──もしかして…冨岡?
それはバカンス直前の日にあった打ち合わせの帰り道のことだった。
隣には上司の真菰。
彼を先に見つけたのは当然彼女だった。
彼女とバラを愛でる会のメンバーはは男女問わず可愛い子が大好きで、さらに言うなら、特に男同士の恋愛の話が大好きだ。
今の彼女の一番のお気に入りは何を隠そう面接の時に村田を助けてくれた冨岡義勇で、わかりやすく彼を気に入ってスカウトして可愛がっている上司の鱗滝錆兎課長補佐とくっついてくれることを、日々望んで妄想している。
そんな彼女だから、どことなく元気のない様子で夕方の公園のブランコに座り込んでいる義勇を見逃すなんてことはありえない。
それでもいきなり別部署の上司の自分が声をかけるよりは同僚のほうが良かろうということまで気が回るあたりが、彼女がただのテンションが高いだけの腐女子とは違うところだ。
「村田、バカンス前の最後の仕事よ」
と、彼女は少し離れた植え込みに身を隠しつつ、鋭い視線を村田に向けた。
おそらく仕事といっても会社の仕事とは直接的には関係がない。
だが、彼女のこういう趣味が会社に莫大な利益をもたらしている彼女の人脈を作っている部分がたぶんにあるので、拒否権はない。
「はいはい。冨岡に事情を聞いてくればいいんですよね?
わかったらどうします?」
村田もさすがに慣れてきていて、諦め半分そう上司の美女にお伺いを立てると、彼女は
「君もホント成長したわよね。
そういう察しのいいところは慣れもあるけど、才能ね。
モブはモブでも一流のモブだと思うわよ」
と、褒めているのか落としているのか微妙なところだが、おそらく褒めてくれているのだろう。
満足げにそう言って頷いた。
まあ見つけたのは上司でその命令ではあるのだが、村田自身もどことなく元気のない義勇をみかければ、声をかけたいという気持ちがないでもない。
なにしろ彼は恩人だ。
あの面接の日、彼が手を差し伸べてくれなければ、村田は社会人にあるまじきボロボロになった服装で面接に臨む勇気も持てず、自宅に逃げ帰ってた可能性もあるし、よしんば気力だけで面接を受けたにしても、あのひどい格好では落とされていただろう。
その後、新人研修で話をした彼はやっぱりあの日のまま天使のように優しげな青年だった。
まあ彼にはワールド商事最強と噂される優秀な上司がついているのだから自分なんかに相談するようなことはないかもしれないが、それでも少しでも力になれることがあれば…と、心から思って、村田は真菰から離れてその小さな公園に足を踏み入れると、そのブランコで揺れる細い影に思い切って声をかけたのだった。
「村田…」
村田が近づいてきたことにすら気づかなかったのだろう。
目の前の天使のように綺麗な同僚は、びっくりしたように顔をあげた。
同じ成人男性とは思えないその子猫を思わせるような大きな青い瞳が驚きのあまりさらに大きく見開くのを見て、村田はそれがコロンと零れ落ちてしまうのではないか、などと、馬鹿なことを考える。
当然そのくるくるとまんまるの目が零れ落ちるようなことはなかったが、そのかわりにその目尻にあふれ出た透明な雫が零れ落ちた。
しかしそれだけでも村田を動揺させるのには十分すぎる出来事である。
なにしろ彼は物心ついた時から、まさに名は体をあらわすとばかりに、モブにふさわしい人生を送ってきたので、こんな風に世の中から見て主人公クラスの人間がどこか沈んで涙をこぼすような場面に立ち会うことはなかったのだ。
そういう場面に立ち会うのはたいてい、やはり主人公クラスの…そう、たとえば目の前で泣いている彼の直属の上司の社内一のキレ者でイケメンと名高い鱗滝課長補佐のような人物のはずである。
「え?え?どうしたの?どこか痛い?」
などと、まるで子どもの様な反応しかできない村田に、彼は
「どこも痛くない…」
と、こちらもなんだか子どものようにかぶりを振り、そして目の前に立つ村田をみあげて言った。
「突然なんだけど…」
「うん」
「村田は一人暮らし?」
「そう。大学からこっちに出てきたから、ずっと一人暮らしだよ」
あまりに唐突な質問に戸惑いながらもそう答える村田だったが、それに続く言葉にはもっと戸惑うことになる。
「あの…しばらく…住居が見つかるまで…なるべく1週間以内くらいでなんとかみつけるから、村田の家に泊めてもらえないだろうか…」
「は???」
いや、別に拒否の言葉ではない。
あまりに突然の申し出だったので思わず聞き返してしまったわけなのだが、それを呆れとか何かマイナスな感情と受け取ったのだろう。
彼は
「ごめん…でも他にお願いできるような相手がいなくて…
無理なら荷物だけでも預かってもらえないかな?
トランク2つ分くらいに収まる程度だと思うから…」
と、肩を落とす。
「ちがっ!!違ってっ!!!
突然だったからびっくりしただけっ!!
もちろん冨岡ごと泊まってもらってぜんぜんかまわないよ。
今冨岡が住んでいる家ほど広くも綺麗でもないけど、それでも良ければ…」
と、村田が慌てて否定すると、彼はまたびっくり眼で村田を見上げて、そしてふわりと笑みを浮かべた。
「ありがとう。恩はできるだけ早いうちに返すから」
と、彼は律儀に言うが、そもそもが村田の方が先に返しきれないほどの恩を受けているのである。
それに、本当に何度も繰り返すが、彼は成人男性に見えないくらい愛らしい天使のような青年なのだ。
村田は根っからのモブ気質で、どんな物語でも自分が舞台の上にあがったり主人公やヒロインとどうこうなろうと思う気持ちは欠片もない、そういう意味では限りなく安全な男だからいいが、普通の男に彼みたいな可愛らしさの塊のような人間が泊めてほしいなんて持ちかけたら本当に危ないと思う。
貞操の危機だ。
そしてそんな事態を巻き起こす原因を村田が作ったなら…今彼を目ざとく見つけて自身は見つからないように公園の外からガン見しているのであろう上司真菰に確実に殺される。
そう、別に泊めるのが嫌とかはまったくないが、嫌だったとしても村田に拒否権など欠片もないのである。
──荷物はまとめておいたから、課長補佐が戻ってこないうちに…
泊めるのを了承した直後、立ち上がった義勇に手を引っ張られてその言葉を投げかけられた時点で、村田は理由を聞かずに了承した自分の軽挙を少し後悔し始めた。
これ…課長補佐の了承を得てない行動だ…
つまり…加担したのがばれたら課長補佐を思い切り敵に回すことになる…
半分人生が終わった気分で、それでも手を振りほどくことはできずに大通りに出て拾ったタクシーの中、直帰しても良いと言われていたが一応連絡を入れておくからと断って、村田はメールを打ち始めた。
もちろん相手は社内にいる誰かではなく、上司の真菰にである。
義勇を泊めることがイコール課長補佐に敵対することになるとは思ってもみなかったので、なにかあったら救出よろしく…と、これまでの経緯の報告とともに送ったなら、まかせてっ!という言葉と共にピースサインの絵文字。
ああ、いまごろテンション高く良い笑顔してんだろうなぁ…と、その返答に村田は遠くを見る目になった。
本当にモブ気質のわりに、なんだか最近は物語の中心にいすぎる気がする。
そういえば以前も思いがけず新人研修で一緒になった義勇に、面接の時のお礼にと翌日菓子を送ったら、その日の午後、わざわざ礼を言いにこられた気がするし…
何故か義勇本人ではなく、目が笑っていないとても怖い笑みを浮かべた鱗滝課長補佐に。
あれは怖かった。
仕事はできてイケメンで誰にでもきさくでフレンドリーな好人物。
と、それが鱗滝課長補佐の人物評だが、それはきっと彼が滅多に他人に対してマイナス感情を出すことがないので、嫌われた人間視点を体感した人がいないからだろう。
でも怖いのだ。
あの日…義勇に渡した菓子の礼を言いに来た課長補佐は魔王のように怖かった。
バックにおどろおどろしくも激しい怒りの炎を背負ってるのに口元には笑み。
本当に呪い殺されるかと思って、その日は恐ろしさに眠れず、一晩家中の電気を全開にして、お気に入りのアニメを見てすごしたのだ。
お礼に菓子を渡しただけでもアレなのだ。
課長補佐がいないところでお気に入りの義勇の家出を手伝ったなんて知れたら自分はどうなるのだろうか…
でも断って義勇が変な輩に同じことを持ちかけて何かあっても、何故知っていて止めなかったと課長補佐に殺される。
そこでじゃあ課長補佐に連絡を入れたとしたら、今度は義勇は自分を介さずやはり変な輩に相談を持ちかけて…それで、相談できないような環境を作ったという責任を追及される気がするのは気のせいだろうか…
そう。もう知ってしまった時点で泊めても地獄、泊めなくても地獄なのだ。
人生が半分終わっている。
頼りは村田の命よりは自分の趣味の方をはるかに重要視しそうな、この苦境を作った女上司だけだ。
村田…23年間の人生の中で一番のピンチである。
こうしてひやひやしながら鱗滝課長補佐邸から義勇の私物を運び出すと、そのままタクシーに自宅へと向かってもらう。
鱗滝課長補佐の家は本当に立派な家だった。
こんな家をぽ~んとキャッシュで買ってしまうというのがすごいと村田は感心した。
そんな家を出て大きいかばん二つだけを持って向かう先が築40年ほどの2DKの自分のアパートというのがなんだか、いかにも家出という感じがする。
「ボロくてごめんね」
と、タクシーから降りてかばんのうち1つを持って鉄の階段をカン、カン、と鳴らしながら自分の部屋がある2階へとあがって言うと、エレベータもなく吹きさらしの古い階段が唯一の2階への移動手段というボロいアパートを物珍しげに見ていた義勇は首を横に振り、
「俺のほうこそ…突然ごめん。
それでも泊めてくれるなんて、村田は良い奴だな」
と、小さく微笑んだ。
そんな彼はなんだか儚げに見えて、我が身の危険があるのについつい手を差し伸べてしまいたくなる。
しかし村田の上司の真菰はどうやら彼を課長補佐とくっつけたいらしいし、村田自身も助けはしたいものの、じゃあ鱗滝課長補佐にとってかわりたいかというとそういうわけでもなく、ただ自分に親切にしてくれた優しい同僚が困っているなら助けたいというだけなので、何か行き違いなりなんなりがあるなら出来れば2人の間で問題を解決して欲しい。
自分はそれまでの間、一時的な避難場所になるだけだ。
だから大丈夫…きっと大丈夫。
そんな事を考えながら、村田は中学の修学旅行の時に土産物屋で買ったちゃちなご当地もののキーホルダーについた鍵を取りだして、がちゃりと鍵を開けて玄関の電気をつける。
そして
「狭いけど、どうぞ」
と、ドアを開けた状態で道を譲ると、義勇は
「お邪魔します」
と、礼儀正しくお辞儀をして中へと足を踏み入れた。
天使が自分の部屋にいる……
それは村田の人生の中で、すさまじく特別な光景だった。
ありえない。実にありえない。
自分の人生の中では主人公やヒロインなど、主要人物となりうる人間はいつも、自分よりも少し離れた場所に存在していたはずである。
なのにこの紛れもなく主役級の愛らしさを持つ同僚は、今、村田の家のリビングとダイニングを兼ねた、そう広くはない部屋の古びた小さめの1人がけのソファにちんまりと座っているのだ。
ティーセットなんて洒落たものもないので、普通のコップに入れたウーロン茶。
それを両手で持って落ちつかない様子で部屋を見回している。
村田はとりあえず自分もウーロン茶のコップを手に、夜にDVDでも見ながらつまもうと思っていたスナック菓子の袋をバリリと開けて、
「こんなものしかないけど、良ければつまんで?」
と、テーブルに置いて、義勇の正面のソファに座った。
こうしてとりあえず自分もローテーブルを挟んで彼の正面に落ちついたところで問題解決の手掛かりをつかもうと、口を開く。
「あの…さ、課長補佐と喧嘩でもしたの?」
下手な事を言って事態を悪化させるわけにはいかないとしばらく悩んだあと、思いきってそう切り出すと、義勇は少し困ったような顔で首を振った。
「いや…全然。
課長補佐はいつでも優しいし、俺の方が喧嘩する気があったとしても喧嘩にならないと思う」
と、相手の口から出て来た言葉に、そりゃそうだろうなぁ…と、村田も納得する。
村田は広報企画部の真菰の直属の部下なので、このところ例の化粧品のポスター撮りなどで2人と一緒になる事が多いのだが、鱗滝課長補佐は義勇を本当に大切に大切にしているように見える。
もともと面倒見が良いフレンドリーな感じの人ではあるが、それプラス、彼を見る時の目はとても優しいし、慣れない撮影で疲れ過ぎないようにとか、自分のファンの女子社員達におかしなちょっかいをかけられないようにとか、とにかく何かにつけてさりげなく気づかっているように見えた。
もちろん人間には多かれ少なかれ表の顔と裏の顔というものがあるとは思うが、鱗滝課長補佐に関して言うならば、義勇に危害を加えたり、おかしなちょっかいをかけたりする相手には、彼に知られないように身の毛がよだつような恐ろしい顔を見せたりはするが、義勇本人にキツイ態度を取ったりというところは想像が出来ない。
では何故?…と考えた時に、逆方向の可能性が思い浮かぶ。
特別な好意を持たれすぎて困っている?
「もしかして…課長補佐にちょっと行きすぎた好意をぶつけられて困ったとか?」
デリケートな問題だけにどう言って良いのかわからない。
だからやや遠回しな言い方になってしまって、伝わるかな?と心配になったが、ちゃんと伝わったようだ。
義勇はそれにも小さく首を横に振り、苦い笑みを浮かべて
「いや…それ、逆…かな」
と言った。
「逆??」
その返しに村田の側が意味を取りかねて、首をかしげると、彼は
「俺はもう良いけど…課長補佐には色々嫌な思いとかさせるかもしれないから、内緒な?」
と、シ~っと言うように人差し指をたてて唇にあてて言う。
それに村田が頷くと、彼は小さく息を吐きだした。
「たぶん…過剰な好意を持っているのは俺の方だと思う…。
課長補佐は元々面倒見が良い性格で…俺に関しては特に自分がスカウトしたというのもあって、ちゃんと面倒を見て育ててくれようと思っているんだ。
だからいつでも何でも優先してくれるし、すごく優しい。
ただそれは部下を一人前にしようとする親心というか…上司心?にすぎなくて、いつか一人前に育てて手を放そうと思っていると思う。
でも俺は…もう頼れるような相手もいなくて、依存しすぎてるんだよな…。
課長補佐に失望されたくない…失望されるのが怖い…
でも全てさらけ出したら絶対に失望されるから……」
と、そこまで言うと、この天使のように愛らしい同僚は、成人男性とは思えないほどあどけない様子でぽろりと涙を零した。
そしてしばらく古びた狭い村田のアパートの部屋は啜り泣く声だけが小さく響く。
ない…絶対ない…
鱗滝課長補佐に限って冨岡に失望するなんて絶対にない
と村田は確信していた。
あの人、どれだけお前に執着してると思うんだ…と、声を大にして言いたいところだが、言ったところであの魔王のような形相で言外に圧力をかけられた話など義勇は信じないだろう。
村田だって、実際に自分が対象でなければ、あの面倒見がよくフレンドリーな鱗滝課長補佐がそんな恐ろしげな態度に出るなんて信じられないくらいだ。
でもここで軌道修正しなければ、鱗滝課長補佐だけではなく、自分の上司の真菰からもどつかれそうなので、なんとかしなければならない。
さて、どうする…と、悩んだ時間が長過ぎたのだろうか…
いや、そんなに時間は経っていなかったと思うのだが、外の階段からカン、カン、カン、カン!!!!と、すごい勢いで駆け登ってくる時間切れの足跡がする。
…気のせいか…空気がひやりとしてきた気がした。
寒くもないのに何故か震えが止まらない。
どうか…違いますように……
嫌な予感にそう願う村田の祈りもむなしく、その足音はぴたりと村田の部屋のドアの前で止まったのだった。
ものすごい勢いでなるドアベルに、思わず固まる義勇と村田。
これ…開けたらその日が自分の命日なんじゃないだろうか……
そう思って村田はやり過ごそうかと思ったが、そこで振動する携帯。
タップすると上司真菰からのメール。
それを開くと短いメール。
──素直にドアを開けたら命は保証してやってねって交渉済みだから
うあああ~~~~!!!!!
頭を抱えて声にならない絶叫。
これはもう一刻の猶予もならない!!
村田はスマホを放り出すと玄関へと走ってドアノブに飛び付いた。Before <<< >>> Next (7月24日公開)
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