とある白姫の誕生秘話44_吐露1

どうしよう…と、義勇は思う。

本当に…自分は課長補佐の人の良さを舐めすぎていた。
よもや勝手にネットゲームをやめたユウを未だに心配してくれているなんて思ってもみなかったのだ。

しかもそんな不義理をしたのに、ひょっこり戻ったら必要とされているなら手を差し伸べてくれるつもりでいるなんて、ありえない人の良さだ。



もう申し訳なさしかない。
どうしよう…どうするべきなんだ?

課長補佐のためを思うなら、本当はユウは自分で、心配する必要などないと言う事を伝えるのが一番なのだろうが、状況はネカマがバレると心配していた頃よりまだ悪い。

相手が課長補佐だと知っていて正体を隠していて、さらに不義理をしていたなんて知れたら…さすがに怒るだろうし、呆れかえるだろう。

それでも…黙っていていいんだろうか……

すでにかなりの期間、課長補佐はユウを心配して様子を知るために時間を使っている。
たぶん21時に自室に戻るのは、ユウでインしていた頃に、いつも一緒に遊んでいた時間だからだ。
自分がいわなければ、課長補佐は今日も明日も…一カ月後も一年後も、ユウを心配して待ち続けるのだろう。

毎日毎日、21時から0時までの3時間。
決して暇な人ではない。
それだけの時間があれば色々有意義な事もできる。
なのにこれから先ずっと時間を無駄にさせるのか?

そんなことさせられるわけがない…と、義勇は思うものの、ではどうすればやめさせられると考えた時に、自分がカミングアウトする以外の方法を思いつけない。

そうなると…当然同居は解消。
それどころか会社にも居にくくなるかもしれない。

入社3カ月。
転職するには早すぎる。
あまり良い転職先は望めないだろう。
もちろんワールド商事以上の会社なんて絶対に無理だ。

それでも転職するとなると……時間が欲しい。
もうすぐバカンスの時期になるので、チャンスはその時か。

退職はバカンス後にすれば、バカンスの間は課長補佐と顔を合わせる事はないので、安いアパートでもさがせれば、生活はなんとか維持できる。


そう…維持するだけなら…生きて行くだけなら……

でも、この幸せな生活はもう二度と戻ってはこない。


朝…目覚ましをかける必要もなく、起こしてくれる耳に心地いい低い声。
温かい食事。

一緒に会社に行って、隣で時折りちょっとした雑談や気遣いの言葉をかけられながらの仕事。
帰りもやっぱり一緒に帰って、自分のために作られた手作りの夕食。
その後、ホットミルクかミルクティを飲みながらとりとめのない会話をして過ごす日々…

そんな日常は失われて、会社と家の往復。
1人きりのアパートでコンビニの弁当を温めてそれを食べて寝て起きて仕事に行く…
大学時代のような生活に逆戻りだ。

ずっとそうして生きて来たのだ。
出来ないはずはない……

なのに……涙があふれて止まらないのは何故だろう……

シクシクと痛む胃のせいかもしれない…

その痛みは何故か胸元から感じる気がするのだが、きっと気のせいだ…




──宇髄、昨日の会話、できるだけ一言一句漏らさない勢いで話せ。

翌日は週末で休みだった。
だが、いつものように穏やかで優しい日ではない。

前日、体調不良で早退した義勇は夜にまた胃痙攣を起こして病院に担ぎ込まれることになったのだ。

まるで著しくストレスに弱い個体のペットでも飼っている気分になる。
同居人…というには、あまりに言葉が通じないと言うか、原因を言ってもらえない。
察するしかない。

結局錆兎が帰宅した時にはもう様子がおかしかったというか、何かあったから早退したのだろうし、原因は十中八九、留守中の昼休みに押しかけて来た女子社員とのやりとりだろうとは思う。

今は鎮痛剤で落ちついてはいるが、結局根本的な原因を取り除かないと良くはならないだろうし、ということで、錆兎は事情を聞ける唯一の人物に電話をかけている、というわけだ。


宇髄とはプライベートの付き合いがないとは言わないが、もっぱらネット上なので電話をかけることはあまりない。
だから少し驚いた様子で宇髄は聞いてきた。

『義勇に何か?』

「俺が帰宅した時に泣き疲れて寝てて、夜にまた胃痛で病院に行った」
と、答えると、電話の向こうで小さなため息。

『本当に義勇に敵意を向けるような言葉は言ってなかったんだよ、お嬢達は。
むしろ天使の笑みで席を勧めて美味しい紅茶を淹れてくれる義勇の好感度がうなぎのぼりだった気がするんだが。
会話に関しては…
前半はお前の女性関係について。
中盤は俺が以前お前に大切な相手がいると言った事について誰なのか?まだ続いているのか?って俺が問い詰められ…
後半は自分がいるとお前の婚期が遅れるんじゃ?と心配した義勇に、女共がむしろ邪魔じゃない、義勇付きで結婚して一緒に育てたい発言をしてたんだが?』

「ふむ……」


自分も錆兎狙いの女性陣に囲まれて煩わしい思いをした事のある宇髄の言葉だ。
嘘や勘違いなどはないだろう。

そうなると…可能性として高いのは、自分が迷惑をかけていると思っているのではというあたりだが…

ユウのことを話したのは失敗だったか?
もしかしてただの噂だとごまかすか、居たけど別れたとでも言った方が良かっただろうか……

宇髄との通話を切ったあと、錆兎は義勇のために朝食を作りながら考える。

消化が良いようにとリゾットとミルクティ。

昨日の夜は薬は飲んだもののほぼ眠れていないようだったから、食べさせて薬を飲ませたらゆっくり寝かせてやらなければ…。

昨夜、病院から帰ってからは、様子を見やすいからと錆兎のベッドに寝かせているので、そんな事を考えながら自分と義勇の食事を乗せたトレイを片手に自分の寝室へ。



──義勇、飯食って薬飲もうな?

クマのぬいぐるみをしっかり抱きしめて眠っている愛し子の漆黒の髪をそっと撫でれば、ふるりと同色の睫毛が震えて開いていく瞼の奥から現れる青いの瞳。

ああ…綺麗だな…と、錆兎は義勇を起こす時はいつもこの光景を見て思う。

そう言えば一度だけ目にしたユウもこんな色合いの瞳をしていた。

きっと清らかで純真無垢な天使や妖精といったものが本当に存在するのだとすると、きっとこんな容姿をしているのだろうなと思う。

正直錆兎は努力を尊ぶ人間で、無条件に甘えてこられるのも、甘やかすのも好きではないのだが、この二人は別だ。

この世の全ての辛いものから全力で守ってやりたいし、遠慮などかけらもせずに全力で甘えて来て欲しい。

そう思うのに、そう思う相手に限って甘えてきてくれないのがじれったい。



最初はぼんやりとしていた視線が徐々にさだまって来て、どうやら完全に目が覚めて意識がしっかりすると、途端に透明な雫が溢れだす大きな目。

その色合いは思わず見惚れてしまうほどに美しいが、小さな桜色の唇から

──…迷惑かけて…すみません……

と、小さな小さな声とともに溢れだす嗚咽の痛々しさに、錆兎はわずかに眉を寄せて息を吐きだした。


「迷惑とかじゃない。
義勇は俺の婚期の心配とかしてたって聞いたけどな?
誰でも良いから時期が来たら結婚したいとかいう願望はないし、実際に結婚したいような相手はいないから。
正直に言うと、お姫さんのことはすごく可愛いし守ってやりたいとは思っていたけどな?
でも義勇が居ようと居まいと、ネットだけのつながりで、相手はたぶんネットの関係をリアルに持ち込みたいと思うようなタイプじゃないから。
…今、一緒に暮らしたいのも守って面倒みてやりたいのもお前だけだ。
俺的には、むしろもう少し心を許して甘えて欲しいんだが?」

カタっとトレイをサイドテーブルに置いて、横たわったままの義勇に覆いかぶさるようにその顔を覗き込むと、そっとその広い額に口づける。

それに義勇はびっくりしたように大きな目をさらに大きく見開いて硬直した。
そんな表情も可愛くて、錆兎は小さく笑って身を起こす。

「ほら、飯食うぞ。
でないと薬飲めないし、また胃を悪化させて痛い思いはしたくないだろう?」
と、義勇の身を起こすのも手伝ってやって、テーブルをセッティングしてその上に食事を置いた。



全く情けない事に、また胃痛で病院に担ぎ込まれた。
しかも救急外来。

普段なら課長補佐はオンラインゲームで来ないユウを待っている時間帯だ。

まあ義勇は“彼女”がログインする事はないとわかっているので良いのだが、課長補佐は気になっていたのではないだろうか…

そう言えばユウでログインしなくなってから、課長補佐は21時以降に自室に戻れなくなるような飲み会とかにも参加しなくなっていたし、たまに21時を過ぎても義勇と一緒に過ごす事はなくはないが、そう言う時は必ずと言って良いほど課長補佐の自室のベッドに雑魚寝していた。
思えばあれは、ノアノアこと宇髄課長あたりにユウが来たら連絡をくれるようにと頼んでおいて、連絡があったら即対応できるようにということだったのだろう。

それでもその日は彼は夕方の宣言通り、義勇を優先してくれた。
まあ、来るか来ないかわからない相手を待っているよりも、病人を病院へ連れて行く方が重要と判断しただけかもしれないが…

こうしてまたストレス性の胃炎と判断されて薬を処方されて帰宅。
痛み止めが効いてくると、疲れから一気に眠気が押し寄せてきて、義勇はお礼やお詫びを言わなければと思いつつ、その夜は帰宅後すぐくらいに眠ってしまった。

そうして翌朝…髪を優しく撫でる手の感触に意識が浮上して、少し重い瞼を開けると目の前に目の覚めるようなイケメン…もとい課長補佐が少し気遣わしげに義勇を見下ろしていた。

昨夜は1人だと心配だからと言われて課長補佐のベッドで眠ったので、まあ驚く事ではない。

病気じゃなくても翌日が休みの日などには夜に話しこんでこうしてここで目を覚ます事はしばしばあるが、そんな休日の朝は課長補佐はいつもベッドまで朝食を運んでくれて、こうして起こしてくれる。

でも今日はそんな和やかな朝とは違う。

迷惑をかけた翌朝である。
せっかくの週末なのに真夜中に病院に運ばせるなんて面倒すぎだろう。

そんな自分にさぞや呆れたものと思ったが、髪を撫で頬に触れる手は相変わらず優しい。

それでも嫌われたり煩わしく思われるのがつらくて、

──…迷惑かけて…すみません……

と謝罪を述べると、

「…今、一緒に暮らしたいのも守って面倒みてやりたいのもお前だけだ。
俺的には、むしろもう少し心を許して甘えて欲しいんだが?」

なんて優しい言葉と共に額に振ってきた口付けにびっくりしすぎて義勇は固まってしまったが、課長補佐にしてみたらそんなスキンシップも特別なことではないのだろう。

額から唇を離して身を起こすと、なんでもないことのように笑みを浮かべて

「ほら、飯食うぞ。
でないと薬飲めないし、また胃を悪化させて痛い思いはしたくないだろう?」

と、食事を並べ始めた。



課長補佐は本当に優しい。
義勇がそれを特別な愛情だと勘違いしてしまうくらいには…

まあ今は特別に優先してくれることは確かだが、それはきっと義勇が特別だというわけではなく、自分が面倒を見ると決めた相手に対する義務感なのだろう。

だから物理的には甘えても、心を明け渡してしまってはいけない。
そうは思うものの、優しい言葉、態度、すべてが心地よすぎてそれが難しい。

そう、どうせあと数日…バカンスに入ってしまったら、この家を出て仕事も変えて、二度と会うことはなくなるのだ…
だからそれまでは絶対に堅持しなければ…

そう思うと、ひどく悲しくなってきて、我慢できずにまた子どものように泣いてしまった。
すると課長補佐はまた慌てて抱き締めて慰めてくれてしまうので、余計に辛さが募って、涙が止まらなくなる。

この家を出て本当に何もなかったように生きていけるのだろうか…
こんなに心が痛んで死にそうなのに……

そう思うものの、義勇に取れる選択肢なんて、そのほかには本当に残されてはいないのだ。



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