「あ、鱗滝さん、今日はお子さん研修なんですね」
「あら、今日は坊や1人でおでかけなんですね。心配ですか?」
上から、部長、男子社員、女子社員の言葉である。
今日は今年入社の新人全員が一斉に研修に行っているので、義勇がいない。
それでどことなく静かな錆兎に、皆が苦笑交じりに声をかけていく。
今年の新人が入社して2カ月の時が過ぎた。
1年半ほど前に面接で自ら見いだして自分の補佐につけた新入社員は、可愛くて気が利くだけじゃなく、かなり優秀な人材だった。
頼んだ仕事は素早く正確にこなすし、休憩時間になるとそこそこのお値段を出した店でも飲めないほど美味しい紅茶を淹れてくれる。
教える事は砂が水を吸うように吸収し、最近は錆兎のスケジュールも把握し始めて、先回りして色々を整えておいてくれるようにすらなった。
そんな優秀な人材であるにも関わらず、褒めてやるとふにゃりと嬉しそうな顔をする。
童顔で下手をすればティーンズにしか見えない愛らしい顔でそれをやられると、実は子どもや小動物が好きな人間にはたまらない。
彼が入社してから、会社が倍楽しくなった。
そんな溺愛している部下が丸一日いないと、表情に出すまいと思っていてもしょんぼりして見えるらしい。
もう片方の隣にデスクを構える宇髄などは
「以前、ユウちゃんのことで悩んでいらした時以来くらいに顔に出てるなっ」
と、笑う。
まああの時は理由を言うわけにもいかなかったので周りは何事かと動揺したものだったが、今回は錆兎が日々──俺の息子──と、公言して可愛がっている部下が原因だと言う事は一目瞭然なので、周りも温かい目で苦笑するに留めていた。
本当に…自分のデスクの左側にちんまりと置かれたデスクが寂しい。
──鱗滝課長補佐…
と、いつもつぶらな瞳を向けてくる可愛い部下がいないと、どこかぽっかりと心に穴があいたようだ。
昼食の時だって、いつものように、一歩後ろを宇髄と並んでちょこちょことカルガモの雛のようについてくる気配がしないのが物足りない。
本当に本当に物足りない。
「お前って、実はわりあいと感情的な人間だったんだな」
今日は久々に宇髄と2人きりの昼食。
彼は相変わらず肉々しい食事をしているが、注意する元気もない。
「ああ?そうか?」
と、何故か今日は味気なく感じる昼食を口に放り込んで言うと、宇髄は綺麗な髪をさらりとゆらして笑った。
「俺がこっちに転属してしばらくは本当にいつでも冷静で、面倒見はいいが実は自分の感情をほぼ出さねえし読めない奴だなぁと思ってたんだが、ユウちゃんと義勇のことになると、マジわかりやすく表情に出すよな」
そう言う宇髄もあまり本音が顔に出ない方だと思うのだが……と、読めない笑顔を貼りつけている上司に視線だけちらりと向けると、彼はちょうど最後の一口を食べ終わったらしく、あ~美味かった。ごちそうさん…と、両手を合わせて言う。
そしていつもそうであるように、最後に食後のコーヒーをすすって言った。
「そう言えば…このところいつも義勇がいたから話題にあげるのも…と思ってたんだが、結局ユウちゃんの件はどうしたんだよ?」
新人の入社から2カ月ということは、リアルのユウに出会ってからも2カ月と少したつということだ。
宇髄もいい加減気になるところだろう。
ゲーム上では相変わらず3人でオーバーポイントパーティを作って野良で3名メンバーを補充して狩りをする日々だが、リアルの進展は全くない。
「ネット上と変わらない」
と、まず一言。
水面下で何かあるわけではないと、結論から伝えておく。
「あれからミアの兄貴でもある友人にさりげなく聞いたんだけどな、ミアは女の格好していてなかなかの美少女っぷりだったんだけど、実は妹じゃなく弟なんだと」
「おぉっ??」
と、それを聞いた宇髄がぴたりとコーヒーカップを口に運ぶ手を止めて、わずかに目を見開いた。
「なんでもロズプリの有名な女役の家系で、女の動作を学ぶために普段からそういう格好しているそうだ。
お姫さんは友人で、行きたいビュッフェが同じだったってことで一緒に行くことにしたらしい。
まあ…ゲーム上では最初からの知人には見えなかったから、もしかしたらネット上でそんな話になったのかもしれないな」
「それでも一応ミアは男で、ユウちゃんは男と出かけてるってことだよな?
いいのかよ?」
「よくはないけどな…。
友人に言わせると、2人は一応“女友達”らしいぞ?
ミアいわく、女同士で出かけるようなところに行って、女同士のような行動をしたいが、“彼女”を女としてみてくれる相手じゃないと、名門の家だし一応芸能人なんで色々と問題になるらしい。
で、お姫さんの場合、“女友達”としての付き合いから入っているから、ちょうど良いってことなんだそうだ」
「なるほど。それで?お前はどうするつもりなんだよ?」
「どうもこうも…普通に考えたら、意としてないとこでリアル知られたって知ったら、お姫さんも怖いだろ。
そう思ったら、俺の方からリアルで会ってるって言えないしな…。
理想は俺の方がなんらかの偶然でお姫さんに顔晒すことになって、お姫さんの方が、ああ、あの時の?って気づいてくれるのが一番なんだけど…」
そんなうまくはいかんよなぁ…と、錆兎は肩を落とす。
そう、そんな都合の良い偶然はない…そう半分諦めていたのだが、求めよ、されば与えられん…とばかりに、チャンスは意外に向こうから転がってくる事もある…
この数日後、錆兎はそれを知ることになるのである。
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