義勇はよくそう思っていた。
いつもいつも父にそう言われて嫌な顔をされてきた。
確かに父がこうあって欲しい“ハキハキと明るくしっかりした”の息子像から自分は程遠くて、逆に母が望む娘像に近い。
それがわかっていたから、
──いっそのこと自分が男じゃなく少女だったなら、少しは認めてもらえたのではないだろうか…
そんな消極的な理由から、義勇は少女になりたいと漠然と思う事が時折りあった。
少女である…それは父が思う“男らしい息子像”からの逃避だった。
逃げたかった。
何から?
父から?
世間から?
嫌われ者である自分から?
逃げても逃げても結局逃げ切れるわけではないのはわかっているのに、それでも義勇は逃げたくて仕方がなかったのだ。
錆兎とのデートを翌日に控えたとある金曜日…
その日は最悪だった。
錆兎と付き合い始めた事はアオイは知っている。
もっともアオイには相手が以前助けてくれたあの青年であること、
互いに天元のおせっかいに迷惑していること、
そして…恋人づきあいをしていると言えば互いにそのおせっかいから逃れられると話しあいの結果、恋人同士という名の友人づきあいをしようと言う事になったと伝えてある。
義勇が彼とまた会いたいと思っていた事は内緒だ。
飽くまでアオイの負担を減らすため、自分はあの青年なら友人づきあいをしていくのは苦痛じゃないし、今回と同様、たまに“アオイとして”一緒に出かける事にしたということになっている。
それに関してはアオイは疑う事はなく信じたようだ。
義勇は同性の友人が少ないので、たとえ妹のふりをしてとしても、同性の友人とでかけるのは嬉しいのだろうくらいに思っているらしい。
そして…もちろん兄が自分の負担を減らすためにそうしてくれているという気持ちも信じている。
ということで、基本的には自分の都合であるという認識を持っているアオイは、義勇の服装などについては積極的に協力してくれていた。
アオイも元々は可愛い服は嫌いではないのだ。
ただ、自分には似合わないと思っているだけで……
だからそれを似合う双子の兄が着てくれるのが楽しいと言うのもあるのだろう。
毎週末の夕食後に2人でアオイの服の中からあれでもないこれでもないとコーデを選ぶのが習慣になっていた。
その日も翌日は錆兎とのデートの日。
義勇はいつものようにアオイの部屋で2人で楽しく服を選んでいた。
まるで仲良しの姉妹のようである。
金曜日の食後の憩いの時間。
父は仕事の都合で金曜日の帰りが遅く食事も別なので、義勇は週の中で金曜日の夜がとても好きだ。
「明日はこのブルーのスカートがいいな。
義勇の瞳にもよく映えるし…。
で、ブラウスはこれっ!
髪にはスカートと同色のこのレースのリボンつけましょっ。
ね、着てみてっ!
全部ね、物置きにしまわれていたのを見つけてクリーニングに出しておいたの。
うちって何故か物置きにしまいっぱなしの可愛い服がいっぱいあるのよね。
ママの娘時代のものかしら?
大切に衣装箱にしまわれているのに、虫干しすらしてないみたいなんだもの。
もったいない」
もうコーディネートは脳内で決定していたらしい。
アオイは義勇と自室に戻ると浮き浮きとした様子でベッドの上に服を広げた。
等身大のお人形遊びといったところだろうか…。
最近錆兎の事もあって、以前なら若干抵抗を試みていた義勇が素直に自分が着せたい服を着てくれるのが楽しいらしい。
義勇も元々は可愛い服は嫌いではないし、今はアオイのために錆兎と会うという大義名分があるため、どこか吹っ切れてしまった。
なので毎回お約束のパッドと下着をまず身につけ、その上から言われるままアオイが用意した服を着る。
そして着終わるとアオイは義勇を椅子に座らせて、嬉々として身につけた長いウィッグにリボンを結ぶ。
そうして出来あがった可愛らしい少女。
明日持って行く予定のバッグを手に鏡の前でクルリと回ると、アオイが楽しそうに拍手をする。
そんな双子の楽しくも和やかな時間。
しかしそれは突然の来訪者、父親によって壊される事になった。
──アオイ、お土産だぞ~!
と、上機嫌の父親の声。
仕事で何か珍しくイレギュラーが起きて早く帰ったのだろうか?
何故?と思う間もなく、ノックとほぼ同時に開いたドアの向こうから顔を出した父親。
それまで部屋を満たしていた楽しい空気が一瞬で凍った。
父親は少し酒が入っているらしく笑顔で顔を覗かせて…そして室内にいる双子に、正確には義勇に目を止め、まるで恐ろしいものでも見たように、声にならない叫び声をあげて、そのまま固まった。
目を剥いたまま、本当に凍りついてしまったように動かない。
──…パパ?
あまりに固まっているのでさすがに心配になって駆け寄って声をかけるアオイに、父親はハッと我に返ったようだが、珍しくお気に入りの娘を無言で押しのけると、どこか血走った目で義勇に歩み寄って、その両腕を掴んで、その様子にどこか怯えたように固まる息子を見下ろした。
──…義勇…か?
と言う声は強張っていて、頷くのも怖かったが無視する事も出来ずおそるおそる頷いた次の瞬間である。
頬が熱くなって、義勇は自分の身体が宙に浮くのを感じた。
そして急速に落下する。
背に感じる痛み。
それは殴られて吹っ飛んだ拍子にアオイの本棚に背をぶつけたからで、衝撃で中途半端に収納されていた一部の本がバラバラと頭上に落ちて来た。
アオイの悲鳴。
「お前は正気かっ?!!恥を知れっ!!!
男のくせに気持ち悪いっ!!!
うちにはアオイだけで良かったんだっ!!
お前なんていなければ良かったんだっ!!!!」
父親の怒鳴り声に母親も驚いて駈けつけて来た。
そして状況を見て息を飲む。
しかしすぐ何かを理解したらしく、
「義勇、ちょっと向こうへ行ってらっしゃいっ!」
と、やや乱暴に義勇の腕を取って立たせると、アオイが押さえる父親の横をすり抜けるようにして、義勇を部屋の外へと追いやった。
激昂している父親と母とアオイの女性陣2人、それに彼女達よりまだ非力かもしれない義勇。
おそらくこの場では父から義勇を離すのが確かにベストな対応で急務なのだろう…。
それはなんとなく理解出来る気がする…
それでも…おそらく父の声、父の言葉は母にも聞こえていたと思う。
それになにより、吹っ飛ばされて本棚にぶつかって、頭から本を被ってボロボロの義勇の状況は見えていたはずだ。
──ひと言でよかったんだ…
言葉に対してでも物理的な状況でも、どちらでも良いから、たった一言“大丈夫?”という言葉が欲しかったと思うのは、義勇が贅沢なのだろうか……
痛む頬、痛む背中…口の中を少し切ったらしく口内からはかすかに血の味がする。
──お前なんていなければ良かったんだっ!!
というあれは、おそらく言葉のあやとかではないのだろう。
父親からはいつもなんとなく感じていた。
義勇がそこにいるのを厭う気配。
いつもいつも、何か耐えるように、我慢しているようだった。
アオイと違って体が弱かったから?
アオイのようにしっかりしていなかったから?
アオイみたいにハキハキとしていなかったから?
それとも…きりりと綺麗なアオイと違って、うすぼんやりした容姿が嫌だった?
いったい何がいけなかったのだろう…。
わかったところで、義勇にはどうする事もできないのだが……
いつもはすぐ決壊する涙腺。
なのにあまりに諦めるしかないと、涙すら出ないらしい。
ただ、──ああ…いなければ良かったんだな……──と、ぼんやりと思った。
だからと言って空気となって消えることはできないのだから、物理的に足を動かして居なくなるしかない…。
それはほとんど無意識だった。
ふらふらと玄関に向かい外へ出る。
外はもう暗くて、夜遊びをする習慣もない義勇はこんな時間に外へ出るのは初めてだった。
どうして良いのかどこへ行けばいいのかわからない。
でも道端にいる訳にもいかないので、しかたなしに幼い頃によくアオイと遊びに来た公園へ。
小さい頃に遊んだ楽しいはずのそこは、いま夜に1人で来るとどこか恐ろしげに感じる。
でも…ロクに友人もいない義勇は家族に拒絶されたら、本当にどこにも行くところはないのだ。
あんなに楽しかったブランコに座ってもただただ怖くて心細い。
おまけに着の身着のままでコートすら着ずに出てきてしまったため、ひどく寒い。
それでも泣くほかに何も出来ずにいたその時、それは手にしていたため持って来ていたバッグの中から、このどうしようもなく心細くも悲しみに満ちた状況に不似合いな優しいメロディが流れて来た。
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