誰もいないはずなので鍵はかかっていない。
錆兎は靴もぬがずに中に入って寝室の洋室に駆け込んだ。
フラリとベッドに歩み寄る錆兎。
ベッドの上には小さなポーチを胸のあたりに抱えて、まるで眠り姫のようにすやすや眠っている義勇。
「…義勇っ!」
錆兎が義勇の上半身を起こして抱きしめる。
温かいぬくもり。
おそらく後ろから何かで眠らされて、そのままずっと眠っていたのだろう。
下手に抵抗する間もなかったのが幸いしたのかもしれない。
かすり傷一つない。
消えた時のままの花火模様の浴衣。
最初の殺人事件の時のように恐ろしい思い、悲しい思いをして変なトラウマを増やしていないようで、心の底から安堵する。
「…起きろよ…義勇…」
静かに声をかけると、義勇はちょっと可愛らしい眉をよせた。
「…ん…もうちょっと…だ…け…」
薬がそろそろ切れて目覚めかけてるらしいが、途切れ途切れにそうつぶやいてまた眠りに落ちそうになる義勇に、錆兎は少し目を細めて
「…起きてくれ…俺の大事な大事な半身…」
と、軽く唇を重ねた。
温かく…柔らかい感触。
錆兎がそうして義勇がちゃんと生きている事をあらためて実感していると、パチリと白い義勇の瞼が開いた。
「…おはよう、義勇」
感極まって少し潤みかけた藤色の目で微笑む錆兎を義勇は不思議そうに見上げてパチパチと二度まばたきをする。
そのままポカ~ンと硬直する義勇を錆兎は抱きしめた。
「どこも…痛いとか苦しいとかないか?」
「…?」
抱きしめられたままきょとんとする義勇。
「えっと…どうなってるんだ?善逸」
珍しく色々がいっぱいいっぱい過ぎて冷静に答えられなさそうな錆兎の様子に、義勇は
少し離れた所でたたずんでる善逸を見つけて聞いた。
本気で…ずっと寝てたらしい。
状況がホントにわかってないらしい義勇に善逸は苦笑して答えた。
「えっとね…ついさっきまで魔王に拉致されてたんだよ、義勇。
で、今勇者が救出したところ」
「…??」
その後、母屋の取り調べ用の部屋に移動し、錆兎の腕の手当をする横で和田が義勇に事情を聞いたが、結論からいうと義勇は何も覚えてはいなかった。
炭治郎とベンチに座ってからの記憶が全くなく、気付けば目の前に錆兎がいたとのことだ。
おそらく…座った瞬間眠らされたらしい。
何度か行方不明になるまでの記憶を確認したあと、そちらの方の質問は諦めたらしい。
和田は
「冨岡さん、別件の質問なんですが…」
と切り出した。
「あなたは昨夜露天風呂に忘れ物を取りに行かれたとの事ですが…その時ご自身の忘れ物の他に何かみつけられませんでしたか?」
当日…錆兎にした質問だ。
その言葉に義勇は、あ~っと声をあげた。
「はいっ。時計を…これなんですけど…」
と、ポーチから腕時計を出す。
「洗面台においてあったので忘れ物かと思ってあとでフロントに届けようと思って忘れていました」
義勇の手から時計を受け取ると、和田は
「ありがとうございます。
さらに確認させて頂きたいのですが…この時計はあなたが最初に露天に入られた時にはありましたか?」
と、さらに聞く。
それに対して義勇はフルフルと首を横に振った。
「確かですか?」
とそれに再度確認をいれる和田。
それにも義勇はコックリうなづいて言う。
「はい。丁度ペンダントのすぐ横に置いてあったので…。
さすがにあればペンダントを置く時に気付きます」
「そうですか、大変参考になりました。ありがとうございます」
和田はにっこりと笑みを浮かべて義勇に頭をさげる。
その時、警察官が一人
「失礼します」
と部屋に入って来て和田に何か耳打ちした。
和田はそれにうなづくと、その警察官は部屋を出て行く。
それを見送って和田は犯人が今度は炭治郎の身代金としてもう5000万、今回と同じくルイヴィトンのスーツケースに入れて今日中に用意するよう要求して来た旨を伝えた。
それに対して錆兎はまた報告もかねて宇髄に連絡をいれる。
事情を話すと宇髄は当たり前にもう5000万即届けさせる事を申し出た。
錆兎はそれをまた和田に伝える。
全てが終わると
「お疲れでしょうし、もうお戻り頂いて結構ですよ」
と言う和田の言葉で、丁度手当の終わった錆兎は義勇と一緒に部屋を出た。
「どうだった?」
部屋を出ると外で待っていた善逸が聞いてくる。
「ごめん…ベンチ座ってからの記憶が全然なくて…」
炭治郎がまだ行方不明なのは聞いている義勇が、さすがにしょぼんとうなだれた。
「いや…義勇のせいじゃないし。義勇が気にする事じゃないよ」
と言いつつも、善逸もうなだれる。
「まあ…結局身代金を二重取りしたいってことなんじゃないか?」
錆兎がチラリと義勇に目をやると、
「そうなのか…」
と、義勇は頷く。
「とりあえず身代金はいったん宇髄財閥で全部出してくれるらしいから、炭治郎が戻ってきたら犯人探しだな。
まずは全員の身の安全が最優先てことで」
「…犯人捕まえられなくて取り返せなかったら出世払いってことで…。
社会人になったら働いて返すよ」
と言う善逸だが、それに錆兎は、いや、と、首を横に振る。
「義勇を誘拐なんてふざけたことしてくれた輩を絶対に逃す気はないけどな、万が一があったら最悪うちの方で出すから。
もっとも…こっちが出すって言っても宇髄は絶対に受け取らない気がするけどな。
だからどちらにしても、善逸は気にしないで良いぞ?
むしろ大切なのは誰が出すかじゃなくて…誰が運ぶかな気がするな。
特に指名がなければ、その時はまた俺が責任持ってやるが、今回も犯人からの指名で俺が運んでるし、あちらから指名される可能性はあるよな」
そしてそう言って男らしく形の良い眉を寄せた。
しかし、それに善逸は首を横に振る。
「指名がなければ今度はタイムトライアルとかもないだろうし、俺がやるよ。
錆兎は傷が開いちゃったし…重いもん持たない方がいいって」
「いや、大丈夫だ」
「でも…」
二人が言いあう中、義勇はきっぱり
「それ決めるのって…俺達じゃなくて誘拐犯だし、今言っても仕方ないよな」
と、彼にしては珍しく真っ当にして鋭い意見を述べた。
「確かに…」
二人して苦笑する錆兎と善逸。
「とりあえずさ…錆兎いったん部屋戻って休めば?
寝れてないっしょ?昨日から。
俺も部屋で寝とく」
と、運び屋論争に一段落ついたところで善逸が提案した。
「そうだな…。」
錆兎はそう言った後に、
「善逸、どうせなら部屋来ないか?」
と誘う。
自分は義勇が戻ってきて落ち着いたが、善逸は一人だと色々嫌な想像もまわるだろうと思った錆兎の言葉に、善逸は苦笑。
「いや、起きてる時は大勢の方がいいかもだけど、寝る時は一人の方がゆっくり寝れるから。気持ちだけもらっとく」
と、自分の離れに戻って行った。
しかたなしに義勇と共に錆兎は自分達の離れに戻る。
誘拐されてからほんの1日しか経っていないのに、本当に長いときが経っている気がした。
義勇がひどい目にあっていないか、もしくは最悪怪我をさせられたり殺されたりしていたら…と、心配しながら1人で過ごした昨日は本当に地獄に居るようだったように思う。
──…お前が無事で良かった。本当に良かった…
と、部屋に入ってまず思い切り抱きしめようとすると、義勇に容赦なくシャットされた。
え?ええ???
と、地味にショックを受けたわけなのだが、その後、義勇の口から告げられた
「とりあえず…寝る前に錆兎は風呂だな。あちこちボロボロだし…
髪の毛とかも葉っぱやクモの巣や色々ですごい事になってるし、怪我してるから万が一にでも傷からバイキンが入ったら大変だ」
という言葉に、なるほど、と、思う。
確かに…あちこち走り回って木登り崖登り色々やったからそうかもしれない。
しかしながら…
「ん~洗面台で髪だけ洗って体はタオルで拭くからいい」
一瞬でも目を離すのが怖いくらいなのに、義勇を部屋に残して一人で風呂なんて入れるはずがない。
そう言うと義勇は
「離れないぞ?そもそも錆兎、また傷が開いたから1人で洗えないだろう?
俺も一緒に入って洗ってやる」
と、何故かウキウキした様子で断言した。
なるほど。
そう言えばそうだ。
と、それは納得したのだが、何故義勇はこんなに楽しそうなんだろうか…と、疑問に思ってそれを素直に口にすると、義勇は
「普段は錆兎はなんでも自分のことは自分でやってしまうからな。
たまに俺が何かしてやれるなら嬉しいなと思って」
と、愛らしい笑みを浮かべる。
…ああ、可愛い。
そんなこと程度でこんなに嬉しそうにされると、本当に愛おしさがこみ上げてしまう。
「そうか。なら頼もうか」
「任せろ!」
そんなやりとりをしつつ、義勇が浴槽に湯を張ってくれて風呂へ。
錆兎はまずかけ湯だけして湯船に入り、頭だけ出して髪を洗ってもらう。
そう言えば風呂で他人に髪を洗ってもらうなんて幼稚園児だった頃以来くらいだろうか…。
どちらにしても幼い頃から極力なんでも自分で出来るようにと育てられているので、こんな風に手をかけられるのは本当に久々だ。
マッサージするように髪を洗ってくれる義勇の柔らかい手の感触はとても気持ちいい。
「たまには…こういうのも悪くないな」
と思わずつぶやくと、
「東京帰っても洗ってやる」
と鼻歌まじりに錆兎の髪を洗いながら義勇は言った。
昨夜から今までの悪夢が嘘のようだ。
幸せが体の奥底から湧き出てくる。
髪だけ洗ってもらうと、少し狭いが二人で湯船に浸かって、それから義勇は先にあがらせて、体はもう湯船で洗って、最後にシャワーを浴びて風呂をあがる。
バスタオルで体を拭いて下着をつけると、錆兎はちょっと迷ったが結局備え付けの浴衣を手に取った。
それを身につけると義勇がちょっと目を丸くして、次の瞬間ふわりと笑う。
まだ殺人事件の犯人も誘拐事件の犯人も捕まっていないため、なるべく動きやすい服装で居たほうが良い気はするが、寝る時間くらいは良いだろう。
とにかく目の前で嬉しそうに微笑む義勇がいれば全てが無問題だ。
「やっぱり錆兎は和装が似合うな。洋装だって似合うけど…。
うん、何を着ても俺の錆兎は世界で一番カッコいい」
ふわっと抱きついてくる義勇を錆兎が抱きとめると、義勇はちょっと首をかしげた。
「どうした?義勇」
不思議に思って聞く錆兎から体を離すと、義勇は浴衣の置いてあった備え付けのタンスの下のスペースを覗き込み、香が炊いてあった香炉を手に取って匂いをかいだ。
「香の匂い…だったんだ…」
その一言で理解した錆兎は、浴衣の袖を顔に近づけて匂いをかぐ。
「ああ、そうだな。その匂いが浴衣にも移ってる」
と、そこで初めて錆兎は玄関を始めとして、各部屋に置いてある香炉に気付く。
床の間には掛け軸や花が飾ってあるのにも、それまでは全く目がいってなかった。
「これで同じ香りになったな。お揃いだ」
と、錆兎にふわりと抱きついたまま言う義勇。
その言葉に錆兎はつくづく…自分は実利的な物しか目に入らない、情緒のない人間なんだと実感する。
少なくとも…香りをまとうという感覚は自分では思いつかない。
疲れた…その柔らかな香の匂いと確かに腕の中に存在する自分より若干小さな温かい幸せを自覚してくると、一気に疲れが押し寄せて来た。
「…眠い…」
つぶやいた錆兎に義勇は
「ゆっくり布団で休んでくれ」
と言うが、錆兎はちょっと悩んだ。
一瞬でも目を離すのが怖い…。
「目が覚めた時に…またお前がいなくなってたら今度こそ俺死ぬ…」
言ってぎゅっと義勇を抱きしめる右腕に力をいれる。
その言葉に義勇は
「心配性だな、錆兎」
と、言いつつ
「じゃ、俺も添い寝してやろう」
と、布団の敷いてある隣室に錆兎をうながした。
徹夜…は別に珍しい事ではないのだが、本気で色々ありすぎた。
布団に倒れ込むように潜り込む錆兎。
義勇はその右側に寄り添うように横たわって、疲れきっている錆兎より先にちゃっちゃと眠りにつく。
昨日からずっと眠りっぱなしだったのに、よくまだ眠れるものだと錆兎は感心した。
布団に入るまでは隣で寝られたりしたら色々気になって眠れないのではと心配だったが、おかしな気分になる気力もないほど、疲れきっているらしい。
義勇が寝るのを確認した次の瞬間には自分ももう目を開けていられない。
抱き枕のように義勇を抱え込むと、錆兎はそのまま深い眠りへと落ちて行った。
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