義勇に関しては事情を聞きたいだけで、別に脅して拘束したいわけではないのだ。
まあ…手放してやれる気はしないので、事情が分かれば穏やかに優しく…しかし断固として説得するつもりではあるが……
玄関からほんの2mほどの短い廊下の先、リビングにつながるドアを開けると、錆兎の愛し子が若干怯えたようにソファに座っている。
出ていった原因は何かわからないが、黙って出ていった手前、気不味い事は気不味いだろうし、気持ち良く戻ってもらうためには、義勇が取った行動に対しては微塵も怒ってはいないのだ…と、示す事がまず必要だ。
だから錆兎は威圧感を与えないようにと、義勇の手前で片膝をついて、みあげるようにして話をする事にする。
本題に入る前に、まず心配をしているという事を前面に。
「真菰が見かけた時は公園で座ってたって言うし、このところ体調も崩してたしな。
少し心配した」
と、微笑みかけてやると、大きな目を見開いて硬直していた義勇はぽろりと涙をこぼして
「ごめんなさい…」
と言う。
まるで親に叱られた子どものような様子に、元々責める気などなかったのだがさらに憐憫の情が募った。
「別に怒ってもいないし、義勇が謝る事でもない。
ただ事情がわからなかったから、俺が勝手に心配しただけだ。
…で、いきなり出ていった理由…聞いても良いか?
俺が何かお前の気に障る事してしまったか?
それならごめんな?
なおせるものならなおすし、謝るから」
いつもそうするように下から手を伸ばして義勇の柔らかい頬に掌で触れると、親指で零れた涙を拭ってやる。
すると義勇はしゃくりをあげて
「さびとは…悪くなくて……」
と、首を横に振るので、どうやらまた何か悲観的な方向の思い込みにとらわれたのか…と、錆兎は意識してゆっくりとした口調で聞き返した。
「俺が悪いわけじゃない?」
との錆兎の言葉に義勇はこっくりと頷く。
「おれがっ…かってに…こわがって……」
ひっくひっくと嗚咽の合間から漏れる言葉に、錆兎は考え込む。
もしかして、宇髄の時に懲りた女性社員達が直接的じゃない表現で義勇に何かプレッシャーをかけたのか?
そんな錆兎の想像は、次の瞬間あっさり否定された。
「さびとっ…がっ…いやになるからっ…おれのことっ……」
何故そうなるーー?!!!
あまりに突拍子もない発想に錆兎は内心頭を抱える。
ありえないだろう。
正直、錆兎は人当たりは良いが、基本的には来る者拒まず去る者追わずという主義で、常に周りと一線を画している。
そんな自分が半ば強引に自宅に住まわせたり、こんな風に追いすがってくるだけで、どれだけ特別な存在なのか、わかって欲しいわけなのだが……
「あのなぁ……」
はぁ~とため息をつきながら、錆兎は義勇を抱きしめた。
「俺は元々はきつい顔立ちしてるせいで他人に距離をとられやすかったんで、努めて人当たりは良くしているから誤解されるんだけどな、元々はパーソナルスペースが狭い方ではないんだ。
仕事では面倒見たり親しくしているようでも、プライベートには足踏み入れさせない主義だしな。
ほぼ寝に帰るだけだった前のマンションですら他人を招いた事はないし、ましてや生活スペースになってる今の家で一緒に暮らすなんて、特別な相手じゃないとしないからな?
義勇は試した事ないかもしれないが、今の家で俺の私室の鍵な、かけたことないんだぞ?
いつでも義勇が来れるようにだな、いつも開けてる。
俺は家族仲はすごく良好で、父の事はもちろん好きだし真菰も喧嘩はするが兄弟みたいなものでなんのかんので仲は良いが、それでも親しき仲にもってことで、実家に居た頃でさえ自分の部屋はきちんと鍵をかける習慣のあった俺が、だ。
そのくらいお前は特別なんだよ。
ちょっとやそっとの手間暇かけられたくらいで嫌になるくらいなら、一緒に住まわせたりしてないぞ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめながらそう言うが、手の中の愛し子は
「でもっ…さびとっ…いやになる……」
と、泣きながら首を横に振る。
「だ~か~ら、ないって。
どうすれば信じるんだ。
籍でもいれれば気がすむか?」
自分の事が嫌になったわけではなさそうな反応にホッとしつつも、頑なに錆兎が自分を嫌になるのだと主張する義勇に錆兎が悩んだ末にそう言うと、
「…りこん…もっとやだ…かみ…いちまいで……死ぬまでおちこむ……」
と、即答される。
その返答に、不謹慎ながらどんだけ後ろ向きなんだと錆兎は小さく吹きだした。
さて…とりあえず籍を入れると言う話をして結婚が嫌だではなく離婚が嫌だという返答が返ってくるということは、どうやら自分といる事が嫌なわけではないという事は確定と思っていいだろう。
だいぶ軽くなった心。
おかげで理性と知性が脳内で復活し始めた。
「確かに…紙一枚だよなぁ…じゃあ、一生変わらないものなら良いか」
錆兎は義勇の肩口に顎を預けた状態でその耳元で笑みとともにそう言うと、義勇の両肩に手を置いて少し身体を放した。
急に離れた距離に不思議そうに見あげてくる涙でとろけたキャンディのような瞳。
ついで、ぽかんとかすかに開いた桜色の唇に視線を移すと、錆兎は指先でその下の小さな顎を持ちあげた。
そしてそのままもう片方の手を義勇の細い背に回すと、身体を引き寄せる。
ふわりと触れる唇と唇。
そのまま深く暴いてしまいたい気に駆られるが、今の段階でそれをすれば怯えられかねないと、理性を総動員して唇を放した。
まだ何が起きたかわかってませんと丸分かりな様子で固まっている義勇に、そこで言ってやる。
「俺はな、“そういうこと”は本当に惚れた奴としかしないって決めてたからな。
正真正銘、初めてのマウストゥマウスのキスだ。
な?これなら義勇が何か失くすことも今後なかったことにも絶対にならないだろ?」
だから信じろ…と、続けると目の前で見る見る間に赤く染まって行く顔。
その様子があまりに可愛らしくて、錆兎がまた義勇を抱き寄せ
──これで足りないなら、なんなら抱くか?
と、耳元で囁くと、手の中の天使は声をあげて泣きだした。
…え?えええ???嫌だった?!!!!
と、その反応に錆兎が焦るも、彼の口から出て来たのは、
──さびとっ…全部知ったら絶対後悔するぞっ!
…で、どうやらキスが嫌だったのではないらしいことにホッとする。
義勇に関することだともう、メンタルの浮き沈みが我ながらジェットコースター並みだ。
「全部ってなんだ…俺は後悔しないぞ」
と、くしゃりと錆兎が自分の前髪を掴んでため息をつくと、義勇は一瞬少し躊躇して、そしてひどく思い詰めた様子で上目遣いに錆兎を睨んだ。
「最初に約束して欲しい」
と、悲しそうな目で言うので、
「なにをだ?」
と問うと、義勇はまたポロリと涙をこぼして
「俺のこと…いやになると思うけど…腹がたって嫌いになっても色々言わないで、黙って去ってほしい。
怒らないでっていうのは勝手だと思ってるけど…」
と、うつむく。
そんな姿が可哀想で愛おしくて、言いたい事は色々あるが、とりあえずは
「さっきも言った通り、俺がお前を嫌うなんてありえんが…万が一があったらそうする。
約束する。だから話せ」
と、先をうながすために、その要求を了承した。
さて、約束はしたものの、これだけ特別なんだと説明してもなお、錆兎が自分を嫌うかもしれないと義勇が思っている理由は気になる。
よほどすごい事なんだろうか……
やや緊張はするが、ここでどういう理由であろうと動揺している事を悟られてはならない。
錆兎は気合いと根性でポーカーフェイスを貫きながら、次の義勇の言葉を待った。
目の前でぎゅっと白くなるほど強く握り締めて震えている義勇の手を取ると、
「良いから話せ。
緊張する必要なんかない。
俺はたぶん…お前の身に危険が及ぶような事以外は、お前が何をしてようと許せる自信がある」
と、その冷たくなった手を開いて握ってやる。
すると、
──…騙してた……
と、小さな小さな声が漏れた。
「俺を?」
と、その言葉に聞き返すと、こくりと頷く義勇。
ぽろりぽろりと零れる涙をハンカチで拭ってやりながら、錆兎は苦笑する。
「でも本当にそうだとしても全然平気そうじゃないから…責めようって気も起こらないぞ。
むしろ隠してる事で義勇がストレスで潰れそうで心配だ。
なにを隠してたって怒らないから、言って楽になってしまえ」
と、その肩を抱き寄せて細い背をぽんぽんと宥めるように軽くたたいてやる。
嘘じゃない。
何を騙していたのかはわからないが、義勇が胃を壊していた原因がそのストレスだとしたら、取り除いてやりたいと思いこそすれ、腹なんかたつ気がしない。
どんなことでも許そう…そんな覚悟でいる錆兎。
しかしその後義勇の口から出て来た言葉はそんな錆兎の想定の範囲を遥かに超えていた。
いや、もう許す許さないという問題ではない。
──おれっ…ユウなんだ……
「はあ???」
おそらくその時の錆兎は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いない。
(…ユウって?英語の二人称代名詞???)
と、まず思い、それどういう意味だよ!と自分の脳内で自己突っ込みをする。
訳がわからない。意味がわからない。
意味を取りかねている錆兎の前で、義勇が泣きながら
「さいしょはっ…ぐうぜんでっ…あのうさがっ…かちょうほさのさびとだって、わかんなくてっ…
でもっ…でも、わかったときには言えなくてっ…そのままやめればいいのかなって…っ…
まさか…きにして待っててくれるとかって…おもわなくって……」
と続けられた言葉で、意味はわかったものの、さらに驚いた。
「義勇がお姫さんだったのかぁ?!!!!」
思わず大きくなった声に、身をすくめる義勇。
それにハッとして、錆兎は反射的にその小さな頭を撫でた。
「なんだ。言ってくれよ!
どっちを優先しようか悩んで損した!」
もう思い切りため息と本音しか出てこない。
まず安堵して、それから思いだした。
そう言えばユウが体調が悪いと即落ちをしたのは、自分が化粧品のモデルをやるという話をした時だった。
なるほど。
あの時に初めて気づいて…それから悩んでいたのか、と、思うと、知らなかった自分がどうこう出来たわけではないが、可哀想な事をしたと思う。
知らないまでももう少し状況を冷静に考えて原因を推測しようとしてみたらそこに行きついて、そうしたら義勇が胃を壊して痛い思いをすることはなかったんじゃないだろうか…
そう思ったら、すごく自分が悪い気がしてきて、
「ごめんな。俺が気づいてやれれば、義勇が胃を壊して辛い思いせずにすんだのに…」
と、抱きしめる手に力を込めると、今度は義勇の方が驚いたように
「さびと…怒ってないのか?」
と目を大きくみひらいた。
怒るわけがない。
怒るわけがないだろう。
錆兎的にはどちらかを選ばなければと心を痛めていた最愛の2人が実は同一人物だったということは、どちらも見捨てずに済むのだ。
「なんで怒るんだ。
嘘ついてたわけでも騙してたわけでもないだろう。
義勇は言わなかっただけだ。
まあ、俺の人生の2大特別な人物の義勇とお姫さんが同一人物だったってことがわかって、手放してはやれないなとは思ってるが…
なにしろ27年間の人生の中で初めて出会った、男でも女でもプライベートでも仕事場でも…どんな状況でも大切に思える相手だ。
むしろ気づいてやれなくて、不安な思いさせてごめんな?
猛省して本当に大切にするから、戻ってきてくれるか?」
抱きしめて額に口づけを落とすと、大きな目からまたぶわりと涙が零れ出た。
──…っ…もどって…いいのか?
嗚咽の中から絞り出すような言葉に、2人の家を出ると言う事が家族も実家もない、実質天涯孤独な義勇にとってどれだけ辛い事だったのかと想像出来てしまって、胸が痛む。
「当たり前だろ。俺とお前の家だ。
今後どちらかが何かやらかして、どうしても一緒にいると言葉が過ぎるような状況になったら、俺の方が頭を冷やしにマンションに泊まるから。
義勇は二度と出て行かなくて良い。
まあそんなことまずないけどな。
義勇と離れるくらいなら、俺の方が土下座でもなんでもするし」
そう言って少し身体を離すと、視線を合わせて笑う。
「で?戻ってくれるか?俺の大切なお姫さん?」
と、言葉を続けると、涙が伝う頬が一気に真っ赤に染まった。
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