2日目の夜、眠る前に自覚した事実…
その日はそのまま眠ってしまったが、朝起きて寝ざめすっきり。
頭がクリアになったところで、寝入りばなに思った事を思い出した。
何故そんな簡単な事に気づかなかったのか…。
落ちついてみれば、普通に考えて義勇自身が言わなければ、義勇がユウだなんて課長補佐が気づくわけはないのだ。
オンラインゲーム内の少女ユウと現実の普通の新米リーマンの義勇を結び付けるものなんて、何もないはずだ。
このままログインをやめてしまえば、証拠は残らない。
元々は“ネットでくらい”誰かに構われる生活がしてみたいと始めたゲームだ。
現実でそれが手に入ったなら、別に続けなくても良いのではないだろうか。
もちろん長くやっていたのでそれなりに楽しいし残念ではあるが、リアルで人生を終わらせてまでやりたいわけではない。
課長補佐と同居することになった家は4LDKの一軒家。
個室のうち一部屋を私室としてもらっていて、そこに下の段にデスクを置いて使っているロフトベッドを運びこんだので、そこでやればバレないかもしれないが、一緒に暮らしている以上、万が一のことがあるかもしれないし、それは避けたい。
実は胃痙攣で課長補佐の家に3日間お世話になった時に物理的にログインできなかったので、色々追求されたりしたら嫌だしと、そのまま連絡なしになし崩し的にログインをやめていた。
それもあって、今更あれからやめる理由を聞かれたりしてボロが出るよりはこのままフェードアウトが正しい気がしてくる。
不義理で申し訳ないなと思う一方で、たかだか遊びなのだからと思う自分もいた。
というか…あのウサが課長補佐だと知ってしまった時点で、素知らぬふりでユウとして一緒にいるのも、それはそれで不義理なのではないだろうか。
そんな諸々の要素を全て加味して考えると、もう二度とユウを使わない、それが一番良いだろうという結論に達して、義勇はユウを封印する決意を固めたのであった。
「…課長補佐……」
「…錆兎だ」
「…錆兎…さん」
「…錆兎…」
「…さび…と?」
「ん、なんだ?」
未だ慣れない名前の呼び捨て。
でもどんなにぼ~っとしていても、課長補佐は絶対に呼び方が違うと名前で呼ぶまで訂正してくる。
一緒に暮らし始めて1週間たった週末の朝。
それまではプライベートまで知っていたわけではないので、それがスタンダードだと言いきられれば否定は出来ないわけなのだが、いつもキビキビしているイメージの課長補佐は同居を始めてからどこか静かと言うか、何か考え込んでいるような感じに見える。
まあそうやって呼び名のようにこだわるところはこだわるわけだから、別に何か他に気がいかないほど悩んでいるとかそういうわけではないのかもしれない。
それでもなんだか気になってしまって、義勇はカトラリを置いて課長補佐…もとい、錆兎を見あげた。
毎朝4時半に起きてランニングと筋トレ、その後シャワーを浴びて朝食の支度。
それが1人で暮らしている時から変わらぬ彼の習慣だとのことで、それは義勇と同居しようと休日だろうと変わらない。
そのため一応軽くは乾かしてはいるものの、乾き切らずにぺしゃんと半分濡れた宍色の髪。
平日は食後に着替える時に完全に整えるのだが、休日はそのままあとは自然に任せている。
普段より少し気を抜いた課長補佐。
だが、これだけのイケメンだとそれもだらしなさなどを感じることはなく、むしろその自然体さがカッコいい。
家賃無料、3食おやつ付きと、とてつもなく高待遇のこの生活に少し慣れてきてようやく自分以外のことに目を向ける余裕が出て来た義勇がまず気になったのは、夜と朝の課長補佐の様子である。
当たり前なのだが引っ越し2日目に義勇のベッドが届いて以来、義勇は課長補佐とは別々に自室で自分のベッドで眠っている。
夕食を食べて片付けを終えて少しだけリビングでくつろいで、21時10分前ほどになると、課長補佐は毎日どことなく落ちつかない様子で自室へと戻って行く。
義勇はその時により、そのままリビングでDVDを見たり自室に戻って本を読んだりと、23時くらいまで時間を潰したあと、寝る支度をして寝るのだが、その翌朝、ダイニングへ行くとどこか元気がない課長補佐に会うことになるのだ。
元々朝が弱いと言うわけではない。
義勇が胃痙攣でお世話になった3日間は、朝から非常にテンションが高かった。
そもそもがずっと昔から4時半起きでジョギングや筋トレをしている人間が朝に弱いわけがない。
義勇の目から見ても疲れている…というよりは、どこか落ち込んだ風に見える。
自分ごときが口を出して良いのだろうか…と思いつつ静観していたが、この1週間、日に日に落ち込みがひどくなっていくような気がして、義勇はとうとう口を開く決意をした。
そうして何度か呼び方を正されながら、最終的に──錆兎…──と呼ぶと、食後に義勇が淹れた緑茶を飲んでいた課長補佐は、──なんだ?──と、いつもは生き生きとしているのに今はどこか憂いを帯びた様子の綺麗な藤色の瞳を義勇に向けた。
それは湯呑に落とされていた時には物憂げだったのに、義勇の声に反応してこちらに向けられるわずかな間に、まるで保護者が子どもに向けるような、どこか温かくも優しい色を醸し出していく。
そんな目で見られたのは本当に嫁に行った姉以来で、その視線を見るたび泣きたくなってしまう。
今も課長補佐の心配をするつもりだったのが、ひどく懐かしくも切ない気分になって、じわりと涙が浮かんできてしまった。
すると課長補佐は少し驚いたように目を見張って、すぐまた優しい顔をこちらに向ける。
そうして手にした湯呑をテーブルに置くと、義勇の隣まで来て、大きな手で義勇を自分の方へと引き寄せて、よしよしと言うように背中をぽんぽんと叩いてなだめてくれてしまう。
「急にどうした。
なんか嫌な事でも思い出したのか?」
と言う声は静かなのにとても温かく、許容されているという安心感に緊張がほぐれすぎて、思わずそのまま本泣きをしてしまった。
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