣道に勤しんでたりした彼女も今では薄化粧に花の髪飾りなんてつけていて、外見上はすっかり女っぽくなった。
性格的には錆兎と同じく良く言えば面倒見が良い悪く言えばお節介なところもあって、それが他人からは概ね良い方向の評価を得ているので、周りに人が集まるのもわかる。
趣味の事となると色々理性が吹っ飛ぶのは難点だが、それでも最低限の空気は読んでくれて、ぎりぎり絶対に茶化されたくない部分は茶化さず相談にも乗ってくれるので、ありがたい。
「お姫ちゃんの実家の事とかこれからが色々大変だとは思うけど、それまで大変だった分、幸せにしてあげなさいよ。
必要なら私だって協力は惜しまないからねっ!
荒事だってどんと来い!よ」
と、力こぶを作ってみせるあたりは相変わらずだとは思うが……
「ああ。一応お姫さん守って生きて行くって自分で決めてから物理的な事は色々調べたんだけどな、なんというか…そういう関係におけるメンタル面ていうか…そういうのはなかなかマニュアルも見つからないし今ひとつわからないままだから、いざとなったら相談させてもらう」
と、さきほどまで色々考えていた事もあってそう言うと、真菰はきっぱりはっきりピンポイントで
「ああ、夜のこと?そうよね。同性だとどこまでやるのかとか、どういう役割でやるのかとか色々あるし、相手が繊細な子だと確認の仕方もデリケートで悩むわよね」
と、まさに正解な部分をついて来る。
え?ええっ?!!真菰、お前、エスパーか何かかっ?!!!
と、錆兎が叫びたくなったのも無理もない事だと思う。
「おまっ…なんでピンポイントで正解ついてくるんだっ?!!」
と、さすがに驚きをぶつけると、真菰は
「場数よ、ば・か・ず!!」
と、ふふんと得意げに笑った後、若干表情を柔らかくして
「錆兎としては全てきちんと把握して全てきちんと確認して進めたいって思ってんでしょうけど、そういうのって空気ってのがあるからね。
あんたから聞いた範囲のお姫ちゃんの人物像だと、そう言う事をきっちり明らかにしようとか思わない方が良いと思うわよ。
籍を入れて式をあげるなり旅行行くなりした夜に正直に、『何より大切だし誰よりも愛しているんだ。だから欲しい…一つになりたいんだ』って伝えてあげると良いと思う」
と、なんとも有用なアドバイスまでくれる。
目の前で男の声音で台詞を再現する幼馴染に唖然とする錆兎。
幼い頃から一緒に棒っきれ振り回しながら育ったのに、何故そんなイケメンに育っているのかよくわからない。
でも確かに義勇ならその方がオチそうだ。
錆兎は本当に本当に本当に…ひとえに
…こいつがライバルとかじゃなくて良かった!!
と、心の中でやけくそのように大絶叫をしたのだった。
こうして辿りつく宝石店。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
と言われる時点で、もう一見ではないのがわかる。
それどころか
「店長でなくてよろしかったのです?」
とさらに続けられて、(お前、どれだけのお得意様なんだ?!)と内心思うものの、まあ一般人の父の妹の子とは言え、叔母が嫁いだ先がたまたま非常に資産家なのもあって、それも不思議なことではない。
そんな事を思っている錆兎の横では真菰が
「いいの。お母様の用じゃないしね。
慣れた相手の方が気楽でいいわ」
と、にこやかに応じている。
もうなんというか色々と……
錆兎的には、『いや、高級宝石店の店員に気楽って、お前どういう生活しているんだ…』…と、突っ込みをいれたいところだ。
まあ、錆兎だって母方の家なら、それも特別なことではないのかもしれないが…。
ただ男兄弟で装飾品の類を収集したりもなかったし、叔父以外の親族とはほとんど縁が切れているような状況だったので、本当にこの手の場所には縁がない。
こちらの希望と指輪のサイズについては随分前に伝えてあり、なんどもデザインの確認もして、今日は受け取りに来たのだが、実際にケースに入ったそれを目にすると、なんだか感無量だ。
義勇が成人したら籍を入れるのだ…と、心秘かに決意して早2年。
年を経た人間のそれがそうじゃないとは決して言わないが、10代の2年というのはとてつもなく大きい。
正式な婚約期間をおけないので、義勇と一緒に暮らし始めて最初の誕生日にその代わりのつもりで小さなサファイアの入った薔薇の形のブローチをプレゼントしたが、指輪ということになると、これが最初で唯一である。
いつも身につけられるようにと形こそシンプルだが、お姫さんの指輪には自分の目の色を模したアメジストを埋め込んだ、自分の方には義勇のそれを模したサファイアを埋め込んだ同じデザインのプラチナの指輪だ。
それをしみじみと手に取る錆兎の横では、おそらく自分も用があるというのはそれなのだろう。
真菰が凝った細工のブローチを受け取っていた。
こうしてそれぞれ品物を確認して、それが梱包されるのを待っている間、ねえ、と、真菰が唐突に口を開いた。
「ん?」
「錆兎のお姫ちゃんて…もしかして今日、ペパーミントグリーンのスカート履いてたりする?」
本当に突然すぎて目をぱちくりする錆兎。
そして脳内の記憶を探る。
そう言えば…今日の服は胸元にふんわりとしたレースのリボンがついた真っ白なブラウスに、ペパーミントグリーンのサスペンダースカートだった気がする。
「あ~…そうかも?」
と、首をかしげるように見下ろすと、真菰はやや呆れたように、はぁ~と息を吐きだした。
なんだ?その反応は?と思って、
「なんだよ?」
と、聞くと、真菰は黙ってショーケースの上に置いてあった鏡を取って、それを見るように視線でうながした。
「お姫ちゃんに言ってないんでしょ?絶対に誤解されてるわよ?」
とまで言われて覗きこめば、それが映しだす店のガラス戸の向こうには天使の…いや、天使と見紛うくらい愛らしい、錆兎のお姫様の姿が!!
と、思った瞬間くるりと、天使は反転、駆けだしていく。
「追いなさい!!」
「おうっ!!」
ピシッと叫ぶ真菰の号令に反射的に応えると、錆兎は自身も反転して店を飛び出した。
速報:錆兎の天使は羽根で飛んだのかと思うほど素早かった
本当に、義勇が駆けだしてから店を出るまでほんの10秒ほどだと思う。
なのに街の人ごみの中に消えた義勇の姿を瞬時に見失う。
幸いにして目は良い方で、さらに走るのも早い方だから、冷静に見回せば道よりは若干人混みが途切れて見渡しやすい横断歩道で広い道路を渡る義勇を発見して、自分も手近な横断歩道を渡ってそれを追った。
冬の空気は冷たくて、吸い込むと胸が痛くなる。
そんな思いを今義勇もしていると思うと、物理的な理由とは別にまた胸が痛んだ。
本当に…どうしてこうなったのか…。
自分の中で順番にこだわり過ぎたのか?
思えば義勇との関係は、出会いはイレギュラー、同居の始まった理由も、現状も、なにより義勇の大切さ、存在そのものがイレギュラーなのだから、今更形式や順番にこだわるなんて、自分が馬鹿だったのかもしれない。
義勇はあんなに可愛いのに自己肯定感が低くて、物事をいつも悪い方に悪い方にと考えるくせがあるから、おそらく義勇を捕まえて、事情を話しただけでは信じてもらえないかもしれないが、指輪を見せれば信じてもらえると思う。
自分と義勇の目の色をイメージした指輪で、サイズだってこっそり計った義勇の指のサイズに合わせてあるのだから、義勇用だと言う事はさすがにすぐわかる。
そうしてわかってもらったら、不安にさせてごめんな?と謝ったあとに額にキス。
もうすぐ義勇の誕生日が来たら、この指輪をはめて一緒に役所に行こうと誘うのだ。
だから今は…絶対に義勇を捕まえなければならない。
「お姫さんっ!待ってくれっ!!」
と、遠くを走り抜けるその姿に叫ぶ声は人ごみの雑踏にかき消されて届かない。
普通に走れば追いつけるのかもしれないが、いかんせん街中は人が多すぎて、それをすり抜けるのはなかなか骨が折れる。
そんな中、まるで実体などないかのように、錆兎の大切な恋人様はするりするりと器用に人を避けながら、遠くを走り抜けていった。
ダメだ、追いつけないっ!
と、錆兎が焦りを感じ始めた頃、メインストリートから伸びた脇道に、ペパーミントグリーンのスカートが翻っていった。
姿が見えなくなる焦りと、しかし人が少なければ追いつけるのではという期待。
それを抱えて錆兎も後を追う。
いそげ、いそげ、いそげっ!!!
普段ならしないようなほどには強引に人ごみを掻きわけ、錆兎がわずか前に義勇が曲がった角を曲がると、信じられないような光景が目に飛び込んできた。
道路に止まった車。
ちょうど開いたトランクを閉める瞬間、中に見えたのは両手を拘束された錆兎の大切な天使に間違いない。
「待てっ!待ちやがれーー!!!!」
錆兎の叫ぶ声は当然聞き届けられる事はない。
必死に走る錆兎をよそに、男はそのまま運転席へと飛び乗って車を発進させた。
しかしそこに天の助けだったのだろうか…たまたま近くで客を降ろしたところだったのだろう。
タクシーが通りかかったので、急いで止めて、
「前の車を追ってくれっ!」
と、飛び乗るなり運転手に向かって叫んだ。
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