とある白姫の誕生秘話32_守るべきもの

錆兎はその夜は正直浮かれていた。

なにしろすごい偶然で自分の側だけユウのリアルの姿を知ってしまってからだいぶたつ。
ネットで知る限りではあるが性格は好みのど真ん中。
そしてリアルで見た姿や雰囲気がまた、好みのど真ん中。

無理に迫るつもりはないが、せめてお友達からでも始められればと思いつつ、リアルの姿を見てしまったことで怯えられてネットでまで距離が出来てはつらいと、何も告げられないまま悶々とすごしていた。

そんなところに持ちあがったのが男性化粧品のモデルの依頼だった。

自分の方が姿を晒して相手が気づいてくれるのが理想だと思っていたところだったので、普段ならもう少し考えるところを二つ返事で引き受けて、あとはそのポスターでさりげなくリアルの自分の姿を見てもらえば、あの日、彼女を助けた男が自分だとわかってもらえるだろう。

そんなまるでおとぎ話のようにドラマティックな展開は、現実主義者なくせにこと恋愛に関してだけはロマンティストな錆兎の心を高揚させた。


そうしてウキウキしながら夜、ユウのログイン時間を待つ。

今日はノアノアこと宇髄は真菰に今後の予定の相談を兼ねてと言われて、社内で軽い打ち合わせをしたあとに広報部の数人と食事予定でログインが若干遅くなる。
だから話す時間はあるはずだ。

そんな事を考えながらログインすると、ユウはすでにインしていて、ギルドハウスの部屋で育てているという植物達に水をやっていると言う事だった。

そんな話を聞くだけで錆兎の脳内に、“あの”ユウが可愛らしい鼻歌交じりに綺麗な花々に水をやっている光景が目に浮かぶ。

願わくば…いつかその横に自分が居たい。


そんな幸せな未来を想像しながら、錆兎はノアノアが今日、ログインが遅れるであろうことを告げて、話しやすいように先にパーティだけ組んでそれぞれやりたい事をやって待っていようと提案する。

こうしてユウはどうやら部屋でそのまま植物の水やりや合成をするということなので、錆兎は話す事をまとめることに集中する事にした。



さて、どう話し始めるかと思っていたところで、ユウが

──ノアノアさんがリアル事情で遅れるって珍しいですね…

と話し始めたので、これだっ!と思って、ノアノアが新規事業の打ち合わせで遅くなるという話から、自分がその新規事業である男性用化粧品のモデルをやることになったのだ、と、実に自然な流れで説明を出来たと思ったところで、ハプニング。

なんとユウが体調不良だということで、即落ちをしてしまったのだ。

挨拶もなしのほぼ即落ち。
よほど急に体調が悪くなったのだろうか……

こういう時、ゲーム内以外での連絡方法が全くないというのがはがゆい。
一体どんな状況なのだろうか…
確かに季節の変わり目なので、体調を崩す人間も多いので心配だ。

今でこそあんな強い女になった従姉妹の真菰は実は幼い頃は喘息持ちで、この季節はよく発作を起こしていた。
錆兎の家は母が早く亡くなった父子家庭ではあったが、錆兎と真菰が同い年でしかも家が隣同士だったのもあって、忙しかった彼女の親に代わって錆兎の家でよく真菰を預かって面倒を見ていたので、錆兎は結構看病慣れしている。
だから…もしリアルでも知り合いで、それこそ恋人とかになれていたなら、すぐ駆けつけて看病をしてやれるのに…と、思う。

だが実際は住んでいる所どころか連絡先すら知らないので、心配をする事しか出来ない。
やがてノアノアがログインしてきたが、事情を話して自分も落ちた。

どう考えたってユウがどこかで体調不良で苦しんでいるのに、楽しくゲームをできるわけがない。

その夜は本当に心配で眠る事が出来ず、気がつけば夜が明けていた。
しかし例え全く眠れなかったとしても会社には行かねばならない。

錆兎は重い頭をすっきりさせるため、やや長めにシャワーを浴びて、睡眠が取れてないならせめてと、食事はしっかりと摂って、いつもよりは若干遅い時間に家を出た。

普段なら電車を使うところなのだが、時間的に余裕があまりないので、万が一を考えて車での出勤だ。



しかしハプニングは続くものである。

ユウの状態を気にしながらも何が出来るわけでもなし、ネット内の人間関係で休むわけにもいかないので出社した会社では、フロアに入るなりなにか周りが騒がしい。


(…朝っぱらから誰か何かトラブったのか?)

と、もしそうなら自分がフォローに入らなければ…と、心づもりで歩を進めれば、なんと

──胃?!胃が痛むんだなっ?!救急車呼ぶかっ?!!!

という宇髄の珍しく切迫した声。

誰か体調が?と問うまでもなく、目に入って来たのはデスクにうずくまっている、可愛い可愛い直属の部下の姿。

その時点で脳内でくすぶっていたもの全てが吹っ飛んだ。


「俺、今日車で来てるから連れていくっ!
宇髄、俺らの休暇の手続きだけ頼むっ!!」

本当に偶然だが、今日車で来ていて良かった。


とにかく反論を許す気はさらさらなく、錆兎は義勇を抱き上げてその軽さに驚く。

いつもいつも、──こいつちゃんと飯食ってるのか?このうっすい腹にはちゃんと内臓とか普通に詰まってんのか?──と、秘かに心配していたが、細い細いと思っていた部下は見た目に比例して羽根のように軽かった。

成人男性がこんなんで、体調を崩さない方が不思議だとすら思う。


義勇は腕の中で血の気を無くして、痛みのせいだろうか、ぷるぷると震えている。

錆兎の父は動物が好きで、よく捨て猫やら捨て犬やらを拾っては病院に連れていき、面倒を見つつ里親を探し、見つからなかった子は自宅で飼ったりしたものだが、そんな事をしていたので、もちろん救いの手が遅すぎて冷たくなった子猫なども多く見てきた。

今、手の中の自称成人男性は、まるでそんな子犬やら子猫のように思われた。

慎重に…しかも早急に適切な対応を取らねば死んでしまうかもしれない…
と、ひどく恐ろしくなる。

──義勇、義勇っ。すぐ病院連れてってやるから、楽にしてろよっ!

と、声をかけても力なく一瞬睫毛を震わせただけで、反応がない。
気持ちは焦るが慎重に、錆兎は駐車場に舞い戻ると後部座席に義勇を寝かせてその上に自分のスーツの上着をかけてやり、車を発進させた。




──ストレス性…胃炎?!

会社の健康診断にも使っている病院に運び込んで診療を受けさせて、言われたのがそれだった。

医者いわく、一応気になるなら後日に胃カメラやレントゲンを取っても良いが、ついこの前、健康診断で異常がなかったので、おそらく神経性だろうとのことである。

今は鎮痛剤を処方されて痛みが治まったら疲れたのだろう。
診察室の椅子に座る義勇はどこか眠そうで、目をしばしばさせているその姿は、どこか夜更かしをした子どものようで愛らしい。

…が、問題は解決していない。
そこまでの体調不良を起こさせるストレスの原因は一体何だ?

とりあえず薬だけもらって病院を出ると、まず駐車場で宇髄に連絡。
今日は錆兎も義勇も有給の手続きをしておいてくれたとのことなので、それに感謝しつつ、義勇を乗せて車を走らせた。

向かう先は自宅マンション。




会社から電車で2駅にある、まあ高級と言えるであろう8階建てのマンションの7階の角部屋。
それが現在の錆兎の住居である。

駐車場に車を停めて、

「…ここ…どこですか?」
と目をぱちくりする義勇に、

「俺の自宅だ」
と、言うと、義勇はさらにびっくりしたように目を丸くした。


そんな可愛い部下を外に促すと、オートロックのドアを抜けて廊下へ。
そのままエレベータに乗りこんで7階でおりる。

シックなグレーの色合い。
つやつやのタイル張りの廊下。

共有部分の空調は建物で一括管理されていて廊下も外には面していないので、エントランスに入った時点で管内全てが適温になっている。

そんな錆兎にはもう慣れた空間に、義勇はまるで初めて外に出た子猫のように落ちつかなさげに周りを見回していた。

そんなところが、ああ、可愛いなと思う。

錆兎は元々小動物を飼い続けた一家で育って、きつく見える顔立ちのせいか気を許してもらうまでに時間はかかるのだが、子どもだって大好きなのだ。

本当の子猫ならここで抱き上げて運んでやるところだが、義勇相手にそれをやったら、さすがに一応ぜんっぜん見えなくても成人男子なわけだし、錆兎は良くても義勇は嫌がるだろう。

それを少し残念に思って苦い笑みを浮かべながら、錆兎は前に立って自室まで誘導した。



「…ってわけで、到着だ。どうぞ?
ああ、靴は脱いでな?」

靴のまま過ごす人間もいるが、錆兎は床も含めて綺麗に保ちたい派なので、玄関できっちり靴を脱ぐ派だ。

このマンションの玄関は入って右側に大きな靴箱があるので、それも気にいって買ったのだ。
ちなみに入って左側には大きな鏡が設置されている。


玄関から一段あがった木目調の廊下。
右側は大きな収納で、左側にはバスとトイレ。

廊下を抜けると12畳のリビングダイニング。その左側にはカウンターキッチン。
奥と右側にそれぞれ寝室と書斎がある。

まあ1人暮らしとしたら充分な広さだと思う。
難点を言えばペットが飼えない事くらいか…。


「とりあえず、ソファに座っててくれ。
飲むもの淹れてくるから」

と、部屋に入ってからもなんだか怯えた子猫のような義勇に苦笑して、くしゃりと頭を撫でると、キッチンに。

リビングダイニングに面したカウンターキッチンなので、ちゃんと心細げにしている義勇の対応が出来るのが良い。


とりあえず胃に優しい物を…と、義勇には蜂蜜入りのホットミルクを作りつつ、自分の分はスイッチ一つで自動で入るバリスタのコーヒーを淹れる。

実家に居る時は父も飲むのできちんとドリップで淹れていたが、1人暮らしを始めてからは、自分の分だけなのでほぼこれで済ませている。

そうしてマグカップをふたつ手にすると、錆兎はリビングに戻ってホットミルクの方を義勇に渡した。

──…ありがとう…ございます……

いまだ慣れずにおずおずと見つめてくる大きく澄んだ青い瞳。
ぴょんぴょんと跳ねた漆黒の髪もどこか猫を思わせて、全体的な雰囲気が可愛らしいと思う。

「…あの……」
「ん?」
「…俺…どうして課長補佐のご自宅に連れて来られたんでしょう?」

膝に乗せて頭を撫でまわしたいな…などと、内心錆兎が思っていると、とうの子猫は泣きそうな顔で言う。
そのどこか不安げな様子が可哀想で可愛い。

だからその不安が安堵に融けるよう、言ってやる。

「あ~、結局原因はっきりしていないしな。
外だと込み入った話もしにくいと思って連れて来た。
…というわけでな、解決に全力を尽くしてやるし、守ってやるから言え。
何か胃に来るくらいのストレスになるような事するやつがいるのか?」



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