その日はグゥ~と腹が鳴って目が覚めた。
だからそのままの勢いで飛び起きて着替えてキッチンへ飛び込めば、焼けたベーコンのいい匂いが漂ってくる。
そう、これだ。
この匂いだ。
錆兎がとろとろふわふわのオムレツに添えるために炒めているベーコンはなんと自家製だ。
豚バラブロックが安い時に買い込んで、義勇も一緒に手伝わせてもらって作った。
スパイスに漬け込んだ肉を3日間置いて、錆兎が自宅から持参した燻製用の小さな鍋にこれも持参の木くずを入れて燻す。
これで出来たベーコンの香ばしい香りを嗅いでしまえば、二度と市販品など食べられないと思った。
錆兎に言わせると義勇は同年代の男としてはありえないくらい細いのだそうだ。
それで、一緒に過ごしている間は少しでも栄養をつけて太らせると、本当に色々なものを作ってくれる。
もちろん勉強もしなければならないので料理にとてつもない時間をかけるわけには行かない。
だからきちんと吟味した素材でつくったものを作り置きするのだと、冷凍のプレートしか入っていなかった冷凍庫には、錆兎が作り置いたトマトやクリームのソースや、多めに作ったベーコン、ジャム、その他諸々がところ狭しと並んでいた。
そんな作り置きを上手に使って、錆兎の手はあっという間にごちそうを作る。
それが不思議だけど、楽しかった。
ずっとアンパンかぶどうパンで済ませていた…時にはそれすら取らなかった実に面倒だった朝食が、錆兎と暮らすようになってから、楽しみになった。
食事もすごく美味しいのだけれど、美味しいと頬張れば、それは良かったと、嬉しそうに返ってくる笑顔が好きだ。
自分が幸せだということを喜んでくれる相手がいると思うと、それだけでさらに幸せになれるのだ。
そんな優しい日々が続いたこの日…食後に義勇は錆兎とリビングでニュースを見ていた。
普段は勉強をしている時間なのだが、その日ニュースを確認していたのには理由がある。
顔見せの時に犯人を特定しようとしていたウィザード、エドガー。
彼は錆兎に個人的に情報交換をしないかと持ちかけてきていて、時折り自分の方の情報を流してくれていたらしいのだが、
前日
『やあ、サビト。
今まで色々聞かせてくれてありがとう。
おかげでようやく犯人が割れたよ。
んで、すぐ糾弾したいところなんだけど、
実はそうと知らずに犯人と行動を共に
してる人がいるんだ。
追いつめられた犯人がその人物に危害加えない
とも限らないから、とりあえず先にその人物に....
事情を話して距離を取る様に忠告して、距離を
取ったのを確認したあと、主催にとりあえず
連絡をいれると共に、みんながいるところで
僕の推理を披露しようと思う。
まあ楽しみにしていてくれ。
それでは夜にまた。
エドガー@芳賀耕助』
というメールを寄越したまま、その日の夜にインしてこなかった。
たいてい行動を起こしたり起こそうとしてインして来ない時には何かがある。
だから嫌な予感にかられながらニュースをみていたら、案の定だった。
久しぶり…というにはあまりに短い期間ではあるが、2,3日おきくらいに死人が出ていた最近にしては1週間という日が開いているのは久しぶりと言えるだろう。
第4の犠牲者が今テレビで流されている。
都内在住の高校生…芳賀耕助。
…エドガーだ……
しばらく死人が出ていなかったので、なんとなくもう誰かが魔王を倒すまでは犠牲者は出ないような気になっていたのだが違うようだ。
「大丈夫、大丈夫だ。安心しろ。
義勇は俺がちゃんとガードしてるだろ」
蒼褪めた顔をしていたのだろう。
殺人…というと、どうしても姉の事件がフラッシュバックする。
次は自分だ…と思う気持ちが拭えない。
だが、プツっとテレビが消されると同時に、錆兎に抱き締められて力が抜けて行く。
そうだ…大丈夫…
自分達には錆兎がいる……
いつだって錆兎は義勇が一番欲しい言葉をくれて、欲しい事をしてくれた。
絶対に守ると言ってくれたのだ。
「…うん…そうだよな」
せめて信じているという意思表示くらいはしなくては…と、こわばった口を頑張って動かしてみると、
「おう、大船に乗ったつもりでまかせておけ」
と、錆兎はいつものように自信に満ちた笑みを浮かべ、それを見ているうちにだんだんと恐怖と不安が薄れて行った。
そうして二人で一緒にキッチンに立って昼食を作り、一緒に食べて洗い物をしていると、固定電話に一本の電話がかかってきた。
義勇が出て、相手の声を聞いて、またいたずら電話かと気遣わしげな視線を向けてくる錆兎に、大丈夫だ、と、合図をした。
『やあ、元気かい?義勇君。最後に会ったのは先月だったかな。
今年も暑いけど夏バテとかしてない?大丈夫?』
ここ数年、唯一くらいに義勇に優しい言葉をかけてくれた人物…亡くなった姉の婚約者だった早川さんだ。
「ええ、おかげさまで。
ゲーム…ありがとうございました。
楽しくやっています」
と、礼を言うと、電話の向こうで
『それは良かった。
参加者がみんな同じ年頃の子達だから友達でも出来たらと思ったんだけど、できたかい?』
と、嬉しそうな声。
そうだ…錆兎と出会う前はずっとこの人だけが唯一義勇の幸せを喜んでくれていたのだった。
だいたいひと月に1度は時間を作ってくれて一緒にお茶を飲んで近況を聞いてくれる。
いつもこれと言って変わりはなく、心配させるばかりだったが、今回は話せる事がある。
今こうして錆兎が家に居ることはさすがに口には出来ないが、それを抜かしても彼が与えてくれたゲームで友だちが出来た。
ゲーム内とは言え、毎日友だちと楽しく遊んでいる。
それを報告したら、姉が亡くなってから6年間もずっと義勇の幸せを願っていてくれた優しいこの人は喜んでくれるだろうか…
そう思うと心がほわほわと温かくなった。
『そろそろいつものお茶会をと思ったんだけど、今日は都合どうかな?』
と、聞かれて二つ返事で了承。
電話を切った時点で気づいた。
「あ、錆兎、今日は例の早川さんと定例のお茶会だから…」
そう告げると錆兎は今はこういう危ない時期だから…と、渋い顔をしたが、結局、念の為に錆兎が先日防犯グッズを買い集めた時に買ったGPSを付けていくことを条件に許可が出た。
殺人事件が起こってからはずっと錆兎がそばにいて、おかげで個人情報の漏れなどほとんどないのに心配性だとは思うが、そんな用心深さのおかげで12人中4人も殺されている中で、自分たち4人の中では1人も死者がでていないのだから、感謝しなければならないし、なにより義勇の事を思ってくれてのことだと思うと、その気持がとても嬉しい。
「念の為、ゲーム上のやりとり以外の事は口にしないこと。
あと、帰りは迎えに行くから相手と分かれた駅の改札で電話をして待ってろ。
電車はホームから突き落とされたりする可能性が皆無とは言えないからな。
絶対に1人でホームには立つなよ?」
なんと錆兎は最寄り駅のホームまでわざわざ入場券を買ってついてきた。
そして電車が来るまでの時間、細々と注意をしてくる。
本当に過保護だなぁと思うものの、まあこういう時でなくても義勇はなんだかよく知らない人間に絡まれるので、錆兎にしてみたら十分危なっかしい人間なのだろう。
こうして電車が来たのでそれに乗って30分。
待ち合わせの駅までつくと、早川さんはもう来ていて、義勇が駆け寄ると挨拶もそこそこにペットボトルの水を渡される。
「実はね、ちょっとおもしろい店を見つけたから義勇君を連れていきたいなと思ったんだけど、外暑いしね。
熱射病になるといけないから、それ飲んで」
…ということらしい。
自分の周りは本当に過保護な人ばかりだ。
いや…あえて皆がそういう態度を取るということは、やはり自分が危なっかしい人間に見えているということなのだろうか…
心外!
と、思うものの、そこで善意の気遣いに噛み付いてもしかたがない。
義勇は礼を言うとそれを飲み干して、楽しげに外に向かう早川さんのあとをついていった。
駅を出るととたんに痛いほどの日差し。
眩しい…
日差しの強さにクラクラする。
目が回る。
…ゆうくん……義勇君…?
早川さんの声が遠くに聞こえた。
もしかして熱射病以前に貧血か?
ああ…どうしよう……
そう思った次の瞬間には、義勇の意識は闇の中へと堕ちていった。
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