そして3日後、旅館はもちろん、汽車の一等の席まできっちりとカナエに手配されて、2人は初めての旅行に出発した。
駅で義勇が選んだ弁当を2種類とお茶を買い、それを持って一等の個室へと腰を落ち着ける。
潜入任務で義勇の女装は何度もみているものの、こうして改めて自分のためだけに着飾ってくれたと思えば、その美しさも格別なもののように錆兎は思った。
別に隊服の義勇も着流しの義勇も普通の浴衣の義勇も、義勇であればすべて愛おしいと思うのだが、自分のために普通はしないであろう格好をしてくれるというのが、錆兎にとっては特別感を感じて特に嬉しいのだ。
そもそもが義勇は自分でもよく言っているが、女装以前に自分の格好に対してのこだわりがほぼない男だ。
こんなに綺麗で可愛らしい容姿をしているのに昔は姉が、今は錆兎が望むから、髪や肌を手入れし、綺麗に保っているだけだと言う。
そんなことでもそうやって錆兎から自分に何か望まれるのが嬉しいと微笑むのだから、もうこれは惚れるのはしかたないだろう。
そんな義勇との初めての旅行。
二人で並んで席に座った。
もちろん義勇は外がよく見える窓際に座らせてやる。
──錆兎は…景色が見えにくくないか?
と、コテンと小首をかしげる所作が、実は己と同じ21歳の男だとは到底思えないほど可愛い。
あまりに可愛すぎるので仕返しに…と、錆兎が
──よく見えるぞ?愛らしい義勇の背景が変わっていくという最高の景色がな
と、からかいまじりに言ってやると、義勇の青みがかった大きな目が揺れて、白い頬がみるみる真っ赤になっていく様があまりに艶やかすぎて、錆兎の方も真っ赤になって硬直してしまった。
──…あとで……宿に…着いたら……
と、そっと錆兎の手に絡められる指先。
──…ああ…あとで……な
と、その指に己の指先を絡める。
新婚旅行に行く若夫婦でもあるまいに…と思うものの、あるいは周りから見るとそう見えているのかもしれない。
汽車が動き出して、景色が流れていく。
それを合図に離れる指を少し残念に思いながら、弁当を口にする義勇をながめた。
──またつけてるぞ
と、口が小さすぎるためかいつも口の端に米粒やらなんやらをつけてしまう義勇に小さく笑って言うと、義勇は、
──…ん…
と、取ってくれというように、顎をあげて顔を差し出すようにしてくる。
目を閉じて待っている様子が、まるで口づけをねだっているような顔に見えて、錆兎は顔を近づけると、驚いて逃げようとする義勇を引き寄せて、唇を義勇の唇の端に寄せ、そこについていた米粒を口で取った。
驚いたように目を見開いて真っ赤な顔で震える義勇にこみあげそうになる劣情を押し込め、
──こちらのおかずで欲しいのはどれだ?
と、素知らぬ振りで自分の弁当を差し出してやると、義勇も同じような気持ちになっていたのだろう。
──…錆兎は…ずるい。…意地悪だ……
と、紅い顔のまま頬を膨らませながら、それでも、これとこれ…と、好きなおかずを指差していった。
昔々、実家の神社を詣でていた旅人が言っていた。
旅行はいつかと言わず、行ける時に行っておいたほうが良い。
同じ場所に行ったとて、子どもの頃行くのと、若いうちに行くのと、年老いて行くのでは感じるものが違うから…
と言う言葉を、今更のようになるほど、と、おもう。
自分達の場合はそんな余裕も機会もどこにもなかったのだが、確かにまだ知り合ったばかりの子供の頃、義勇をそうと意識し始めたがまだ気持ちが通じていない頃、気持ちが通じてはいるが結ばれては居ない頃、そして今…
同じ列車旅行をしてもそれぞれ思うところは違っていただろう。
そう考えれば、二度と戻れないその時期に体験出来なかったことが少し残念なようにも思う。
まあ…それでも一生体験できなかった可能性もあったのだから、今こうして共に過ごせている事に感謝するべきなのだろうが……
ともあれ、弁当を食べ終わってそれを片し、お茶を飲んで一息つくと、今回は純然たる娯楽で任務もないということもあって、腹が満たされて眠くなったのか、義勇がコテンと錆兎の肩に頭を預けてすやすやと眠り始める。
ああ…こんなに平和な時間もあるのだな…と、そんな義勇を時折眺めながら、錆兎は窓の外へと視線を向けた。
夕方に汽車に乗って目的地につくのは明日の午前中。
ゆえに外はもうだいぶ暗くなっていて、遠くに綺麗な月が見えている。
夜…こんなに安らかな気持ちで過ごすのはいつぐらいぶりだろう…。
鬼殺隊に入ってからは夜はいつ緊急の招集が来てもおかしくはない生活だった。
それは休暇だろうと関係はない。
任務に入れる者が入らない、それは誰かの死を意味することだったのだから。
鬼がいなくなれば…鬼舞辻を倒せれば…こんな風に招集を気にせず健やかに眠る義勇を眺めながら穏やかに流れる時を感じるような生活ができるようになるのだろうか…と、そんなことを思う。
さて…義勇もこれは本寝に入ってしまったようだし、せっかく寝台が用意されているのだ。
横たわらせてやるか…と、錆兎が腰を上げかけたその時だった。
ガクン!と列車が急停車する。
そして車掌が廊下で事情を説明しているのが聞こえた。
どうやらこの前の列車が事故で横転したらしい。
その時点で嫌な予感はしたのだが、そこで窓から入ってくる鎹鴉。
──済まない、済まないガ、煉獄ガ上弦参ト接触、戦闘中。急いで向かってクレ
普段はない詫びの言葉が入っている時点で、色々調整してくれて、それでもギリギリなのだろう。
まあ…上弦相手となれば当たり前のことなのだが…
「ああ、わかっている。すぐ向かう」
と、心持ち申し訳無さそうに見える鎹鴉の頭をちょんちょんと撫でて苦笑すると、錆兎は義勇を横抱きにして、窓から抜け出した。
どうせこの格好ではこうした方が早く現場につく。
それまでは寝かせておいてやろう…と、そんな理由から。
現場はそう遠くはなかったように思う。
あるいは気が急いていて時間をあまり感じていなかったのか…。
途中目を覚ました義勇には、
「杏寿郎が上弦の参と戦闘中らしい。加勢に向かっている」
とだけ告げると、義勇はコクリとうなずいて錆兎が抱えやすいようにしっかりとしがみついてきた。
──弐ノ型 水車!!
着いた瞬間、義勇をおろして即、煉獄のみぞおちに入っている上弦の参猗窩座の腕を斬り落とし、煉獄を抱えて後方に飛び退ると、
「義勇っ!!少しの間頼むっ!!」
と、隣の義勇に声をかけた。
追ってくる猗窩座。
その前に飛び出す義勇。
拳を出しかけた猗窩座はそこでピタリと動きを止めた。
「……?」
てっきり来ると思っていた攻撃を凪で払う準備をしていた義勇はそこでコクリと小首をかしげた。
「…打っては…こないのか?」
と、それでも深い青の日輪刀を手に聞く義勇に、猗窩座は片手を腰に、そして復元したもう片方の手で宙をはらうようにして言う。
「俺は女は相手にしない。
それがたとえ鬼狩りだとしてもだ。
どいておけ。俺が用があるのは強い男のみ。
後ろの柱二人のみだ」
「ふむ…錆兎と刀を交わしたいなら、少し待て。
憂いがなくなれば、正々堂々と戦う男だ。
逃げはしない」
「あいにく…柱を殺せというのは、上からの命でな。
完全な状態で刀を交えたいというのはやまやまだが、待てん」
「…それなら…錆兎の用が終わるまでは、やはり俺と勝負してみるしかないな」
「退かんとなれば、それもやむなし。
死なない程度にしておいてやろう」
はぁ~…と、気が進まなさそうに…それでも猗窩座はゆるゆると戦闘態勢に入った。
──破壊殺・空式!!
──拾壱ノ型・凪!!
猗窩座の技に重なるように義勇の凪が発動する。
威力はそこそこではあるが空から降り注ぐ攻撃をすべて防ぎ切る義勇に、猗窩座は目を見開いた。
「ほぉ…見事なものだな。
そうは見えなかったが、よもや水柱か?
いや…水柱はさきほどの男の方か…そうなると…柱の片腕といったところか。
どちらにしても今までの水柱すら使ったところを見たことのない技だ。
面白い」
そう言うと、猗窩座の構えが少し変わったように思う。
より…攻撃的な方向に……
──破壊殺……
ぞわりと空間に広がる殺気。
防戦一方では殺られる…と、思うものの、攻勢に出ても敵う気がしない。
「義勇さんっ!!」
走り寄ろうとする炭治郎。
それに釣られて後の二人、伊之助と善逸も近づいてくる気配がする。
それには気力を振り絞って
「来るなっ!足手まといだっ!!」
と、義勇は制止をかけた。
柱の自分ですら足が震えそうになる。
前世の…すべてを己を鍛えることだけに費やした自分や、この先色々な困難を乗り越えて成長した炭治郎ならとにかく、今の炭治郎達、そして義勇自身でも敵う相手ではないのがわかってしまう。
それでも…錆兎が時間を稼いでくれといったのだから、死んでも稼ぐしかない。
…と、思った瞬間、ふわりと身体が軽くなった。
自分の上を飛び越えていく相方。
ストン、と、自分と猗窩座の間に着地して、
──待たせたな。さあ殺るか!!
と、にこやかに刀を抜く錆兎。
──おお!待ちかねたぞ!いまだ一撃しか打ってはいないのに、その練り上げられた闘気!実に素晴らしい!!
猗窩座はそれに嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
──おそらく…首を狙うのは難しそうだ。だから全てを潰しておくから頼むぞ義勇
と、錆兎の言葉に義勇が頷く。
──破壊殺・滅式!!
と、猗窩座のすさまじい突進に対して、
錆兎の側も
──拾弐ノ型・獅子爆流!!
と、青い獅子となり突進していく。
さらに余波をまともにくらわないよう、やや斜め後方からそれを追いつつ凪を発動する義勇。
前回の煉獄の時はその胴に届いた猗窩座の拳だが、前方のモノを凄まじい速さと力で噛み砕いていく青い獅子と間合いの攻撃に対してはかなりの強度で防御する凪の組み合わせの前に、バラバラに噛み砕かれて勢いが殺されたらしい。
猗窩座はいったん大きく後ろに後退し、しかし、素晴らしい!と喜びに頬を緩ませた。
「何故…やられて喜んでいるんだ…気持ち悪い…」
と、珍しく嫌悪の表情を見せる錆兎と、その後ろでうんうんと頷く義勇。
そんな反応もなんのその、猗窩座は
「おそらくお前は俺が会った中で一番強い男だ!
すでに至高の領域に足を踏み入れていると言ってもいい!
どうだ?!鬼になって、一緒に永遠に強さを目指そうじゃないか!!」
と、両手を広げて、これ以上の称賛、これ以上の好意はないと言わんばかりに勧誘してくる。
それに対して錆兎が返したのはたった一言
「俺は鬼になどならん」
「何故だ?お前も杏寿郎と同じで、人間の弱さが愛おしいなどと世迷い言を言って人間であることに固執するのか?!」
と、その言葉に錆兎はそれもきっぱり否定する。
「別に人間の弱さが良いとまでは思わん」
「ならどうして?!」
「鮭大根の味付けがわからなくなるからな!」
「は???」
正直…猗窩座だけではない。
その場にいた炭治郎も善逸も伊之助も煉獄も…後ろに控える義勇以外の全員がその言葉にぽか~んと呆けた。
「俺は常に義勇のために最高の鮭大根を作ってやらねばならない。
同じ分量で作っても、素材や暑さ寒さ、その時の疲労具合など、色々な要素によって、最高の味というのは変わるものだ。
ゆえに、自分の舌でしっかり味見をしなければ、本当に旨い鮭大根を常に作り続けるということはできん。
人肉しか食えない鬼になったら、繊細な味覚が失われるだろう」
「…以上……義勇さん強火担の錆兎さんの青年の主張でした……」
と、後ろでこっそり呟く善逸。
義勇は
「さすが、錆兎だっ!考えが深いっ!」
と、パチパチ拍手をしている。
そんな理由ではっきり拒絶されてもなおもめげずに
「…それでは…義勇も鬼に……」
と言う猗窩座に
「却下だな。俺の作った鮭大根を美味しそうに食う義勇を観察するのは、俺の人生の楽しみの1つだ」
と、これもきっぱりはねのける錆兎。
そんな馬鹿なやり取りをしているうちに、空がしらじらと明けかけたのに気づいた猗窩座は、ものすごい速さで退却していった。
それを追うには錆兎だけなら追えたかもしれないが、義勇なしでは防御が心もとないし、義勇も一緒にとなると、服装的に辛い。
まあ…長期的に考えれば無理をしないほうが良いと判断して、二人して後方の煉獄の元へ戻った。
猗窩座との戦闘に入る前、急所に受けた傷だけは死なない程度に対処はしたが、目の方は視力がぎりぎり残るかどうか…
「すまんな。俺も万能なわけではない。
目はあるいは視力が戻らないかもしれない」
と、錆兎は煉獄の閉じた目をそっと指先で触れて言う。
この後輩がこれまでどれだけ強く立派な柱になるために努力してきたかを知っているだけに、心が非常に痛んだが、当の本人は
「いや、もし右目の視力を失ったとしても、俺にはまだ左目がある。
両手両足も無事で命もあるのだ!十分戦える!
命を救ってくれたことに感謝する」
と、強がりかもしれないが、晴れやかな笑みを浮かべた。
そうこうしているうちに隠が到着。
あとはもう自分達の方でできることはない。
カナエの領域だろうということで、煉獄自身の強い勧めもあって、2人は乗ってきた列車へと戻って旅を続けたのだった。
そうして再び列車に乗って、今度はしっかり寝台で眠る義勇を前に錆兎はため息をつく。
まあ、印象操作は上手く行ったようだ。
上弦の参、猗窩座はたいした動体視力と身体能力だったと思うが、獅子爆流で手足を噛み砕けば、攻撃の中断と足止めまではできる。
だがそれでも正直、あの攻撃をかいくぐって首を狙って斬るというのは辛い。
しかし本当の意味で滅するには日輪刀で首を斬らねばならないのだから…自分ももっと鍛錬が必要だ。
あのまま話術で日が登るまで引っ張れればめでたしめでたしだったのだが、さすがにそうもいかなかったし、前途多難というところか…。
それでもおそらく今後は上弦の相手もすることになるだろうし、それをなんとか出来なければ鬼舞辻を倒すなんて夢のまた夢。
まあ…とにかく今は束の間の休暇を楽しむとするか…
今回みたいに、必要なら嫌でも招集がかかって、下手をすると即中断などという可能性も無きにしもあらずなのだから…
そんな事を考えながら、錆兎は流れ行く窓の外の景色に視線を向けつつ、カナエが予約をいれてくれた高級旅館でのお楽しみに思いを馳せるのだった。
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