村田が指定された位置にひっそりと座ると、真菰が席に座るのを待たずに、さきほどの美女、カナエがキラキラした目で真菰にそう話しかける。
──2人の様子はいかがです?
──私もあとで報告させてもらいますが、とにかく先にそちらのお話をお聞きしたいです
と、それを皮切りに口々に真菰にかけられる言葉。
なるほど。
今日の話題は新入社員についての情報交換なのか…と、村田は納得した。
もちろんその新入社員の前には、おそらく自分などと違って、“優秀な”という言葉がつくのだろうが…
そんな事を思いながら、自腹だと絶対に飲めない、高価なのだろうと思われるワインをありがたくちびちび口に運ぶ村田。
高級そうなワイングラスに入っているだけで、一般庶民を地でいく男には美味しい気がする。
もちろん料理や酒に気を取られて、必要なことをメモに取ると言う仕事を忘れてはならないが、正直、さきほどの女性陣の1人が口にした、“前にやめてしまった子”が、何を思ってやめてしまったのかがわからない。
ただで美味しい酒と美味しい食事付きの議事録係、最高じゃないか!
……と、思っていた時間は、実に短かった……
「とりあえず…まだデキルまでは行ってないと思うのよ」
と、いきなり始まる会話。
できる?…何ができるんだ??仕事か???
今年の新人はまだ入社して一カ月も経っていない。
村田は簡単な雑用以外の仕事らしい仕事は今回のこの真菰のお供が初めてだ。
なのに他の部署ではもう仕事が出来る事を求められるんだろうか…?
まあ村田はモブ気質なので特に出世しようとも思ってないし、良いと言えば良いのだが……
しかし次に出て来た言葉が
「錆兎の方は結構押せ押せというか、抱え込んでいる感があるんだけど、義勇君の方はわけがわかってなくてオロオロしてる感じ」
で、村田は、へ??と首をかしげた。
抱え込んでる?わけがわかってない??
指導熱心な上司と、少しできの悪い部下の話…か??
とりあえず、簡単にメモを取り始める村田。
そんな彼の目の前で、きゃああ~~!!と、女性陣の嬌声があがる。
「素敵だわっ!モーションかけられてても、きょとんてしとる様子が、とても可愛いわっ!」
「私はツンデレも好きなんですけど…
でも初心な子がわけがわからずにいる間に押し切られて、いつのまにか朝にベッドでコーヒー淹れられてるとかも萌える気がします…」
「ん~~でも錆兎さんはそういうタイプじゃないかも。
どちらかと言うと、もう焦れったくなるくらい長く抱え込んだ挙句に、いきなり自分のサイン入りの婚姻届持ってきて、そこで初めて錆兎さんがそういうつもりだったんだって相手が気づくイメージ」
「ああ、キャラクタ的にはそれに近い感じね、たぶん。
でも錆兎も今回はちょっと本気というか…手順を大事にする奴にしては、面接でいきなりプロポーズからの自部署への引っ張り、自分の直属の部下として抱え込みと、随分と強引な手に出てるからねぇ…。
あの子に関してはちょっと特別…かな?
だから、私としては欲望のまま、もう一押し突き進んで欲しいのよねぇ…」
唇に人差し指をあてて少女じみたポーズを取る真菰は、美人なのもあって大人の女の可愛さがにじみ出ている……が、言っている事と目が怖い。
台詞なしならキラキラとして見えるそれが、言葉と一緒に見るとギラギラして見える。
美しい女性が店を彩る薔薇を愛でつつ情報交換をする場……
そんな美しい時間に同席させて頂いたという幻想が消えないうちに、酔いつぶれてしまいたい気分になって、村田は味わう余裕もないままグラスの中のワインを空けたが、とても酔えそうにない。
そして、そういう意味での会社の裏事情など知りたくはない…そう思いつつも、村田は女性の目線の恐ろしさを思い知らされることになるのであった。
システム開発部の鱗滝錆兎課長補佐…
今、女性達の話題になっているその人物の1人は、部署の違う村田でも知っているくらいの有名人だ。
なにしろ顔が良くてスタイルが良くて頭が良くてコミュニケーション能力も高くて仕事もできる。
その全ての優れた度合いが人並みをはるかつきぬけている。
実は村田が学生時代に見た学生向けのワールド商事のパンフレットの社内の様子を説明したページには彼がオフィスで部下に何かを指示している写真が大きく載っているくらいだ。
あれを見て、ワールド商事を目指した女子大生は絶対に居ると思う。
そう言えば…村田の面接の時も、面接官としてそこに同席していた彼は、──転んだ時、怪我しなかったか?気をつけろよ──などと、まるで自分の部下に対するようにフレンドリーに、実に温かい笑みと共に声をかけてくれていた。
まあ…何故転んだことを知っているのか…もしかして自分が転んだ事は人事の目に止まって情報として回されているのか…など、その時は色々がくるくるまわったわけなのだが……
とにかく、そんな諸々で彼のことはよく覚えていたし、今の部に配属されてからも毎日女子社員の誰かしらがその動向にきゃあきゃあ嬌声をあげていたので、なんとなく人物像まで知ってしまっていた。
確か……村田達が受けた最終面接で、彼の目に止まった学生がいたらしい。
それで、その場でその学生にキラキラしい笑顔で
『開発部では君を欲しいと思っている。
出来れば開発部を希望してくれると嬉しい』
と、直球で投げたスカウトは、もはや本社内の女子の伝説になりかけている。
主に…あんな風に鱗滝さんにプロポーズされたい…という方向で…
自部署の宇髄課長と仲が良く、ムラがあって人の好き嫌いの激しい課長の代わりに部内の人事的なものの一切を引き受けている話だとか、開発部署からの説明要員として彼が同行すると新人の営業でもベテランの営業よりも大きな仕事を取って来れるだとか、某財閥系オーナー社長が自分の孫娘の婿にと切望しているとか、諸々逸話の多い人物だが、そんな彼の最近の話題としてよくあがるのが、彼が例の面接で取った新入社員との話である。
とにかく可愛がっているらしい。
とてもとてもとても可愛がっている。
就業時間内はとにかくどこに行くのも連れて歩く。
昼食も一緒。
飲み会などでも隣に座らせてちゃんとアルコールや食べ物の管理までしてやる。
他の人間が新人君に何か勧めてきても、何故か鱗滝課長補佐がやんわりと断りをいれる。
自分の愛息子だから…と、公言しているらしいが、本当にそんな感じである。
村田の周りの女性陣だと、そこから
──鱗滝課長補佐の息子だと言うなら一緒に育てたい。
──子持ちでも良いから付き合いたい…
と、続くわけなのだが、どうやら今真菰達が話しているのは、その鱗滝課長補佐とその愛息子と呼ばれている新人君のことなのだろうが、続く言葉が少し違う気がする…。
「どうせなら私生活も面倒見て欲しいわよね。
一緒に住むとか…」
「ん~まずお泊まりとかからじゃ?」
「どちらかが風邪とかひいてしまって、お見舞いに行って看病して、放っておけなくなって…とかが王道ではないでしょうか…」
「もしくは新人ちゃんにストーカーとか現れて、俺が守らないと!みたいに使命感に燃えて、ミイラ取りがミイラにとかでも素敵!」
「ストーカーはさすがに用意できないので、ライバル登場で焦らせるくらいが現実的なところですね」
と、きっちりと固く結い上げた髪にカナエと同じような蝶の髪留めをつけた彼女にどこか似た学生風の女の子にちらりと視線を送られた村田は、身の危険を感じてブルブルと首を横に振った。
「あ~、村田はダメよ。みんなの手足と諜報要員だから。
目立つ事はさせちゃダメ」
と、言う真菰の言葉は果たして助け舟なのだろうか悩むところだ。
「あ、それなら、私にいい考えがありますが…」
と、声があがるたび、すでに恐ろしい予感しかしなくて、震える村田。
手をあげたのは少し影のある長い黒髪のお嬢さん。
彼女はにんまりと笑みを浮かべてバッグの中から化粧品の数々を取りだした。
「我社の化粧品、ロズプリの役者さん達にひいきにして頂いているじゃないですか…
でもこのご時世ですし、少々事業展開したいのです…。
ということで、今企画している、役者さんだけではなくて一般の男性向けの化粧品。
他の男性向けと差別化ではないのですが、どうせなら少々違う方向性で、コンセプトは『カッコいいのは当たり前、美人、可愛いも演じられる男へ』という風に、ロズプリ感を出してみたいと思っているのです…。
必要なら従兄弟のよしみで梅之丞さんまでなら協力して頂けるので、真菰さんの所で扱って頂けないでしょうか?
ずっとお馴染みさんとしかやりとりをしておりませんし、宣伝とか売り込みの蓄積が我社にはありませんので…。
それで、この役者さんではない人にもということで、鱗滝さんや新人さんにもモニターとして使って頂いて、可能なようでしたらお二人に宣伝のためにセットで写真などを撮らせて頂いたらいかがでしょうか…
そうしたらより一緒に過ごす時間が長くなりますし、距離も縮まるのでは…?」
「あ~~!!!それいいっ!!!
腐女子がだいぶ公けになってきたみたいに、最近は男の娘だってわりあいとオープンになってきたしね。
そのサンプルと資料もらってっていい?
明日部長に言ってみるっ!」
「ええ、もちろんです。なにとぞ宜しくお願い申し上げます」
一応会話をひたすらメモる村田。
最初はメモする必要があるのか?と思っていた女性陣の恐ろしい趣味の話も、後半には仕事に繋がっていて驚いた。
なるほど、真菰の他には真似出来ない仕事というのは、こういう風に持ちあがってくるのだろう。
「では、ある程度型が決まったら情報宜しくお願いします。
うちの大学の情報通を自称するあたりに、まだ企画段階で他には秘密ですが…と、流せば、勝手に周り中から拡散してもらえると思います」
「わ~、いつもしのぶちゃん助かるわ~~」
「それでは…私はロズプリ後援会の奥様達にそんな企画案が出ていると言うお話でもしましょうね。
ワールド商事の大株主の奥様もいらっしゃいますし、雑誌社やテレビ局に繋がりのある奥様達もいらっしゃいますから。
出来れば…推しを思わせる何かの要素を入れて頂けると、宣伝だけではなく、わたくし自身も大量購入して推しの化粧品で部屋を埋め尽くして推しを想いたいのだけれど…」
「貴重なご意見ありがとうございますっ!検討しますっ!!」
「あぁ珠世様、それでしたら謝花家の梅之丞さんをメディア露出させて差し上げることって可能でしょうか…?
舞台のみですと、長男の童磨さんのことやら本家のことやらあって辛いので、出来ればテレビ方面行きたいらしいのですけど…」
「梅ちゃんが?
ええっ、もちろんですよ。
そうですよねぇ…あの子なまじ華があって才能もあるから、上をたてて才能を抑えなきゃならないのは辛いですよねぇ。
私ね、あの子が演じたエイミーがとても好きだったわ」
趣味とビジネスが交差して、どんどん仕事が生まれて行く不思議な空間。
とりあえず少なくとも自社的には男性用化粧品の仕事が持ち上がったらしい。
村田…慌ただしい日々の始まりである。
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