それを妓夫太郎が困った様子で眺めている。
そんないつもの光景に、いつもとは違う光が差し込むことになる。
異変に最初に気づいたのは妓夫太郎だった。
すさまじい殺気。
それを感じた瞬間に、妓夫太郎は妹の梅と梅の大事なお友達であるぎゆうを抱えて奥へと飛び退る。
その直後、バラバラっと砕かれた天井が落ちてきて、飛び降りてきた男の下敷きになった硝子のグラスがパリンと音をたてて割れた。
妓夫太郎は妹と妹の大切な友達を背にかばい、侵入者に攻撃をしかけようと鎌を構えるが、そこで妓夫太郎にかばわれる梅にさらにかばわれるように抱き寄せられていたぎゆうが、
──さびとっ…!
と、高くか細い声で叫ぶと男に駆け寄るので、梅が慌てて攻撃をしかけようとしていた兄を止める。
宍色の髪の顔に傷のある男…それはぎゆうがいつも恋しがって泣いていた錆兎だと、梅にもすぐにわかった。
──ぎゆう…良かった、無事だったか
と、抱きしめるたくましい腕の中、うんうんと頷きながら微笑むぎゆうは、梅がこれまでみたなかで一番綺麗だと思った。
愛しい、愛しい、と、声にならない声が聞こえてくる。
それはきらきらとした美しい恋する娘の心の声である。
錆兎はぎゆうの言葉通り、ずいぶんと美しい顔をした男だった。
なるほど、傷があっても損なわれない、男らしい精悍な美しさ。
身体だって立派なものだ。
服の上からだって鍛え上げられているのがわかるほどには全身筋肉に覆われていて、人間のくせに脆さの欠片も感じられない。
いつもあの腕が脆くか細いぎゆうを抱きしめ守ってきたのだろう。
男の方からも、愛おしい、愛おしいと、心の声が聞こえてくるようだ。
男がぎゆうの白い瞼に落とす口づけは、とても神聖なもののように梅の目には映る。
梅の方が美しい…だけど、悔しいが錆兎はぎゆうに似合いだと思った。
だってその腕の中にいるぎゆうは本当に幸せそうに微笑むから……
梅と居る時のように悲しげに泣いたりはしないから……
この世で2番めに綺麗な子……
梅の大事な…大事なお友達…
「ちょうど良かったわ。その子連れ帰ってよ。
ちょっと綺麗だから連れて帰ったけどそろそろ飽きちゃったから」
梅はあごをグッとあげて、宍色の髪の男を睨みつけた。
「部屋をこれ以上汚すのは嫌だから、今は見逃してあげるわっ!
さっさと帰って!」
たとえぎゆうにとって錆兎が一番だったとしても、ぎゆうは梅にとっては大切な愛おしいお友達なのだから仕方ない。
泣くより笑っていて欲しいと思うのは仕方のないことなのだ。
それでも迎えが来て良かったわねなどとは口が裂けても言えないのが梅である。
そんな梅を友達だからこそぎゆうは理解していた。
だから梅が泣きそうになってグッと唇を噛みしめると、男の腕の中でぎゆうが
──ありがとう、梅
と、ふんわりと微笑む。
とても幸せそうに微笑んだ。
涙がこぼれたのは、立ち上る埃のせいだ。
「そんなにその傷の男が良いのなら、さっさと行っちゃいなさいよ!」
梅がそんな可愛くない言葉を吐いてクルリと反転して兄の後ろで涙を拭うと、ぎゆうは男に連れられて、男が落ちてきた穴から去っていった。
梅の手の届かない明るい世界に、愛しい男と共に帰ってしまったのであった。
二人が去った穴の上の世界にはまだ太陽が輝いていて、梅はもう追うことができない。
だからぎゆうが完全に去って二人とり残された暗い部屋の奥で
「お前…いいのかぁ?」
と、号泣する梅に声をかける兄に
「いいの。あんな子知らないわ」
と梅は答えてその場にしゃがみ込む。
「ぎゆうなんて勝手にあの宍色の髪の男と幸せになればいいのよっ!」
だってあの子はこの世であたしの次に綺麗なあたしの友達。
あたしの次に幸せな笑顔が似合う子だもの…
声にならない言葉を飲み込んで、梅は壊れてしまった箱庭で、割れたグラスの欠片を手に泣き続けた。
そうして数カ月後のことである。
吉原の遊郭に上弦の陸ありと言う情報を元に、柱が二人と新人隊士が3人ばかり、鬼退治の任務についた。
鬼は男女二人、兄と妹の鬼だったが、別世界で彼らと対峙したことのある水の対柱の片割れのもたらした事前情報のおかげもあって、なんとか辛勝。
その消失を見届けた竈門炭治郎が兄弟子である対柱の1人、錆兎にこっそり報告をした。
上弦の陸の片割れ、女のほうは、ひとり佇む炭治郎に言ったのだそうだ…
もう自分が消える寸前に、それだけがこの世で唯一愛おしく、そして気がかりなのだとでもいわんばかりに…
──ねえ、あんた、ぎゆうって子知ってる?黒髪に青い目のすっごく綺麗な子。口から頬にかけて傷のある宍色の髪の男の恋人なんだけど…。あの子は大切にしてもらって幸せになった?
そういう女からは鬼とは思えぬ優しい香りがしていて、
──ぎゆうさんなら知ってます。傷のある恋人…錆兎さんはぎゆうさんをすごく大切にしています。だからぎゆうさんは毎日とても幸せそうです。
と、炭治郎がそう答えると、安堵したように消えていったということである。
報告を受けて錆兎は少し考え込んで、
「わかった。義勇はその時血鬼術にかかっていて、とけた途端その時の記憶がなくなっているから、今はまだ言わないでやってくれ。それはいずれ俺が伝えるから」
と、弟弟子に言い含めた。
いずれ…全てが終わるか鬼狩りの現場から身を引いて余裕が出来た頃に…。
それまでは泣きながらぎゆうを手放した、友達を欲しがった鬼の娘のことはぎゆうに語るために自分が忘れずに覚えておこう…。
今伝えれば、刃を振るう手を鈍らせてしまうだろうから…
それでも戦う必要がなくなった日には絶対に…必ず……
この世で二番目に綺麗な子、あたしの大事なお友達…
鬼と人との儚くも美しい友情は、こうしてひっそりと幕を閉じたのであった。
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