とある白姫の誕生秘話43_自覚と決意

課長補佐が結婚……

自宅に戻って上着だけ椅子に放り出すと、義勇はベッドにもぐりこんでテディを抱きしめて声を押し殺して泣いた。

昼休みの女性社員達の会話を思い出すと、胸がずきずき痛んで涙が止まらない。

別に今そんな話が出ているわけでないが、課長補佐だってもう27歳。
結婚したって全然おかしくはない年齢だ。

それでも同居をと誘ったのは課長補佐の方だし、結婚するから、はい、出てけというような人でもない。

相手が下宿人がいても気にしないような女性なのかもしれないし、あるいは課長補佐は随分と資金的には余裕がある人のようなので、課長補佐の方が彼女の好みに合わせた家を買って出ていくつもりなのかもしれない。

そのどちらを想像しても胸が痛くなる。

義勇にはもう心を許せる家族がいないので、あるいは課長補佐に本当に親のような感情を持っていて、それが崩れるのが嫌なのかと思っていたが、よしんば課長補佐のお相手が義勇の母親代わりに…と思ってくれるような奇特な女性だったとしても、やっぱり嬉しくはないのである。

とすると…もうこれは、単なる独占欲なのだろう。
自分以外に課長補佐の気持ちが向くのが嫌なのだ。

そんな気持ちを自覚したところで、義勇にはあまり意味がないのだが……

だって、自分は“嫁”にはなれないし、同性婚という制度はあるにしても、やっぱり一般的には結婚というのは異性間でするもので、自分ですら今それを望んでいるのかもわからないくらいなのだ。

ましてや、たまたま面倒を見ることになった新人の世話をしてやっているだけの課長補佐がそんな目で自分を見ているなどと言うことはあり得ない。

そもそもが、彼には大切にしている遠距離恋愛の彼女がいるというではないか。
余計に彼女よりも義勇といる事を選んでくれるなんて事はあり得ない。


むしろそれを知った時点で、義勇がやるべきことは、課長補佐が心おきなく結婚して彼女と同居できるように、ここを出ていくことなんじゃないだろうか…。

別に愛情を向けていてもらえれば、それが子どもに対するような親愛でも、恋人に対するような恋愛でも構わないのだ。
ただ自分は愛情に飢え過ぎて、それを手にすると他者と分けあえない性格なのだろう。
他にそれを享受する相手がいるのが嫌なのだ。

自分でも厄介な性格だと思う。
結婚を考えているくらいの年齢の人の家に居候なんて迷惑この上ない立場なのに、身の程知らず過ぎだ。

いっそここを出て行った方がいいのか…と思わないでもないが、“今”を手放すのは辛いし、そもそもが仕事の上司でもある相手の家なので、変な出て行き方は出来ない。

どうしよう…どうすればいい?

考えても考えても答えが出ることはなく、義勇はこの世でただ一つ、自分が生きている間は愛情を向け続けられる相手、幼い頃から一緒に居たティディベアに縋って泣きながら、いつしか子どものように泣き疲れて意識を手放した。




──1人で帰らせたぁあーー?!!!

自分の手で大切に大切に育てている新人、愛息子こと義勇を1人残して、営業部に借り出されて他社訪問。

急いで帰るつもりだったのだが意外に話が長引いて、錆兎が帰社できたのは3時過ぎだった。

一刻も早く顔を見たい…そう思って急いで駆け込む自部署のフロア。
だが、自分の席の隣の義勇の席には誰もいない。

え?と驚いて自分の席を挟んで隣のデスクに座る課長の宇髄に視線を向けると、宇髄は申し訳なさそうに、義勇が早退をしたい旨を申し出たので許可したことを伝えて来た。

「早退っ?!体調悪そうだったか?!
それとも俺がいない間に何か変わった事でもあったのか?!」
と問えば、昼休みの出来事について報告をされる。

女性陣に囲まれた…それだけで顔色を変える錆兎だが、宇髄は

「でも義勇、なんだかむちゃくちゃ上手くそいつらを扱ってて、女達もなんて可愛らしいリトルプリンスとかなんとか好意的な感じではしゃいでたしな、悪意を向けられたとかじゃあなかったぜ?」
と、錆兎が一番心配しているであろうあたりは否定する。

しかし、それではなぜ?というとわからない。

元々人の機微には敏感な人間だと思っていたが、その宇髄にわからないとなると、なんなのだろうか…。

とにかくどちらにしても、気真面目な義勇が仕事を続けられないレベルの状態の時に1人で帰すというのが、錆兎的にはあり得ないと思う。

思いがけず大きくなった声に困惑する宇髄に余計に苛立つが、自分が望むレベルのフォローをいれる能力が結果的になかった相手に頼んだ自分が一番悪い。

「俺も早退にしておいてくれ。家に帰る」

これ以上ここにいたら八つ当たりをしてしまいそうなので、錆兎は帰って来た時のまま、席にも付かず鞄を持ったまま踵を返した。

そうして会社を出ると、即タクシーを拾って自宅へ。



タクシーを降りると逸る気持ちを抑えていったんドアの前で深呼吸。
感情的になって慌てても良い事はない。

冷静に…なるべく冷静に話をきいてやらなくては……


家に入るとまずリビングを確認。
ここにいなければ自室だろうと、義勇の部屋のドアをノックするが返事がない。

そこで迷うが、中で倒れていたりしても大変だからと心の中で言い訳をしながら、ドアノブに手をかけた。

鍵がかかっていたなら、上記の理由で本来ならマナー違反ではあるがマスターキーを使うしかないと思っていたが、幸いにして鍵はかかっていないことにホッとする。


「義勇、入るぞ?」
と、ドアを開けると、カーテンを閉め切って灯りがついていない部屋は夕方前と言えど薄暗い。

それでも室内は見通せるので、デスクに放り出してある上着をハンガーにかけてやると、おそらくいるのであろうロフトベッドを見あげた。

「義勇?」
と、声をかけても返事がないため、階段を上がり、ベッドを覗き込むと、ティディベアをしっかり抱きしめて顔に涙の跡を残しながら眠っている義勇。

幼さ全開のその様子に憐憫だったり庇護欲だったり怒りだったり愛おしさだったりと、様々な感情が駆け巡る。

「…義勇…なんで泣いてんだよ……」
と、聞こえていないのを承知で小さく囁いて頭を撫でてやると、いつものようにふにゃりと笑みを浮かべて手に擦り寄ってくる。

…可愛い……
全身全霊で守ってやらなければ…と、いつものことだがそんな気持ちがまた沸き起こってくる。

「…大丈夫…俺が守ってやるからな?
お前はなんにも心配しないでいい」

とりあえず急いでどうこうしないとならないほど体調が悪いわけではなさそうなので、起こすのも可哀想だしと、そのまま頭を撫でていると、豊かな漆黒のまつげがふるりと揺れて、ゆっくり白い瞼が開いていった。

そして覗くのは森の奥に静かに広がる湖のような、潤んだブルーの瞳。

「おはよう、義勇。
…まあ、まだ夕方だけどな」

と、小さく微笑みかけながら静かに声をかけると、意識がはっきりしないようにぼ~っとしていた丸い眼が大きく見開かれた。




…さ…びと………

赤く潤んだ目…かすれた声。

飛び起きた義勇は改めて見ると、病人かどうか悩むところで、

「…熱…か?」
と、コツンと額と額をあてると熱い感じはしなかったのだが、顔を話してみると顔が真っ赤なので、実は熱があるのかもしれない。

「す…すみません……勝手に早退して……」
と、目の前で怯えたようにまた目を潤ませるのが可哀想で、

「いや。1人で帰らせてごめんな?
お前に何か変わった様子があれば、有無を言わさず電話寄越すように課長に頼んでおくべきだった。
良いから寝てろ」
と、言葉は柔らかく、しかしやや強引に横たわらせると、

「い、いえ、大丈夫ですっ!!」
と起きようとするので、

「大丈夫じゃない。
熱があるだろうが」
と、軽くそれを制するように押さえ込んだ上で義勇の赤い頬を手のひらで包み、

「それに…」
と、親指の先でゆっくりと頬から目じりを辿って言う。

──涙の跡がある…。
…と。



それは聞かれると困る事だったのだろう。
その言葉で義勇が少し身がまえて固くなるのがわかるが、そこで止める気はない。

「良いから話せ。
大事な大事な愛息子に何かあったら、父さん泣くぞ?」

と、顔を覗き込んで緊張を和らげるように笑みを浮かべてやると、両腕にしっかりとクマのぬいぐるみを抱きしめた義勇は、クマの頭で半分隠れた顔で錆兎を見あげた。

もうその様子自体が可愛すぎて胸が熱くなる。

じわりと涙があふれてくるビイ玉のように澄んだ青いの目。

目の端にぷくりとたまった透明の雫がころんと零れ落ちて頬を伝うのを指先で拭ってやると、義勇は堪え切れなくなったようにクマの頭に顔をうずめてシャクリをあげ始めた。

「ほら、泣くくらいなら、俺に言え」
と、いつものように頭を撫でてやるが、義勇は無言で首を横に振るので、錆兎も途方にくれる。

4,5歳くらいの年の差というのは、錆兎からすると充分すぎるくらいの差なのだが、彼らから見ると“大人と子ども”というほどではないので、無条件に甘えるべきではないと思えるのかもしれない。


「なあ…俺は守ってやりたいんだがな…
守らせてくれないか?」

確かに成人しているはずなのだが、今こうして泣いている義勇は、子どもの頃の真菰よりも幼く頼りなく見える。

「こんな風に泣かれてると胸が痛いんだよ…頼むから……」

本当に…錆兎には守ろうと思っている相手に悲しそうに泣かれるのは辛く感じた。
自分が物理的に痛みがあるほうが耐えられる。

熱だって別に自分が代われるなら代わってやりたいし、自分に出来ることならなんでもしてやりたい。
だから実際にそう口にした。

──なあ、言ってくれ。出来る限りのことなんでもしてやるから…何をして欲しい?

そう言うと、まだシャクリをあげながら、義勇がそろそろと目だけをぬいぐるみの頭から離して錆兎をみあげる。

涙いっぱいのまあるい目は愛くるしくて、それが何か悲しげな色合いを帯びているのが、切なさを感じさせた。

「…俺じゃ…頼りにならないか?」
と、零れる涙の雫を指先でぬぐってやると、愛し子は少し目を伏せて

──困るから…さびと…が……
と、ぽつりとこぼす。


「困る?何が?俺は義勇がして欲しい事をしてやれるなら、別に困らないぞ?」
と、その言葉に錆兎が眉を寄せると、義勇は少し迷って、

「でも…俺にばかり構ってて、錆兎が婚期逃しても困るじゃないですか……」
と、なにやら聞き捨てならない発言をされた。

そこでなんとなく想像する。

「婚期とかって…会社の女達に言われたのか?」

それなら大きなお世話だ。
結婚なんかより義勇の方が大切だし、そもそもあの女達と結婚するつもりはない…と、思っていると、義勇はふるふると首を横に振った。

「いえ…レディ達は何も…。
ただ、宇髄課長が以前錆兎に大切な女性がいるって言ってたって……
だから…俺…邪魔かなって…
レディ達はむしろ邪魔じゃないって言ってくれたんですけど……」

おし!そこはよくフォロー入れた、女達!
と、思うと同時に、それか~~!!と錆兎は内心思った。

「…別に邪魔ではない……」
と言っても信じないだろうなぁと思って悩む。


話すべきかどうか……
ああ…でも自分が少しばかり恥ずかしい思いをするのと、大切な子を泣かすのと、どちらがダメかと言えば後者だよな……

結局そう判断するしかなくて、錆兎はくしゃりと自分の前髪をつかむと、小さく息を吐きだして言った。

──他には絶対に言うなよ……と




「大切なって言ってもリアルで付き合いはないんだよ…」

引かれるかな…と思いつつカミングアウトする事にした錆兎。
それは一つの選択をする事になる告白だった。

「俺は宇髄に誘われてネットゲームやってたんだけどな、そこで出会った新人のお姫さん。
真面目で一生懸命で…でもどこか危なっかしくてな。
最終的にゲーム内のグループのボスに粘着されて困っていたのを放っておけなくて、一緒に宇髄が新しく作ったグループに移って、そこで何かと面倒みてた。
ネットとリアルは別って主義だったんだけどな、そのお姫さんはその気になれば甘やかしてくれる相手なんか掃いて捨てるくらい出来るのに、甘えず自分で頑張ってしまう子で、リアルはどんな奴とかわからないのに、老若男女なんでもいいやって、そんな彼女に惹かれてしまったわけだ。
でもある日、急に体調悪いって即落ちしてな。
すごく律義な性格してるから、後日連絡くらいはあるかと思ったんだけど、そのまま音沙汰なし。
もしかしたらゲームに飽きただけかもと思いつつも、最後が最後だけに、もしかしてそのまま体調悪化したのかとか、ずっと気になり続けてはいて、義勇と暮らし始めてからも彼女から連絡がないかと思って毎日ログインだけはしてんだけどな。
リアルで楽しくやっているなら良いけど、本当に体調の悪さが続いてて、回復してインして来たら、誰もいないとか寂しいだろうし…とかな…。
まあ…彼女にそういう意味で惹かれてるっていうのは伝えた事なくて、でもいつかリアルでも一緒に居られたらって思った時期もあるんだけど…
今は義勇が大事だ。
いざとなったら優先順位つけないと守れるものも守れないしな。
万が一彼女が戻って来て、リアルで会えるなんて事になったとしても、お前を優先する
大丈夫…何か助けの手が必要とかで余裕があれば手を差し伸べる事はあるかもしれないけど、優先するのはお前だ。
何を差し置いても…一番に守ってやるから…
だから安心しろ」

自分でも整理しきれていなかった心のうちを、話している間に整理した。

いつかユウと一緒に暮らせるような機会が巡って来たとしても、優先するのは義勇だ。
義勇が巣立つまでは面倒を見きるし、それでユウとの時期を逸してしまったとしても、それは諦めるしかない。

悲しいがしかたのないことだ。
こんな風に悲しそうに泣く愛し子を放置出来るはずがない。

優先する…と、宣言する錆兎に義勇は驚いたように目を見開いて、しかし次の瞬間にまた、悲しそうにポロポロ涙を零し始めた。

言葉を信用されていないのか…?



──大丈夫だ。俺を信じろ……

そんな義勇を前に、錆兎はそう言う事しかできない。

よもやその涙が不信からではなく、申し訳なさからでたものなどとは、想像もできないままなのだから…





Before <<<  >>> Next (7月22日公開)


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