人生がとっても楽しい!
まず動物病院に連れていき、治療や予防接種をしたあとに譲渡先を探す。
それまでは自分や自分の家でよく預かっていた従姉妹の真菰が面倒を見た。
小さな子猫などは、まだ子どもの錆兎達の手にすら乗ってしまうほど小さくて、それなのにぬいぐるみとは違ってある程度の重さがあって温かい。
本当に弱々しくて、きちんと面倒を見なければ死んでしまうのでハラハラしながらも、その弱々しさと必死に生きようとする姿が健気で愛らしさに心惹かれた。
そんな家族の習慣は錆兎が大きくなっても変わることなく、実家に居る頃はずっと飼っている3匹の飼い犬の他に、ときたま小さな何かが一時的に居候しているというのが常だった。
だが1人暮らしを始めたこのマンションはペット禁止なので、それが出来ない。
そもそもビジネス街にあるので、そういう状況にもならない。
だから錆兎はいつも会社から帰ると当たり前に1人で、自分自身のめんどうだけを見る生活が続いていた。
だが、それについて特にどう思う事もなかった。
なぜなら日中は嫌でも会社に行くし、会社に行けば手のかかる部下がたくさんいる。
部下どころか上司ですら時折面倒をみてやらねばならないことがある始末だ。
日々は忙しく流れて行き、感傷に浸る事もなく過ぎて行く。
今が当たり前になって、気づかなかった。
自分が捨て猫に飢えていた事に……
錆兎の自宅には今、やや童顔の今年の新卒の部下がいる。
胃痙攣を起こしたので病院に担ぎ込み、そのまま自宅へご招待という流れだ。
その胃痙攣の理由がストレスらしいので、直属の上司の錆兎としては放置はできない。
自分で言うのもなんだが錆兎は女性社員にもたいそう人気があるので、以前、それは随分と前のことだが別の部下の面倒をみていた時も、錆兎が側につきっきりに近い状態で色々面倒をみていたことでその部下に嫌がらせをしてくる女性が出た。
だから今回、自分で手元で部下を育てようと思った時には同様の事が起きないようにと細心の注意を払ってきたつもりだったのだが、それでも何か起こったのか?
そう思って、外では話しにくかろうと自宅に招いたのだが、その口から出て来たのは、なんと会社の人間関係の問題ではなく、ストーカーの存在だった。
病院で出た痛み止めがやや効きすぎているのだろう。
子犬のように大きく丸い目をしばしばさせながら語る様子は、成人済みの社会人の男には見えないくらいあどけなく、下手すればミドルティーンにしか見えない。
そんな幼げな相手から、ネット内とは言えストーカーされたり、リアルでおそらく同じ相手からの無言電話が繰り返し来ていたりという話を聞けば、放っておけるわけがない。
危ない。実に危ない。
この時点で錆兎はこの子どものような部下を自宅に引き取ることを考え始めた。
とりあえずそれをどう切りだすか…と、思っていると、ついつい抱き寄せた腕の中、とうとう眠気に負けたのか、部下はすやすやと寝息を立てていた。
その様子はどこか昔拾って適切な処置をしたあとに疲れて手の中で眠ってしまった子猫達を思い出させる愛らしさで、心の中がほんわりと温かくなる。
とりあえずスーツのままでは皺になるだろうと自分のパジャマに着替えさせてみたが、見た目通り錆兎よりはずいぶんと細く小さく、錆兎だとちょうど良いパジャマがぶかぶかで、それでもそのままベッドに放り込むと、大きなタオルにくるんだ子猫を思い起こさせた。
(…ああ、小動物飼いたいなぁ……)
と、その様子を見ていると、実家を思い出してそんな事を思う。
(まあここペット禁止だから飼うなら引っ越さないとならないが、さすがにそのためだけには悩むな。
そもそも1人暮らしだと世話ができないし…)
などと思いながら、無意識にぴょんぴょん跳ねた漆黒の髪に手を伸ばした。
日々よく撫でていたが、この柔らかすぎてまとまりの悪い髪は、そう思ってみれば子猫の毛の手触りに似ている気がする。
こんな子ども…いや、実際には子どもではないのだが、子どものような同居人が居れば、毎日楽しくなるだろうなぁと思うと、もうだんぜん自宅に欲しくなった。
とりあえずストーカーや変態の毒牙にかけるわけにはいかないし、ここに住まわせてしまったらどうだろう…
すやすやとあどけない顔で眠る義勇は頭を撫でると眠ったままふにゃりと笑みを浮かべた。
それに心の奥底から何かこみあげてくるものがある
それはおそらく父性本能とかそういうものなのだろう。
可愛くて愛おしくて仕方がない。
とりあえず少なくとも体調が少し戻るまでと義勇と自分の分に取った有休3日間の間はここで面倒を見てやろう。
その後についてはその3日間の間で口説き落とすべし。
そう決意して、錆兎はとりあえず自分もベッドの義勇の横にもぐりこんだ。
久々にベッドの中に自分以外の体温。
腕の中に抱き込んでいるので、ちょうど鼻先にふわふわの漆黒の髪が当たって少しくすぐったい。
錆兎はそれでも体勢を変える気にはならなかった。
何故だか花の匂いのする細い身体。
こんな風に手の中に抱え込んだ何かを外敵から守ってやるのだと思ったのは、久々だ。
特に頻繁に小動物を保護していたのは当然実家生活をしていた頃なので、錆兎もまだ学生だった。
その頃の中でも特にまだ小中学生の頃は日中に拾ってくると面倒を見るのは真菰と二人きりで、それまでは自分たちの経験からくる知識を駆使しながらもどこか不安な気持ちで、動物病院へ連れて行けるよう夕方の父親の帰宅を待ちわびた。
高校をすぎれば自分たちで病院に連れて行ったりもできたが、それでも何かと手慣れている父親のようには行かなかった気がする。
あの時と比べれば、錆兎も大人になってとてつもなく余裕もあるわけなのだが、守る相手の方の状況はより深刻だ。
ストーカーの方はネット上で、アカウントを削除した事で縁が切れたらしいが、電話は現在進行形。
もっと言うなら、ネット上のストーカーがなんらかの方法で義勇の電話番号を調べ上げてかけているという可能性すらある。
そうだとしたら住所だって知られている可能性もあるし、とても危険な状態だ。
例え性別が男だとしてもこれだけ愛らしいのだ。
良からぬ輩に狙われているという可能性は十分ありうる。
そんな事を考えつつ、錆兎自身も人肌の温かさに訪れて来た眠気に逆らわずに意識を手放した。
翌朝4時。
たいていはこの時間に起きてランニングや鍛錬をするので、もう習慣で目が覚める。
いつもの時間…だが、いつもと違うぬくもり。
錆兎の懐に潜り込むようにしている小さな頭が覗いている。
こうして陽の光の中であらためて見ると、ぶかぶかの錆兎のパジャマを着て眠る義勇は本当に子どものように幼く見える。
頭の大きさに対して額が広めで目が大きいせいだろうか…。
ああ…本当に可愛いなぁと、子ども好きの錆兎としては思う。
いくら見ていても飽きないレベルで可愛いので、起きあがったら病人を起こしてしまうから…と、心の中で言い訳をして、そのまま随分長い間寝顔を堪能していると、寒かったのか怖かったのか、腕の中で義勇がすりり…と、錆兎の胸元にさらに擦り寄って来て、まるで眠たい時の赤ん坊のようにその小さな頭をこしこしと擦りつけてくる。
ああぁぁあああーーーー!!!!
その行動のあまりの可愛らしさに変な声が出そうになった。
(義勇、可愛すぎだろぉぉおお~~!!!!)
と、心の中で大絶叫しつつも、大声を出すと起こしてしまいそうなので、言葉は飲み込んで、その代わりにそっとその頭をなでると、今度はなんと、眠ったままふにゃりと笑みを浮かべる。
………
………
………死ぬかと思った。
人間…可愛すぎるものを見ても死ぬことはある。
きっとある。
よく真菰がキュン死にするという言葉を使うが、まさにそれだ。
これはやばい。まじめにやばい。
心臓が爆発するかもしれない…
本当に心臓がすごい勢いでドキドキしてきたので、生命維持を優先させてもらうことにして、錆兎は朝食を作りがてら起きることにした。
起きぬけにはひと悶着あったが、食事を食べさせている間になんとか押し切って、むこう3日間の同居は了承させた。
というわけで、これから3日間が勝負である。
と言っても、こちとら技術営業のような仕事に関しても高い評価を得ている人間なわけだから負ける気はしないと錆兎は思う。
とにかく逃げられないように…もとい無茶をさせないように、極力一緒にいるようにするため、買い物は全てネット。
美味しく消化に良い食事に飲み物。
心地よい寝巻にベッド。
起きている時は興味のありそうな知識を披露してやったり、聞きたがるようなら自分のことを話してみたり…そして食後、腹が膨れたためか少しうとうとしてきたら、病人なのだから眠ってしまえと頭をなでながら眠りの方向に促した。
大きすぎるパジャマを着て大きなベッドに埋もれるように眠っている様子は控えめに言っても天使のように愛らしい。
義勇が眠っている間もその寝顔を堪能しながら、錆兎はふと思った。
ああ、2人で住むなら家買ってもいいな…と。
そう言えば最近、宇髄相手にもそんな話をした気がする。
一緒に住む相手は義勇ではなくユウだったが……
どうやら自分は好ましい相手がいると、一緒に住む家を買いたくなる性分らしい…と、錆兎は今更ながらに気づいた。
そして思い出す。
最後に会った時、ユウも体調が悪いと即落ちをしていたが、あれから良くなったのだろうか…
ちらりとベッドラックに視線を向ける。
そこには何冊かの愛読書の横に、機能性を重視したシンプルな銀色のデジタル時計。
それで今現在がまだ昼休憩の時間であることを確認の上、電話をかける。
もちろん宇髄の携帯にだ。
数回のコール音のあと電話がつながると、
『ああ、錆兎か、義勇の容態はどうよ?』
と、開口一番に聞いてくる宇髄。
義勇をこちらに呼んですぐ、一応、ストレス性の胃痙攣で、事情を聞きつつ3日ほど自分の家で面倒を見ると言う事はメールで連絡しておいたが、その後、特にこれといった変化もなかったのもあり連絡をいれていなかったので、心配をしていたのだろう。
「ああ、一応いまは痛みもないようだし、飯食って寝てる。
事情を聞いたらなんだかリアルでストーカーとか無言電話とかがあるらしくてな。
入社より前からということだから会社関係ではないようだが…。
でもなんていうか…義勇は本当に細いから小さく見えるし、可愛い顔立ちをしてるしな。
不届き者の変態が目をつけたとしても不思議はないというか…危ない気がする。
だからいっそのこと3日間過ぎても一緒に暮らそうかとか思い始めているんだが…」
と錆兎が言うと、電話の向こうで宇髄が吹きだした。
『ほんっとにお前は面倒見が良いのを宇宙の彼方まで突き抜けた兄気質だなっ。
ユウちゃんのことはどうしたんだよ?
家買って一緒に住みたいとか言ってなかったか?』
「あ~、それなんだが…」
と、ちょうどよく出された名前に、錆兎は本題に移った。
「義勇のゴタゴタがあってすっかり確認取り忘れてたんだが…義勇がダウンする前日にユウが体調不良で落ちるって即落ちしたって言っただろう?」
『ああ、そう言ってたな』
「それでな、昨日の夜は俺は義勇の様子見してたからログインできなかったんだけど、ユウはどうだったのかなと気になってな。
お前はインしてたんだろう?」
『ああ、そういうことか…
そう言えばユウちゃんも昨夜はログインしてなかったぜ?
几帳面な子だし連絡なしでというのは珍しいなとは思っていたんだけどな、まだ体調がすぐれないのかもな』
「あ~…それ気になるな…。
ユウ、普段ならその日、即落ちする事を伝えるためだけにインしてきそうな性格だし、それできないくらい体調悪いのか…。
宇髄、悪いが、俺は義勇の面倒みないとだし今日もインできないんで、ユウの様子見頼む」
『そこで、女の方を自分が…と言いださないのが錆兎だよなっ』
と、そのやりとりにまた宇髄が笑う。
それに
「仕方ないだろう」
と、錆兎は口をとがらせた。
錆兎だって本当は全て自分でやりたい。
でも二兎追うものは一兎を追えずだ。
中途半端なフォローを入れるわけにもいかないし、両方に充分なフォローを入れるのは自分1人じゃ手に余ってしまう。
それならどちらを自分でとなれば、より深刻度の高そうな義勇の方だろう。
「ユウは深窓の令嬢らしいしな。
助けの手はその気になればたくさんあるだろ。
いざとなったら俺は面白くはないが、ミアもいる。
でも義勇は誰も保護してくれない1人暮らしの子どもで、危険も差し迫っていそうだしな…
俺が手を差し伸べてやらないと、へたをすれば殺される可能性だってある」
あとは…それは敢えて言葉にはしなかったが、気になってしまうのだ。
おそらく目の前にいる相手といない相手の違いなのだろう。
どちらも同じくらい大切だとは思うのだが、義勇は今、本当に手で触れられる距離で苦しんでいるから、それを振り切って今どうしているかわからない、実際どの程度困っているのかわからないユウの窮状を調べに行く事は出来ないのだ。
もちろん、義勇がこういう状況じゃなければ、錆兎はおそらくそれでもなんとか情報を集めて助けようとするのだろうが……
「結局…順位付けできないほどの大事なものというのは複数作ったらダメだよな……
ユウはもし上手くいけば一生添い遂げる事ができるかもしれない相手で…でも義勇はいつか俺の手を離れて誰かみつけてしまうんだよな。
普通なら優先すんのは前者だってわかっているのに、今、本当にこの今の瞬間に、こいつ見捨てられないんだよ」
錆兎的にはなかなか深刻な心の叫びだったわけなのだが、
『互いに生涯支え合う事を誓ったものの相手は大人な嫁を取るか、まだ自分の保護下で守ってやらなければならない子どもを取るか悩んでいる父親のようだな』
と、深刻に落ち込んでいきそうな気持ちを救いあげるように、宇髄は少し茶化した感じで言うので、
「ああ、まさにそれだな。違いない」
と、錆兎も少し肩の力が抜けて小さく笑った。
『まあユウちゃんもお前のそんな性格はわかってっから。
もしインしてきたら俺がちゃんと事情を説明してやるし、義勇の面倒をしっかり見てやれよ』
と、最終的に請け負って、そろそろ始業時間だから…という宇髄に礼を言って錆兎は電話を切った。
とりあえずユウのことは宇髄に任せておけば、何かあったら連絡してくれるだろう。
だから自分が今やるべきことは、義勇にいかに3日の有休が過ぎたあとも一緒に暮らすことを了承させるかである。
そう腹が決まった錆兎の脳内での重要事項…
ユウと義勇、両方一緒に暮らす事を了承してもらえたら、いったいどっちの趣味に合わせて家を買おうか…
心配性なのか楽観的なのか、今ひとつよくわからない男なのであった。
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