なので、錆兎は急いでシャワーを浴びると服を引っ張り出して着替える。
そう、義勇はすでに着替えさせていたが、自分は大荷物を運ぶというのもあって、車を運転していた時のラフな格好のままだったのだ。
なので、セミフォーマルくらいの…しかし街中を歩いていて浮かない程度の格好をピックアップした。
「お姫さん、片付け終わったか?
終わったなら予約の時間には少し早いけど、周りの店でもぶらつきがてら時間潰すか?」
トントンと開いているドアをノックして言えば、ぺたんと絨毯の上に座り込んで、いつも一緒に寝ている一番大きなクマに何やら嬉しそうに話かけていた義勇は、ぱあぁ~っと嬉しそうな表情で顔をあげた。
「行きますっ!
お店回りたいですっ!!」
じゃあ、あとでね、と、クマをベッドに座らせて、パタパタと走り寄ってくるユウこと義勇。
「こっちにもね、ティディの専門店があるんですよっ!!」
ジャン!!とばかりに両手で差し出してきたスマホの画面には、愛らしいクマが並んだショップのホームページ。
本当は宝飾店を覗いて、少し指輪の下見をしたかったのだが、こんなに嬉しくて嬉しくて堪らないと言うようなキラキラした目で言われたら、譲らない訳にはいかない。
「ふむ…レストランからも遠くはないな。
じゃあ、いったん車停めてから予約の時間までお姫さんの新しいお友だちを物色だな」
と、ちゃらりと車のキーがついたキーホルダーを指先で揺らすと、錆兎の可愛い可愛いお姫様は満面の笑みで大きく頷いた。
もう少し外に出るのは躊躇するかと思っていたのだが、それを口にすれば
「月に1度くらいはミアさんとお買い物してたので」
と、返って来て、もやっとする。
そう言えば義勇は月に一度くらいの頻度ででかけていたが、あれがそれだったのか…
さらに話を聞いてみると、いつもいったんミアの家に行って着替えて出かけて、帰りも着替えて帰って来ていたらしい。
そういう関係ではない、女友達のようなモノだと言っても、恋人が他の男の家で着替えると言うのはやっぱりもやもやする。
「…それいやだ……」
と、子どもっぽいと思いつつも思わず零れ出てしまった言葉に、きょとんとする恋人。
それになんとごまかそうかと考えを巡らせるが、結局、今ごまかしたところで、いつかまた同じことを言ってしまう自分の未来が予想出来すぎて、錆兎はため息をついた。
「えっと…な、恋人がたとえ着替えでも他の男の家で裸になるのは複雑な気分でな…。
出かけるまでは…仕方ないけど、着替えは家じゃダメか?
ちゃんと人目につかないように、俺が車で送るから…」
本当に心が狭いと思われるだろうなぁ…と思ったら、隣で真っ赤になる恋人。
「…お姫さん?」
と、肩を抱いて引き寄せると、腕の中でわたわたと動揺している。
どうしよう…可愛い…
「あ、あのね、ミアさんとはお友だちで…というか、ミアさん、好きな方がいて、その相談というか恋バナ?とかも聞いてて…私となんとかということは全然なくって…というか、は、裸って……っっ」
そんなもの見て意識するのは錆兎さんだけですよ?…と、耳まで真っ赤になりながら上目遣いで見あげられると、我慢できなくなった。
「すまんな~狭量で。
でも本当にお姫さん可愛すぎて、どうにかなりそうなんだが…」
と、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。
この会話をしていたのが外に出る直前の玄関先で良かったと思った。
寝室だと真面目にやばい。
「さ、錆兎さんっ、…急がないとお店回る時間が…っ……」
バタバタとしながらそう言うお姫さんを、なんとか理性を総動員して放すと、
「だな。まあ、1カ月近くあるから慌てることもないが、レストランの予約もあるしな」
と、義勇を連れて駐車場へと足を向けた。
道行く人が振り返って行く。
目立つのが大好きな宇髄あたりならそんな状況にご満悦になる気がするが、錆兎自身はそんな人目をひくほどに愛らしい恋人に複雑な気分だ。
なにも自分以外の目に入れたくないとかそういう意味合いではなく……いや、それも少しはあるかもしれないが、一番怖いのは、錆兎の恋人は普段が男のせいかその手の危機感がなく無防備すぎるので、目を離している間に連れて行かれることである。
そう言えばこの手の格好をしている恋人に初めて会った時も、ちょうどそんな愛らしすぎる様子に血迷ったチンピラに拉致されそうになっている時だった。
だから自身はそれほど興味があるわけでもないヌイグルミ店でも片時も離れないように傍らに寄りそう。
そうして時間は常に気にしながらも、楽しげにクマを物色しているユウの笑顔をカメラに収めていく。
もちろんそれは非表示用フォルダ保管用だ。
万が一にもクマからバレたら困る。
その後、店を出て一緒に歩く道々とかレストランでの様子は“見せるようの”フォルダへ。
都会ほど多くはないが、それでも決して少なくはない人ごみで、道行く人がたまに振り返って行くくらい可愛らしい恋人だ。
それを差し置いて自分が取ってかわれるなどと思う女は少ないのではないかという気持ちを錆兎はさらに強くした。
レストランは海に面した雰囲気のあるレストランで、海が見える窓際の席を予約しておいた。
さきほどの店でお迎えした全長30cmほどのクマを隣の席において、夕陽の沈む海にきらきらした目を向けるユウは可愛い。
バカンス中は基本的にはマーケットで新鮮な海の素材を買って自炊しようとは思っているのだが、錆兎の脳内でたてた計画では、このレストランには最低あと1回はくる予定だ。
そう、こちらの宝飾店の場所も調べておいたので、そこで指輪を買って、このレストランで渡そうと思っている。
錆兎の思う正式なプロポーズ前の交際期間にはずいぶんと短い気もするのだが、まあ“ユウとウサ”として一緒にいた期間をいれれば、付き合いはもう実に3年弱になる。
それなら良い長さなんじゃないだろうか…。
だから本当は一刻も早く指輪をゲットしたかったのだが、ユウの希望が一番なので、明日以降に持ち越し。
明日はどちらにしてもマーケットで食材を買うので、ゆっくりと色々回る中で寄れば良い。
ネットも入れれば交際期間3年弱。
こちらで指輪を買ってプロポーズ。
そしてそのままできれば正式に籍を入れる…
そんな完璧すぎる計画は、滞りなく実行されねばならない。
…そう、思っていたのだが、レストランから別荘に帰宅後、早くも瓦解のピンチに陥る事になった。
「錆兎さん、せっかくだし、今日は一緒に入りませんか?」
食事を終えての帰宅後、さあ風呂に入ろうとなった時にそれは訪れた。
二階にある露天風呂。
その方がリゾート気分を味わえるだろうと、錆兎はそれをユウこと義勇に譲って、自分は1階の風呂に入ろうと部屋で着替えの準備をしていた。
だが、同じくそれも錆兎が用意した“お姫さん用”のネグリジェその他着替えを持ったユウが錆兎の部屋を訊ねてきて、そんな恐ろしい事を口にしたのだ。
結婚するまでは清い関係を保つべき
それは実はその手のことには厳しい親に育てられた錆兎にとって、当たり前の考えだった。
同性?そんなことは関係ない。
だって、好きな相手なのだ。
自分と同じつくりの身体だったとしても、どうしたって興奮する。
ましてやしつこいようだが錆兎は知識だけは豊富なDTなのだ。
脳内では愛しい恋人をあれやこれやしたことは数知れず。
最近のおかずは恋人一択という状況で、実際に一糸まとわぬ相手の姿を見て、血迷わないでいられる自信はない。
ということで、
「お姫さん、1人の方がゆっくりできるだろ?
俺は下の風呂使うから」
と、やんわりと辞退してみたのだが、
「湯船は広いし、大丈夫!
せっかくだし、一緒に海を見ながらお話も楽しいと思いませんか?」
と、実に無邪気にのたまわってくれる。
襲う…これ、絶対に襲ってしまうフラグだろう?!
とは言えず、かといってあまりに固辞すれば、それでなくても悲観主義の義勇を傷つけるだろう。
そうして出て来た苦渋の言い訳
「…ここにいる間は義勇は“お姫さん”だからな。
お姫さんらしく、温泉のマナーとしてはアレなんだが、バスタオル全身に巻いて入ろうな?」
と言うと、義勇は目を丸くした後、次の瞬間
「色々シチュエーションにこだわるんですね。わかりました。そうします」
と、小さく吹きだした。
ちがうっ!!こだわってるのはシチュエーションじゃなくて、良識の方だよ!!
…とは言えなくて錆兎は頷いて、義勇に先に洗い場を使って露天に入っておくように指示をする。
そう…洗っている間にはだかを見ないですむように……
お・れ・の……ばかやろおぉぉぉーーー!!!!
数十分後、錆兎はその時の自分の発言を後悔して頭を抱える事になる。
義勇が身体を洗い終わって湯船に浸かる後ろ姿を確認した瞬間、嫌な予感はあった。
それでも逃げるわけにもいかず、意を決して洗い場に。
そしてなるべく湯船に目をやらないように身体を洗い、しかし洗い終わったらそこにとどまるわけにもいかず、義勇が待つ湯船へ。
まるで長い洗い髪をまとめているかのように頭に巻いたタオルの下に、湯で薄桃色に上気した細い項から肩にかけてのライン。
湯からかすかに出る胸までしっかり巻いた白いバスタオル。
それらが立ち込める湯気の中、浮かび上がる様子は、何も身につけていないよりまだ艶めかしい。
腰に巻いたタオルの下でしっかりと立ち上がる錆兎の錆兎。
これはまずい…。
すごくまずい。
このまま浴槽に向かったら絶対に暴走する!!
「悪いっ!俺、絶対に早々に入れておかないといけない連絡忘れてたっ!!
ちょっと一本だけメール入れてくるから、もしのぼせるようならあがっててくれっ!!」
と、言うと、追いつめられた感が顔に出ていたのだろう。
よほど大切な連絡だと勘違いしてくれたらしい義勇が
「そうですか、私の事は気にせず急いで出してきて下さい。
間に合うと良いですね」
と、言ってくれたので、慌てて部屋へと戻った。
そして行く先はトイレ。
何度か抜いて風呂に戻ると、義勇はさすがに熱くなったのか、湯船のふちに腰をかけて足だけ湯につけて、それでも海や星空といった風景を楽しみながら待っていてくれた。
錆兎が近づいていくと
「…間に合いました?」
と、見あげてくるのに、
「…なんとか…な」
と、もう変な気もおきないようにと何度も抜いてきたのでさすがにぐったりして答えると、
「錆兎さんがミスって珍しいですね」
と、クスリと漏らす笑み。
微塵も疑っていない様子にホッとしながらも、脱力して湯船のふちに背を預けてはぁ~っとため息をついていると、いい子、いい子とばかりに白い手が伸びてきて頭を撫でてくる感触が心地いい。
そんな中…明日からは風呂の前にはトイレ行くの忘れないようにしないとな…と、錆兎は秘かに心のメモ帳にしっかりと暴走しないための対策をメモして行くのだった。
こうして風呂をなんとか切り抜け、夜。
自分で希望したものの、こういう場所で改めてユウモードの義勇といると、色々と危険な事がわかった。
ユウと過ごしたいという気持ちはもちろん今でもたぶんにあるのだが、義勇といた時の距離感だと、恋人として意識してしまったというのもあって、自分の暴走が怖い。
ずっと抑え続けすぎた雄の本能の前には後天的に鍛えた理性はあまりに脆弱だ。
自分自身が描いて準備した“ユウとの幸せバカンス生活”が、皮肉な事にどんどん自分を追い詰めていく。
そもそもが義勇とは最初は恋情ではなく庇護欲だったから極力距離を近くしていたので、“恋人”となってしまうとその距離感で清い関係を保つのが難しいのだ。
DTを守っていたとはいえ、別にそういう事に興味がないわけじゃない。
いや、むしろ経験者よりも、今まで抑えていただけに、そう言う事に貪欲だと思う。
これは…早々にプロポーズ、入籍まで持って行かないと身が持たない。
とにかく明日は店が開き次第、宝飾店にGO!だ。
そんな事を考えつつ、寝るには早いしどうしようか…と思っていると、トントン、と控えめなノックの音。
「どうぞ?」
と、言いつつも、一応立ち上がってドアを開けると、眩暈…。
うん…俺が馬鹿だったよな……自分で自分追い詰めたよな、これは…
…と、これをノリノリで用意していた頃の自分を殴り倒したい気分になった。
自分好みの真っ白なレースをふんだんに使用した清楚なネグリジェ…。
露出は少ないのだが、胸元に結ばれた細いリボンをしゅるりとほどけば、少し前がはだけてしまう。
もちろんその辺はちゃんと結ばれてはいるのだが、妄想…そう、DTの妄想を刺激するのだ。
その上にもきっちりと上着を羽織ってはいるのだが、それも何しろ夏と言うこともあり、薄いレースのカーディガンで、乱暴に扱えば簡単にビリビリと裂けてしまうようなものだ。
いや…乱暴になんかしないけどっ!しないけどなっ?!!
と、その考えにも誰にともなく脳内で言い訳。
色々テンパっている錆兎に、義勇は飽くまでユウモードを崩さない敬語で、そのくせ
「まだ寝るには早いし、せっかくだから明日からの予定とか、色々おしゃべりしませんか?」
と、部下で愛息子だった頃のままの無防備さの提案をしてきて、錆兎は泣きそうになった。
きちんと籍を入れるまでは一定の距離感を保ちたい…
だが、拒絶している感を与えたくない。
色々がクルクル回っている間に、義勇はいつもの感覚で
「お邪魔しま~す」
と当たり前に部屋に入り、当たり前にベッドの上へ。
…据え膳……と一瞬そんな言葉が脳裏をよぎるが、たぶん本当にこれまでの親子か兄弟のような関係の延長線上の感覚による行動なのだろうと思ったら、絶対に手を出せない。
入籍をして、きちんとそういう関係なのだと相手が認識しての行動でない限りは、手を出してはいけない。
さあ、一難去ってまた一難。
この苦境をどう乗り越えようか…
錆兎は内心頭を抱えながら、必死に打開策を探るべく脳内をフル回転させるのだった。
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