鬼殺隊本部で宇髄の絶叫が響き渡る。
「ちょっと待てっ!これだけは勘弁してくれっ!!
無理っ!無理だからっ!!!」
なんのかんのでめったなことでは動じることのない宇髄だが、今回ばかりは頭を抱えた。
今回の土下座組は胡蝶姉妹と不死川で…その不死川の腕に抱えられているのは宍色の髪の幼児。
年の頃は4,5歳くらいだろうか…。
顔に特徴的な傷こそないものの、きりりとツリ目がちな藤色の瞳のその子どもは、そう…言うまでもない、鱗滝錆兎その人だ。
「不死川殿、もう目的地について歩みの違いを気にすることはなくなったことだし、おろしてもらって良いだろうか」
と、普通の幼児なら怯えて泣きそうな不死川の傷だらけの顔に怯えることもなく、幼児らしからぬ口調でそう言う錆兎に複雑な視線を向けつつ、
「お、おう」
と、不死川は幼児を床に下ろす。
「道中ありがとうございました」
と、それにきっちり90度頭を下げるあたりが確かに錆兎だ…と、宇髄は錆兎が初めて柱の顔合わせに来た時の事を思い出して遠い目になった。
そのお子様は、ああ、これどうするよ…と、まだ頭を抱えている宇髄の前までくると、自分の倍ほどの身長の宇髄を見上げて、
「よくはわからないが、血鬼術というものを使った鬼はすでに退治したので、おそらく長くとも2,3日ほどで元に戻るとの事。
大人の俺は重職についているとのことなので、それまでは仕事面で多少の負担をかけるとは思うが、それ以外は心配には及ばない。
それより上の人間が動揺すれば下の者に不安を与えるので、冷静な対応をお願いしたい」
と言い放つ。
それにここまで一緒だった不死川としのぶ以外の皆がぽかんと呆ける。
「え?え?お前、もしかして大人の頃の記憶あったりする?」
と、宇髄がその場にしゃがみこんで視線を合わせると、子どもはきょとんと小首をかしげた。
そんな様子はたいへん愛らしくも子どもらしいのだが…
「本人これで5才児らしいぞぉ。
ずっとこんな状態なんだけどなぁ」
と、不死川がため息混じりに補足する。
「まじか…こんな子どもだからあんな少年期を経てあそこまでに育つのかぁ」
と、それに宇髄は別の意味で頭を抱えた。
そこへまた1人駆け込んできた。
そう、錆兎の相棒兼恋人が……
「さ…さびと…」
事情は聞いてここに来ているのだが、実際に目前にすると言葉が出ないらしい。
……と、思ったが違った。
一瞬、ウッと詰まったあとに、
「お、俺が育てるっ!!
絶対に元の錆兎に育ててみせるからっ!」
と、いきなり錆兎を抱きしめて号泣する。
それに抱きしめられている本人を含む、義勇以外のその場にいる全員がため息をついた。
「おぉい…」
と、宇髄が突っ込む前に、5才児が号泣する21歳をなだめるように、背に回りきらない手でポンポンと叩く。
そして言う。
「そう言う問題じゃないそうだ。
血鬼術と言うもので現状のようになっているから、長くとも2,3日も普通に過ごせば大人になるそうだから、泣かないでいい。大丈夫だ」
これに当人達以外の周りはさらにぽか~んだ。
宇髄に至ってはさらに
「おいおい、相手が5才児になっても関係性は変わりませんってかぁ?」
と、眉間を抑えてため息をついている。
「…天然ドジっ子の面目躍如…ですね。嫌な面目躍如ですが…」
と、さらに胡蝶が
そして最後に
「とりあえず…誰かんとこで預かるのが正しいなぁ、こりゃあ。
義勇じゃ錆兎の面倒をみる以前に、自分の面倒を見てもらう相手が必要な気ぃするしなぁ」
と、不死川がガリガリと頭をかいて、
「ってことで、うちでもいいぞォ」
と、名乗りをあげた。
しかしそれには義勇が
「やだっ!錆兎と離れるのは嫌だぞ!」
と泣きながら首を横に振って異議を唱える。
そこで5才児が
「あ~、泣くなっ!男だろう?
男として生まれたからには表で軽々しく泣くものではない」
と、それにそう言いつつも、
「申し訳ないが誰か食事だけ届けてもらえないだろうか?
それさえなんとかなれば俺は自分の身の回りのことは自分でできるし、これを放ってはおけない」
と、申し出るにいたって、周り中から本当にどでかいため息が漏れ出た。
「5才児になったのはどっちだよ…」
と、肩をおとす宇髄。
「今回は…例によってしのぶをかばってということですし、食事は花屋敷の方から責任をもって届けさせます」
と請け負うカナエ。
錆兎はそれに礼を言いつつも、
「じゃあ、錆兎兄さんが元に戻るまで私が水柱屋敷に泊まってお世話します!」
と、さらに勢い込んでそう言うしのぶには、
「妙齢の女性が男の家に寝泊まりするのはよろしくないだろうと思います。
だからその件についてはお気持ちだけありがたく頂いておきます。
ありがとう」
と、にこりと妙に大人びた笑みを浮かべる。
「さすが錆兎兄さん…幼くても言うことが違うわ」
と、感心するしのぶの横で、宇髄が
「いや、さすがとかじゃなく、5才児として言うことがおかしいわ、こいつ」
と、呆れ返ったように言って、容赦なくしのぶに殴られた。
その後カナエに
「他に何かご入用のものはありますか?あれば用意いたしますが…」
と、聞かれて、
「それではすまないが、俺の手でも扱える竹刀かそれに準ずるような物があれば用意してもらえるだろうか?
きちんとした物でなくとも素振りが出来ればそれでいい。
鍛錬を欠かしたくないだけだから」
などとそんな言葉が5才児の口から出てくるので、全員無言になる。
「いや…菓子とかさ、要らねえのかァ?」
と不死川が聞けば、5才児は何故か隣の21歳児を見上げて、
「菓子…で泣き止む年でもないと思うが?
他に面倒をみなければならない子どもでも?」
と言って大人たちを脱力させる。
「お前…子どもらしくないって言われねえか?」
と、宇髄がまたその前にしゃがみこんでそう問いかけると、子どもはにこりと
「俺は男として生まれた時点でご神刀の護り手であり、参拝者の導き手でもある。
子どもでいる暇はないと育てられているので、そう言う意味の気遣いは無用だが、気遣い自体は感謝する」
と言ってさらに周りを無言にさせた。
こうして支度が整って、さすがに錆兎が子どもになっているというのを周りに知られたらパニックになるだろうと、特別に用意された自動車で水柱邸に向かう対柱を見送って、全員が詰めていた息を吐き出した。
さて、水柱邸に着くともう夜だったので、持たされた食事を摂って風呂に入る。
5才児だから…と思って義勇も一緒に入ったのだが、錆兎は5才児でも普通に髪まで全て自分できちんと洗えて、むしろ風呂からあがったあと、義勇のほうが風邪をひくから髪をきちんと拭けと髪を拭かれてしまう。
義勇が錆兎に初めて会ったのは確か7歳の頃だったと思うが、あの頃の方がまだ今目の前にいる5才児よりは子どもらしさがあった気がした。
そこで義勇は子どもが寝るのであろう時間に合わせて布団を敷きながら尋ねてみた。
「錆兎は…親御さんといてもこんな感じなのか?」
「こんな感じ?
言葉という意味なら両親には敬語を使う。
義勇は相方だと聞いていたから大人でも敬語を使っていないが、敬語の方が良かったか?」
返ってきた言葉は質問したかった内容とはズレていたが、それはそれで驚かされた。
「いや…言葉はこれでいい。
両親に敬語…なのか。
親というのは錆兎にとって甘える対象ではないのか?」
と、さらに尋ねると、合点がいったらしい。
「ああ、そう言う意味か。
俺の家は絶対に守らねばならぬご神刀があるから、父に万が一のことがあれば、その時には俺が1歳であろうと2歳であろうと、その役目を引き継がねばならない。
例えば俺が次男だったり、まだ祖父が生きていて父も居てとか、他にもその任を背負える者がいる状況なら多少は環境も違ったかも知れないが、祖父は亡くなり父も俺も一人息子な時点で、俺は早く大人になってご神刀を守れるだけの力を身につけなければならないからな。
両親も早く大人になるよう望んでいる。
あとは先程も言ったが、対外的にも俺は導き手の血筋だ。
参拝者にとっては年齢は関係なく、それにふさわしい姿をみせなければならない」
「そういうのは…辛くないのか?」
錆兎とずっと一緒に育ってきたが、初めて見る5才児の錆兎は一番遠い存在のように感じた。
確かに錆兎は知り合った頃からしっかりとした子どもではあったが、もう少し感情が表に出る子だった気がする。
5歳の錆兎はなんというか…誰かに似ている気がするのだが…
義勇の問いは何故か錆兎を驚かせたらしい。
藤色の綺麗な目が丸くなった。
「俺が辛いか辛くないかは…あまり重要ではないんじゃないか?」
と言われて、義勇のほうが驚いてしまう。
「重要だろう?!俺は錆兎が辛いのは嫌だぞ。
感情を抑えるのが辛ければ出せばいい。
対外的に問題があるというなら、俺と2人きりの時ならいいだろう?
俺に甘えろ。さあ!」
と、いつも錆兎がしてくれるように抱きしめると、腕の中で錆兎が固まっている。
「…俺じゃ…駄目か?」
と、その様子に義勇がしょぼんと肩を落とすと、錆兎は困ったように笑って義勇を見上げて言った。
「すまない。そうじゃなくて……
そういう経験がなさすぎて、甘えるというのはどうすればいいのかわからないんだ…」
心がぎゅん!とした。
きゅんなんて生易しいものじゃなく、濁点が付く勢いだ。
普段はいつもいつもしっかりしていて何でも知っている錆兎が、いま子どもで甘え方がわからないと言うのだ。
愛おしいなんてものじゃない。
甘えさせてくれる錆兎も大好きだが、逆もこんなに愛らしいなんて反則だと思う。
「…心の力を抜けばいい。
他の子どもがしているように、辛い時は自分の中でためずに外に出せばいいと思う。
俺と錆兎は二人で一対の対柱で…ずっと一緒に支え合って生きていくと誓った仲なのだから、互いに辛い時はもたれ合えばいいんだ。
不安なことも悲しいことも全部俺にぶつければいい」
と、さらに強く抱き寄せると、ずっと確認はしたくて…でも明らかにすることで動揺してしまうのが怖くて聞けなかったのだろう。
腕の中の錆兎が珍しく不安げな声で聞いてきた。
──俺がここにいるということは…ご神刀がなくなったということなのか?
難しい質問だ。
義勇もそれを正確に理解しているわけではない。
「俺が聞いたところによると…ご神刀は錆兎の中に吸い込まれたらしい。
その力は確かに存在していて、俺達は何度もそれに助けられている。
ただ、刀としての形という意味では失くなったようだ」
「…そうか……」
義勇の言葉を聞いて、錆兎はそれを自分なりに理解したようだ。
しばらく考え込んで、苦いものを飲み込むように息を飲み込み、そしてぽつりと呟く。
──有事が起こったんだな…そしてご神刀が父ではなく俺の中に入ったということは…そういうことか……
おそらく親の死を悟り、それでも泣くこともせず、ただ沸き起こる感情を爆発させないように静かに息を吐き出して平静を保とうとする。
そんな風に小さなこぶしを握りしめて俯く錆兎の頭を義勇は胸元に引き寄せて押し付けた。
「ほら、今だ。
そこで唇を噛みしめるな。
感情を閉じ込めずに力を抜いて吐き出せ」
そう言うと、腕の中の小さな身体がびくりと震えた。
やがて静かに力が抜けていく。
そうしてほんの少し逡巡したあと、
「…ふっ…ぅ……ぇ……」
と、小さな肩が震えて、義勇の寝間着の胸元が濡れていく。
錆兎は義勇と出会った頃から泣かない子どもだった。
いつもいつも泣くのは義勇で、錆兎は苦言を呈しながらもいつも涙を拭ってくれていた。
それが当たり前すぎて考えたこともなかったが、錆兎はそれで苦しくはなかったのだろうか…
それとも鱗滝さんがこうして胸を貸してくれていたのだろうか…
いつもいつも頼りになる頼もしい錆兎が好きだ。
でもその錆兎が泣きたくなった時くじけそうになった時に支えるのは、自分だけでありたい…。
「…さ…さびと…これからは…お前が泣きたい時に側にいるのは…俺だけがいい」
ぼそぼそっと義勇がそう言うと、もぞりと胸元に埋められていた錆兎の顔が上を向く。
初めて見る錆兎の涙顔に思わずドギマギしていると、その顔にニコリといつもの笑みが浮かんで
──大人の俺は幸せ者だな。泣きたい時にこんなに綺麗な相方に側にいてやりたいと言ってもらえるんだからな。
と、いつもと違う柔らかく小さな手が頬を撫でてくる。
「…っーーーー!!!」
5才児なのにっ!
5才児なのにキラキラしすぎだーー!!!
「も、もう寝るぞっ!子どもは寝る時間だっ!」
半分パニックをおこしかけて、義勇は錆兎を抱えたまま布団にパタッと横たわる。
そして…
「い、いや、違うぞっ!
寝るっていっても本当に寝るだけだっ!
今のお前は5才児だからなっ!!」
と、その勢いで口にして、また、わあぁーーーっ!!と自分の言動でパニックに。
「なんだかわからないが…まあ、落ち着け」
と、逆に5才児にポンポンとなだめられた。
そうして抱きしめた胸元でクスッと笑みを浮かべる錆兎。
「…俺の相棒は…存外に綺麗で愛らしくて…そそっかしいんだな」
と、いつもより高い声で言われてクラクラしてきた。
もう自分は子どもだろうが大人だろうが、なんなら老人でも女性でも、錆兎なら何でもときめくのだろうと、義勇は思う。
しっかりはしていても身体はしっかり5才児なのであろう錆兎は、横たわってしばらくすると義勇にしっかりと抱きしめられたまま眠ってしまった。
いつもより少し高い体温。
普段は逆に抱きしめられて眠るので、こうやって胸元に抱え込んで眠るのはなかなか新鮮だが、なんとなく肩口が寂しい気もする。
…錆兎の髪…これはいつもと同じふわふわだ…
と、その代わり今日は宍色の髪に顔を埋めるようにすると、義勇が大好きな、男らしく全体的にやや硬い雰囲気の錆兎の中で唯一くらい柔らかい宍色の髪が頬に心地よい。
ムフフッとその感触を楽しんでいるうちに、義勇もいつのまにか眠りに落ちていたらしい。
気づいたら胸元にある頭が一回り大きくなっていた。
──…おはよう、義勇。飯はできてるぞ
朝の日差しが差し込む中、そう言って起き上がったのは義勇がよく知っている21歳の錆兎だ。
「なんて顔してるんだ?ほら、顔を洗ってこい」
と、錆兎自身はいつものように一度起きたあとに布団に戻ったらしく、もう部屋着に着替えている。
まあ食事が出来ているということはそういうことなのだろう。
手にパサリとおとされた手ぬぐいをそのままに、ややぼ~っとしている義勇に錆兎は少し眉を寄せて、
「義勇?」
と、顔を覗き込む。
「今回の血鬼術はそんなにひどかったのか?
こうやって水柱屋敷に戻ってきているということは、さして問題がなかったのかと思っていたのだが…」
と言う言葉から察するに、錆兎には術を食らってからの記憶がないのだろう。
「お前が…5才児に戻っていた。鬼は倒しているから、一日だけだが…」
「ふむ…俺は何かやらかしたのか?」
「いや…5才児なのに男前すぎて、動揺させられたが…
それよりお前こそ元に戻っているのに何故あの体制だったんだ?」
そう、そこが知りたいと錆兎を見上げると、錆兎は顎に手をあてて、う~んと考え込んだ。
「いや、深い意味はないんだが…
起きた時にあの体制で、意外に心地よかったんで。
ここのところ忙しくて疲れていたのもあったのだろう。
たまには…な、甘やかされてみるのも悪くはないと思ってな。
…いやか?」
「い、いやじゃないっ!」
義勇がぶんぶんと首を横に振ると、錆兎はにこりとすっかり21歳の男前な笑みを浮かべて
「では年に一度、今日の日は一年頑張ったご褒美に好いた相手に甘やかしてもらう日に認定するか。
今日は外国ではさんたくろうすが良い子に贈り物をくれる日らしいからな」
と、視線を合わせる。
甘えると言いつつ、ゾクリとするほど男臭い笑みを浮かべる恋人に、どこが子どもなんだ?と言いつつも、その提案自体に異論はない。
「じゃあまずはおはようのキスを贈るところからだな」
と、義勇は恋人の腕を摂って引き寄せると、普段とは逆にその唇に自分から唇を押し当てた。
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