今回の捜査責任者の和田と言います」
母屋の、昨日事情聴取に使われていた部屋に連れて行かれると、捜査責任者らしい男が立ち上がってお辞儀をする。
勧められて椅子に座るとそう言う錆兎に、和田はうなづいて自分も椅子に腰をかける。
「はい。旅館の方に犯人から連絡があり、その際に身代金の受け渡しを宿泊客の中の宍色の髪の青年にさせろと指定がありまして…。
おそらく確実に警察官ではない人間にということなのでしょうが…。
まあ相手もよもやあなたが鱗滝警視総監のご子息ということは考えてもみなかったようですが…」
確かに訓練を受けた警官にその役割をさせて万が一にも捕まりたくはないというのは…正しい判断ではあると思う。
まあ、その代わりの人選を警官以上に幼い頃からずっと鍛錬を続けたために護身術や武術に秀でる錆兎にしたことで、そういう意味では終わっているが…義勇を誘拐するなどという暴挙に出たのだから自業自得だ。
それにしても…
「父の事までご存知だったんですか…」
錆兎が苦笑すると、和田は、いえ、とその点について思い切り肯定した。
「それはこちらで調べさせて頂きました。一応事件に関与させることになりますし。
それだけではありませんよ?夏の高校生連続殺人事件の犯人を取り押さえたり、つい先日の箱根で起こった殺人事件の犯人を確保して事件を解決なさったとか、色々逸話を持っていらっしゃいますね」
と、こちらもにこりと笑みを漏らす。
「何故か昨年から妙に色々に巻き込まれてます…。まあ…過去の事はもういいんですが…できれば現在の状況を伺いたいです。」
錆兎の言葉に和田は
「そうですね」
と、うなづいた。
「実は今ここにいらして頂いたのは状況確認もですが、犯人からの要求についての説明が必要かと思いまして…
まず、こちら、旅館の方で用意された新しいプリペイド式の携帯電話です。」
そう言って和田は錆兎に電話を差し出す。
「こちらで犯人から指示を直接鱗滝さんにするとの事なんです。
一応…犯人の指示で旅館内の広大な庭や周囲の山には警察を配置するなとの事で、上から人命優先の指示が出てますので基本的には従います。
それでも可能な限り警護はしたいとは思いますがなにぶん広大な範囲ですし、この田舎で同時に殺人の方の捜査も行っているので周辺の県警に応援は頼んでおりますが、それでも人員的に行き届かない面もでて多少の危険は伴う可能性がなきにしもあらずなんですが…」
「別に俺の身に関しては自分の身は自分でなんとかできるので、ご心配には及びません。やらせて頂きます」
和田の言葉を最後まで聞く事もなく、錆兎は携帯を受け取った。
「実は…それだけではないんです。」
和田は言って立ち上がりかける錆兎を見上げた。
「犯人は…身代金を受け取った時点で一人、鱗滝さんが自力で時間内に宿についた時点で一人人質を解放すると言ってるんです。つまり…」
「あ~…妨害があるかも…ということですね?それも了解です」
錆兎はとりあえず了承する。
まあ…指名されたのが自分で良かった…それが素直な感想だ。
意地でも…成功させてみせる。
「10時半に犯人からの最初の連絡が入るとの事です。期限は12時半。
まず身代金を持って自室で待つ様に指示があったのでそのようにお願い出来ますか?」
和田の言葉に錆兎はうなづいてこれも犯人の要望でルイヴィトンのトランクに入った身代金と携帯を手に離れに戻る。
10時30分、携帯がなる。
「もしもし…」
緊張して出る錆兎。
『始めの指示だ。今自室だな?カーテンをしめろ』
電話の向こうからは当たり前だが聞き覚えのない男の声。
「ああ」
錆兎は言ってカーテンを閉める。
そしてその旨を伝えると、男はさらに言う。
『ではまずお前の携帯を教えろ』
「わかった。」
錆兎が自分の携帯を教えると、いったん携帯が切れ、自分の方のスマホに電話がかかる。
『まず警察から預かった電話はそのまま押し入れの布団の中にでも入れておけ。
今後はこのお前の携帯へ指示を送る』
錆兎は犯人の指示通り携帯を押し入れの布団の中に隠した。
『隠し終わったら金を持って、自分の携帯も目立たない様に持ち、庭の左側の道から露天方面へ向かえ』
「ああ」
錆兎は携帯を自分のコートの内ポケットにしまうとスーツケースを持って立ち上がった。
犯人の指示なのか、殺された小澤の離れのあたりは別にして、他の離れの周りには警官がいない。
錆兎はスーツケースを手に母屋を抜けると、指示通り左の道を通って露天方面へと急ぐ。
スーツケースを持って走る事10分。電話がなる。
『そのまま露天についたら、外の風よけ小屋にロープが置いてあるからそれを持って真ん中の道を戻れ』
「わかった」
返事をしてまた走る。
その後錆兎は露天について風よけ小屋のロープを取ると、今度は真ん中の道を急いだ。
そして走る事10分。また電話が鳴る。
『吊り橋についたらスーツケースの把手にロープを通して、ゆっくり崖下に降ろして下の川までついたらロープを抜け。その後ロープは処分して構わん』
「わかった」
崖下の川に流して下流で受け取るという事か…。
その為に水に浮く設計になっているルイヴィトンのスーツケースなんだな、と、錆兎は納得した。
現在11:10分。吊り橋までおそらく急げば5分くらいだ。
作業で5分くらいか…、それで11:20分。
ということは、タイムリミットまで40分ある。
吊り橋から走れば母屋まで5分くらいだ。
余裕で間に合う。
錆兎は走った。
なんのかんの言ってスーツケースは総重量8kgくらいはあるのだろうか…。
それを抱えてもう数十分も足場の悪い道を走り回っている。
昨日一睡もしてない上、食事もロクに取れない状態で…箱根で受けた腕の傷もまだ完治していないと3拍子そろうと、鍛えているといってもさすがにきつい。
それでもなんとか吊り橋にたどりついた…はずだった。
「なんだ、これは……」
呆然とへたり込む錆兎。
それもそのはず。
昨日義勇と一緒に帰った時には確かにあった吊り橋が壊れている。
一瞬放心したが、そこはトラブル慣れしている錆兎だけあって、急いでロープをスーツケースの把手に通して崖から降ろす。
ここまで走って15分かかった…ということは…露天に戻って15分。
そこから別ルートで走れば20分。かかる時間は35分。
10分以内にこの作業を終えれば間に合うはず。
錆兎は急いで…しかし慎重にスーツケースを降ろすと、ロープを引き上げてとりあえず崖の前に置く。
今は少しでも身軽になるため持ってはいけないが、あとで取りに戻れば証拠品になるかもしれない。
作業に予測通り5分かかった。
スーツケースがない分少しは早く走れないだろうか…。
とりあえず走り始めて5分。錆兎は異変に気付いた。
進行方向で煙が上がっている。
まさか…
もう少しだけ走って目を凝らすと、遠くの道が燃えているのが伺える。
風下の露天のあたりから付けた火が燃え広がっているようだ。
今いる場所は風向きが途中で微妙に風上になるのでこちらまでは火はこないと思うが、このままでは露天に戻れない。
すでに吊り橋のガケを出てから14分経過。あと27分…。
そのとき携帯が鳴った。犯人からだ。
わきあがる怒り。
「…お前が…吊り橋を壊したのかっ!
しかも露天側に戻る道に火をつけたなっ!」
『ご苦労だった、鱗滝君。
今身代金は確かに受け取ったので君の健闘を讃えてお姫様はお返ししよう』
「…ご丁寧に退路を断っておいてふざけるなっ!!」
『さあ、なんのことだ?とりあえず…そのままでは戻れないだろうから助けを呼べ。
それとも炎に飛び込んでみるか?
下手すると感動の再会のはずがお姫様が君の遺体と涙の再会とする事になるが?』
あと…23分…
「まだ20分以上ある…12時に母屋に電話しろ!
その時にフロントの電話に俺が出なければそこで初めて失敗という事だっ!」
『君の勇気に敬意を表してお姫様を返すのだから、無理はしないほうがいい。まあ…フロントには一応私から事情を連絡しておこう』
そこで電話は切れた。
それから5分後、警察の和田から連絡が入るが、錆兎は今現在の位置は安全なため、手出しをしないように念を押す。
(落ち着け…何か手はあるはずだ…)
錆兎は考えを巡らせた。遠目でも火が強い事は見て取れる。
おおよそだが露天まで1km強くらいが燃えている気がする。
火の勢いは強く、燃え尽きるのを待っていたら時間切れだ。
水で消せるレベルでもない。
第一水なんてこの真ん中の道にはない。
右側の道なら小川があったが……
(それだっ!)
錆兎はクルリと反転した。
崖の方へ戻る事2分。
あの日…義勇との帰り道にのぼった木までくる。
錆兎は迷わず木をよじのぼった。
さらに一番高い位置から崖の上によじのぼる。
あと…13分。
息が切れる。
携帯がなる。
「はいっ、鱗滝!」
走りながら出る。
『鱗滝さん…二次被害につながるようでしたら…』
心配する和田の言葉に
「中央の道は脱出したっ!
今母屋に向かって走ってるからあとにしてくれっ!」
と、錆兎は言うと、返事を待たずに携帯を切る。
崖をよじ登った時に無理な力がかかったのか、怪我をしている左腕がズキズキ痛むが気にしている余裕はない。
こちらの道からどのくらいかかるのかわからない。
とにかく走る。
あと…6分。母屋が見えて来た。
警察がズラリと勢揃いしている。
その中に見慣れた金色の頭も見える。
善逸がかけよってくるが、それを錆兎は振り払った。
「自力で…たどりつかないと」
あと3分…ヨロヨロと母屋に辿り着いて、膝をついた。
シャツの左腕が赤くにじんでる。
「医者を呼んでっ!」
かけよる善逸を錆兎はまた制する。
「まだ…電話でないと…」
ゼーゼー息を吐き出しながら、錆兎は言った。
そして12時…みんなが注目する中、フロントの電話が鳴り響く。
オンフックで出る錆兎。
「自力で…辿り着いたぞ。約束守れよ…」
錆兎は荒い息で言うが、それに対しての犯人の言葉…
『全く…お見事としかいいようがない。
申し訳ないが達成できると思ってなかったので、一人しか返す手段を考えてなかった。
もう一人については後日連絡する』
「ふざけるなっ!今すぐ返せっ!!」
怒鳴る錆兎に犯人は
『警察がウロウロする中人質を返すのはこちらとしてもかなりのリスクを伴う作業だ。
察して欲しい。
とりあえず当初の予定通りお姫様はもう返した。
使用されていない離れでお休み頂いているので確認して欲しい。
そろそろ眠り姫もお目覚めの時間なはずだ。ではのちほど』
と、電話を切る。
その言葉に錆兎は物も言わずに離れにかけだした。
もちろん警察もその後を追う。
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