美しい顔立ちをしているのに無愛想だ、表情がない…と、言われるかの人が、その狼に触れ、毛並みを撫で、その名を呼ぶ時のみ、ひどく優しく穏やかな顔をする。
それはもう水柱の近くにいる人間達には周知の事実だった。
狼というのは当然愛玩動物ではありえないし、実際にその白い狼は不思議なほど強い。
鬼を滅する任務につく冨岡の傍らにあって、時にその身を守りさえするという。
それは炭治郎が義勇に出会うはるか前…義勇が最終選別を超えたすぐくらいから、ずっと義勇の側にあって、その頃はまだ子犬と思われていたくらいの子狼だったのに、まだ幼く弱い義勇を守り支え続けていたのだと、彼の同期の村田は語る。
──まるでさ、最終選別であいつを含めて全員を守りきって自分は死んでしまったあいつの兄弟弟子みたいにさ…
そう、そう思ったのは村田だけではない。
誰よりも守られていた義勇がそう思っている。
だから兄弟弟子が亡くなった直後にその代わりのように義勇を傍らで守り始めたこの白い狼の名は錆兎。義勇の兄弟弟子と同じ名前。
義勇自身がそう名付けたのだった。
「錆兎さん、冨岡さんたらまたちゃんと薬を飲まず完治しないまま医療所を抜け出したんですよ!
とにかく薬だけはちゃんと飲むように言ってくださいね!
これが薬です」
その日炭治郎が水柱邸を尋ねると、頭から湯気をたてながら包みを手にした胡蝶しのぶが白い狼を相手に話している。
この狼は随分と賢くて、まるで人語を理解しているようだ…というのはもっぱらの評判で、義勇とわりあいと接触の多い胡蝶などは、まるで義勇の同居人を相手にしているように、普通に苦情を申し立てるのだ。
実際、そんな胡蝶に狼は申し訳無さそうに、くぅ~んと一鳴き。
そんなことを動物に言っても仕方あるまいに…と、炭治郎が
「錆兎に言っても困るでしょう。
俺が渡しておきますよ」
と、声をかけると、胡蝶はきっぱりと言い切る。
「たぶん炭治郎君が言ってもあの人は聞きやしませんよ。
冨岡さんは本当に変なところで頑固な人なので」
「でも…っ!」
「大丈夫っ!錆兎さんに任せておけば」
と、言う炭治郎としのぶのやりとりに、狼はしのぶの手の包みを咥えると、まあ任せておけと言わんばかりにしのぶにむかって差し出していた炭治郎の手を尻尾で一撫で。
そうして館の中へと消えていった。
正直…あまり楽しい気分ではない。
自分は義勇にとって動物以下か…長男としての矜持が…と、一瞬思って、炭治郎は、そうじゃないだろう…と、ため息をつく。
相手が動物だろうと人間だろうと、自分が長男であろうと次男であろうと、自分は義勇の一番でありたいのだ…と、そんな自覚が炭治郎にはあった。
自覚したのはいつだったのか…もうはっきりは覚えていないのだが、竈門炭治郎、彼はもうずいぶんと長い間、兄弟子冨岡義勇に恋をしている。
隠し事など出来ない性格なので、実はもう何度も打ち明けて、玉砕したのは何度目かももう覚えていない。
確かに義勇からは自分に対する好意の匂いは嗅ぎ取れる。
そして好きだというたび
──ああ。俺もお前の事は好きだぞ
という言葉が返ってくるのに、付き合ってくれと言うと
──ありえんな。
と、すげなく返されるのがもうよくわからない。
実は今日もこれから玉砕…いや、告白をしに義勇を尋ねるところだったのだが、その寸前で、義勇をよく知る人物に、彼が自分よりも飼っている狼の方を重視しているなどと言う意味の言葉を吐かれて、地の底までも落ち込んだ。
それでもここまで来て帰るという選択肢は流石にない。
だから、
「義勇さん、ごめんください。入りますよ~」
と、声をかけて中に入った。
そしてかつて知ったるなんとやらで茶の間にあがると、縁側に座る義勇に、ゔ~!!と唸る狼。
「錆兎!義勇さんに何をするんだっ!!」
と、そこで慌てて割って入ろうとする炭治郎を、義勇はしかし手で制した。
「違う…錆兎が怒っているのは俺が苦いと薬を飲まないからだ。俺が悪い」
と、そこで小さくため息をついて、諦めたように、心底嫌そうに胡蝶がさきほど錆兎に託した薬を飲み、そして一言
「…苦い……」
と顔をしかめる。
それに狼がまるでそんな義勇を褒めるように、その頬をぺろりと舐めた。
すると義勇は、あれだけ他の犬に対しては怖いと避けるくせに、その狼の行動には嬉しそうに笑みを浮かべて、その首に手を回して抱擁するのだから、動物相手に情けないと思いつつも、羨ましさと嫉妬心からため息が出る。
「…義勇さん……」
「…なんだ?」
「…俺…義勇さんが好きです」
「…そうか。俺もお前のことは好きだぞ」
と、ここまではいつものやりとり。
そこで普段は
──付き合って下さい
──無理だ
と、続くのだが、今日は少し思うところがあって、違う言葉が零れ出た。
「錆兎より…ですか?」
その炭治郎の言葉に、義勇は少し驚いたように、その場に立ち尽くす炭治郎を見上げた。
「どういう意味だ?」
「例えば俺と錆兎が同時に死にかけていて、どちらかしか助けられないとしたら、義勇さんはどちらを助けますか?」
自分でも馬鹿で嫌な質問をしていると思う。
しかし義勇はそうは思わなかったようだ。
「お前だな」
と、即答する。
嘘の匂いはしない。
もともと義勇は口下手である分嘘をつくような人間ではないのだが。
それでもあまり良い予感がしないのはどうしてだろうか…
「それだと錆兎は死にますよ?」
と続けた時にそれがわかった。
その炭治郎の言葉に
「かまわん。その時は俺も錆兎と一緒に死ぬから。
お前は守ってやらねばならん存在で、錆兎は俺が共に在るべき存在だ」
と、義勇が愛おしげに白い狼の綺麗な毛並みの間を指で梳く。
それに普段なら大人しくそうさせている狼は、また抗議のような唸り声をあげるが、義勇はぎゅうとその首を引き寄せて狼の毛並みに顔を埋めると、
「…仕方ないだろう?許せ。俺は随分と頑張った。
でも2度目の喪失に耐えてそれでも頑張れるほどには強くはない」
と、まるで甘えるように狼の毛並みに顔を埋める。
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