それは本当にこのところ軽い任務にしかついていなかったのと、前方に関しては大抵は先に飛び込む錆兎が警戒してくれることに慣れきっていたせいだと思う。
その日は錆兎はどうしても単体で潜入して欲しいという任務を任されてでかけていて、義勇は暇を持て余していた。
そうして暇なのでたまには散歩でも…とテチテチと歩いていたら、鎹鴉がヨロヨロと飛んできて、
──街の西の森で隊員苦戦中~手が空いている乙以上の隊員は助勢に向かえ~
と、言うのでこれは柱としては向かうべきだろう!と急いで向かった。
指定された場所に来てみれば、皆倒れている。
外傷もなく…ただ眠っているように見える。
「義勇さん、これは一体…」
と、後ろで同じく駆けつけたのだろう。
胡蝶しのぶが訝しげに辺りを見回して言った。
「俺も今ついたばかりで…わからない…」
と、言った瞬間に何かが飛んできて、義勇は反射的に凪で交わした。
「あそこですっ!!」
と、しかしその直後、しのぶはすでに鬼の姿を感知して駆け出している。
これがとにかく早い。
「駄目だっ!行くなら俺の間合いに!!」
と叫ぶも、しのぶよりかなり遅れて攻撃が来る方向に気づいた義勇の防御は間に合わない。
避けきれない攻撃がしのぶに向かう。
全力で走ったらかばうくらいはできるかもしれないが、呼吸は使えない。
しのぶは…錆兎と自分の可愛い最初の後輩カナエの妹だ。
錆兎も実の妹のように可愛がっている……
駄目だっ!!
と、思えば、防御の方を捨てて走るという選択肢しかなかった。
しのぶを突き飛ばして己が攻撃を食らう。
…が、不思議な事に痛みはまったくなかった。
ただ目の前が真っ白になって、次に意識が暗闇のトンネルの向こうへとひっぱられる。
急速に転げ落ち続ける。
そうしてそのまま悪酔いしそうな勢いで落ちて行く感覚にいい加減うんざりしかけた時、ようやくトンネルが終わったようで義勇は光の中に投げ出された。
──やめろ!!もうすぐお館様がいらっしゃるぞ
いきなり身体が宙に放り出された先で聞こえてきたのはそんな言葉だった。
どこかで聞いた事があるような声…というか、いつも聞いている声。自分の声。
うあっ!!と、いきなり落ちた体は地面に叩きつけられる前にやはりどこかで会った男を下敷きにしたらしい。
「お前、どこから入り込んで来やがったァ!!」
と、義勇を膝に乗せた状態になった不死川は怒鳴って…それから目をぱちくりさせて硬直した。
「実弥っ!何故こんな所に?!お前も血鬼術食らったのか?!」
と、義勇の方は見知った顔にホッとするが、不死川は相も変わらず硬直したまま。
「あらあら、不死川さん、いつのまに冨岡さんと名前で呼び合うような仲に?」
と、続いてニコニコと言う胡蝶。
それに
「俺は不死川を名前で呼んだりしていない」
と、不機嫌そうな己の声。
ここで義勇は気づいた。
自分がもうひとりいる…。
しかも…今の自分より随分と体格もよく…しかし目が死んでいる。
え?え?と混乱していると、
「こいつ…てめえの弟か何かかァ?!」
と、不死川がソッと義勇を地面におろして立たせながらもギロリと冨岡義勇…そう、自分とそっくりの体格の良い冨岡義勇を睨みつけた。
確かにそっくりだ。
そっくりなのだが、全く似ていない。
この場にいる全員が知らないので無理はないが、ぼさっとしたこちらの冨岡義勇の髪と違って、錆兎がいるため毎日綺麗に手入れして梳いている義勇の髪はさらさらしているし、前に出る錆兎の防御部分を後方で担っているため、体格もこちらの義勇とは比べようもなく小さく細く、むしろ伊黒に近いくらいだ。
さらに錆兎が昔それが好きだと言ったほぼ傷跡のない肌は今でもそのまま保っている。
そして何より違うのが目と雰囲気。
錆兎がいるため心を殺すようなこともなく、年の離れた姉に愛されて育った少年期の雰囲気をそのままに、言葉よりも雄弁な潤んだ目が、この場に身を置く動揺を強く物語っていた。
そう、義勇は動揺している。
一体何が起こっている?
お館様の館に柱が集まっているということは、柱合会議なのは間違いない。
そこに炭治郎までいるということは…もしかして自分は前世の炭治郎が初めて柱の前に引きずり出された時に戻ったということか?
いや、それなら今の自分の記憶にあるはずだから、これは別の世界?
いやいや、そんな事はどうでもいい!問題なのは唯一…
義勇はそこにいる周りの人間の顔をぐるりと見回した。
そして泣きたくなるのを堪えて、おそるおそる聞いてみた…
──さ…錆兎は…どこに?
その言葉に強く反応するのは2人。
こちらの義勇と炭治郎。
他の柱たちは当然その名を知らないので、ぽかんとするばかりだ。
「錆兎だァ?いったいそれはどこのどいつだァ?」
と、いきなり隣の不死川がぴくりと片方の眉をあげてそう聞き返してくるのに、今度は義勇の方が固まった。
え?え?何を言っているんだ。
不死川だって会えばいつも親しく話をする仲じゃないか…
忘れてる…のか?それとも……
「なんでそんなこと言うんだ…」
不死川が錆兎を知らないような言い方をするので、まるで前世の時のようだ…と思うと怖くて不安で涙がじわりと溢れてくる。
「あらあら、不死川さんがそんな恐ろしげな言い方をするから、冨岡さんが泣いてしまったじゃないですか。
可哀想にねぇ。
不死川さんたら、本当にひどい人ですねぇ」
と、そこで胡蝶が駆け寄ってハンカチで義勇の涙を拭きながら、ちらりと楽しげに不死川を見上げる。
どうやらその前に禰豆子の箱を抱えあげた時の不死川に制止の言葉をかけたのを無視されたのを根に持っているらしい。
しかし不死川の側はそんな事を覚えていることもなく、ただただ目の前で親からはぐれた子どものように悲しげに泣く義勇に、染み付いた長男気質から罪悪感を煽られたようだ。
「わ、悪ィ、泣くなよォ。
別に怒ってねえ。あ、菓子食うか、菓子」
と、ポケットから直前の任務で助けた飴屋に礼にともらった飴玉を、義勇の口に半ば強引に放り込んだ。
口に広がる甘い味。
義勇の記憶だと前世では不死川は義勇に飴玉をくれるような男ではなかったはず。
ということは、これはあの辛かった前世ではない。
そう思ってホッとする。
「やっぱり実弥は優しい今のいつもの実弥だよな?」
と、飴玉を頬でコロコロさせた義勇がぎゅっとその羽織を掴んで見上げれば、
「お、おう??」
と戸惑う不死川と、
「え?え?優しい?優しいのかっ、不死川~!!!」
と吹き出す宇髄。
「小さな冨岡さん、可愛いわっ!
私もお菓子あげても大丈夫かしら?」
と、頬に手を当ててはしゃぐ甘露寺。
そんな甘露寺の様子に、それまでは炭治郎とこちらの冨岡義勇にネチネチとした視線を向けていた伊黒は今度は義勇に何か言おうと視線を向けるが、それを察知した不死川が
「やっと泣き止んだガキをまた泣かせるようなことはすんなよォ?伊黒。
面倒くせェしよォ」
と、さりげなく義勇と伊黒の間に入ってそちらを睨んだ。
そんな柱達の混乱を、さらに大恐慌に突き落としたのは、やはり空気を読まないこちらの義勇の一言だ。
「…俺は泣いてもいなければ、可愛くも子どもでもない。
それに…錆兎は死んだ。
そんなことは俺が一番よく覚えている…
現実を見ろ、俺。甘ったれるな」
…とその言葉で義勇の動きがピタリと止まった。
ズキン…と胸が痛んだ。
やはりここは錆兎がすでに居ない世界なのか…
現実を見ろ?
錆兎の刀は折れることもなく、そうすれば世界で一番強くてカッコよい錆兎が鬼ごときに負けることなどありえないのだから、当たり前に最終選別を突破して、最初の任務で下弦の月を倒すなんて偉業を成し遂げた上で、鬼殺隊史上最年少、13歳で柱に任命されて、柱の中心的人物となっているのだ。
それが今の義勇にとっての現実だ。
錆兎が死んだなんてありえない。
錆兎のいない世界なんてありえてはいけない……
一度その世界を一周生きて辛さを知っているだけに耐えきれない。
息がつまって言葉も出ずに、ぽろりぽろりと涙だけ零れ出た。
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