近くの座席の若い娘の3人連れのそんな小鳥のさえずりのようなおしゃべりを無一郎は同僚のはずの先輩柱の腕に抱えられながら聞いている。
あれから半月ほどばかりの時が経ち、ようやく鎹鴉からもたらされた鬼の居場所は徒歩で行くにはやはり遠かった。
鬼の潜伏する山まで汽車で3時間ほど。
時間だけはあったため、父親の変装をする錆兎はみかけは普通の洋服に見えるが隊服と同じ素材で出来たものを着ていて、無一郎はなんだかそれはしのぶが用意したらしい可愛らしい蝶と鞠の柄の着物を身につけ、母親役の義勇は落ち着いた青地に白い花をあしらった着物を着て、現在汽車で移動中だ。
父は頼もしい美丈夫で、母親は結い上げた黒髪に白いうなじが美しい楚々とした美女。
そして自分もおそらく愛らしい童女に見えているのだろう。
錆兎に抱きかかえられて座っていると、通路を挟んで同じ列に座っている若い娘がちらちらとこちらの様子を伺っている。
なので気まぐれに手を振ってやると、きゃあ…とはしゃぐ。
お嬢ちゃん、よろしければこれをどうぞ、と、懐紙に金平糖を乗せて差し出してくれるので、ちらりと錆兎の顔を伺うと、彼は
「どうもありがとうございます」
と、愛想よく娘たちに笑顔で頭をさげたあと、いただきなさいと、無一郎に言う。
すると隣で義勇が
「いただきものをした時にはなんというの?」
と、言葉を添えるので、無一郎も
「ありがとう」
と言ってそれを受け取ると、それがまた可愛らしいと娘たちがはしゃいだ。
無一郎は過去の記憶をなくしているので当然覚えてはいないのだが、自分が本当に幼い頃もこんなふうに父や母に抱えられて旅をしたりもしたのだろうか…
甘いお菓子を口にして過ぎゆく景色に目を奪われたりしていたのだろうか…
と、そんなことを考える。
実際、幼女の間の親代わりということで引き取られた水柱邸での生活は快適と言っても良いものだった。
今は母親役を演じている義勇は実はあまり料理が得意ではないらしく、一般的な家庭とは違って料理を始めとする家事は全て錆兎がやっていたが、その代わりに義勇はいつも朝起きると無一郎の髪を丁寧に梳いて、もつれないように結ってくれる。
そして記憶がないためそれまで何をして時間を潰していたのかわからないが、少なくとも意識が戻ってからひたすらしていた鍛錬は幼女の姿では厳しかろうと、お手玉、おはじき、折り紙など、少女たちがするような遊びを教えてくれた。
「何故柱がこんな遊び知ってるの?」
と、聞くと義勇はにこりと微笑んで
「幼い頃に姉に教わった」
と言う。
「男なのに?」
とさらに聞くと
「大好きな姉が楽しそうだったから良いと思った」
との義勇の言葉に、ああ、自分もたとえ幼女の姿じゃなくとも、こんなふうに優しく笑ってくれる姉がいたなら、やはりこうして遊んだかもしれない…と、無一郎は思った。
そんなふうに2人で遊びに興じていると、それを少し離れて錆兎が微笑ましげに眺めている。
おそらく家庭というのはこういうものなのだろう。
こんな温かいものを失くした悲しみで、自分は記憶を失くしてしまったのだろうか…
それすらも思い出せない。
ただ記憶がないせいなのか、たまに漠然とした不安に襲われて、夜中に泣きながら目を覚ましたりしていた。
すると、
──どうした?無一郎、大丈夫か?
と、左右から錆兎と義勇が声をかけて、ポンポンと布団の上を軽く叩いてなだめてくれる。
──怖い夢でもみたか?どれ。
と、時にはそのまま錆兎が起きて眠るまで抱き上げていてくれたり、時には
──よく眠れるまじないだ
と、義勇が瞼に口づけたあと、子守唄を歌ってくれたりする。
世の親はこんなふうに優しくあやしてくれるものなのか…
なんとも尊い存在だ…
と、思いつつも、そうやって気にかけられる心地よさに安心して、無一郎もその後は安心して眠りに落ちる。
意識が戻ってから産屋敷邸で身の回りの世話をしていた事務方の人間達とは全く違った。
思えばあれは仕事としてよその子どもを死なないようにみているだけと言った感じだったのだろう。
水の対柱は我が子として接してくれている。その違いだと思う。
──父さん……
と呼んでみると、錆兎が
「ん?どうした?疲れたか?
眠かったら寝ていてもいいぞ。
ついたらそのまま父が抱いていってやろう」
と微笑んでくれる。
それがなんだか嬉しくてぎゅっとそのたくましい首に腕を伸ばして抱きつくと、義勇が自分の羽織を脱いで無一郎にかけてくれた。
身体が幼児のせいもあるのだろうか…その温かさと珍しいものばかりで疲れてしまったせいか、その後眠ってしまったらしく、しばらく記憶が途切れる。
そして次に意識が戻ったのは、ガッタン!!と大きな揺れを感じて汽車が止まった時だった。
汽車の車両内から悲鳴が聞こえる。
目を開けると外にはどこかで見た巨体が立ちふさがっていた。
「義勇っ!行くぞっ!!」
と、立ち上がる錆兎。
そして駆け出しかけてふと足を止め、互いに抱き合って震えている先程の娘たちに声をかける。
「申し訳ないが、車掌に伝言を頼みたい。
あの鬼は俺達が引き受けるので、俺達が降りたらすぐ全速力で汽車を走らせて欲しいと」
「え…でも……」
「頼む。そばに居られると巻き込まないようにするのが手間なので」
と、その時は敢えてちらりと忍ばせていた刀の柄を見せるようにすると、何やら普通の人間ではないと納得したのだろう。
それでも
「あ、あの、それじゃあせめてお嬢ちゃんだけでもお預かりしましょうか?」
と、心のそこから親切で気のいい娘たちなのだろう、そう言ってくれるが、錆兎は
「ありがとう。でもこれは俺達の子なので心配は無用だ。
車掌に伝言だけ頼む」
と、笑顔で答え、どこか熱い視線に変わりつつある娘たちを背に、出口へと向かい走り出した。
「無一郎、お館様のお屋敷でお前に言った事を覚えているか?」
と、走りながら錆兎が言う。
「言った事?」
「鬼の首を斬ることに特化していないということが、すなわち、実力がないというのは違うという話だ」
「あ…覚えてる」
「これからそれを証明してやる。
子どもになっても腕の力はそれなりに残っているな?
俺の背にしがみついていられるか?」
「…できると思う」
そんなやりとりをしつつ、錆兎が無一郎を前から後ろにしがみつかせるようにすると、
「念の為これを…」
と、義勇が自分の髪紐を解くと、後ろから錆兎の首に回した小さな無一郎の交差した手首をそれで結わく。
すると
「義勇…お前過保護だぞ」
と、それに苦言を呈する錆兎に、義勇が澄まして
「母親というものは過保護なものだ」
と言うのがなんだかおかしくて、思わず小さく吹き出してしまった。
すると、
「「あ…笑った。うちの子可愛い」」
と、2人揃って言うので、なんだか恥ずかしくなって、錆兎の肩口に顔を埋めた。
どちらも絶対に過保護だと思う。
そんなやりとりをしつつも外に飛び出し、目の前には錆兎よりもさらに数十センチは上背のある鬼。
「行くぞ、無一郎!!」
と、青い刀を抜いて、明るい水しぶきを上げながらまっすぐ進む錆兎。
「危ないよっ!!あの鬼は血鬼術が…」
と、鬼からまっすぐ繰り出される血鬼術の攻撃に、自身の二の舞になってはと無一郎は注意を促すが、錆兎はにやりと笑って
「大丈夫!うちの母さんの守りは最強だぞ」
と、それを避けようともせずに進む。
そして針のような血鬼術が当たる!と思った瞬間、それは後ろから広がる水面の中にすぅっと消えていくので、驚いて振り返ると、後ろでは義勇が小紋を着たままの状態で錆兎のものよりはやや濃い青の刀を抜いている。
「これがあるから俺は誰よりも早く安全に鬼を狩れる」
と、無一郎が義勇の抜刀の意味を理解したのをみとめて、錆兎はそう言って高く飛び上がると、一気に鬼の首を斬り落とした。
なんともあっけなく倒れる鬼に、大きくなる無一郎の身体。
破ける着物。
それに気づいてすばやく手首の髪紐を解いて、錆兎が裸のまま地面に降りる無一郎に、自分の羽織を羽織らせてくれる。
ついでに自分の刀とは別に帯刀してた無一郎の刀を渡してくれて、無一郎は実に20と数日ぶりに刀を握りしめた。
懐かしい感触に無一郎が浸って、後ろでその間にと刀をしまった義勇がいったん放り出した荷物の中から無一郎の隊服を取り出している…と、その時だ。
気配を感じて無一郎はひた走って、義勇の後ろに突如現れた影の首を薙ぎ払った。
完全に気配を消して虚を突いたつもりだったのだろう。
驚いた顔のまま、ころんと転げる鬼の首。
──僕の母さんに何してくれているのかな…
冷ややかな怒り。
「あ…ありがとう、無一郎」
ぽかんとした顔で義勇がそう言う声に、その怒りがすぅっと消えて
「ううん。あなたに怪我がなくて良かった、義勇」
と、無一郎はふわりと笑みを浮かべた。
結局事態の収拾まで半月。
その後、あとの半月は慣らし戦闘で水の対柱とは一緒の任務にはつくが、元の姿に戻ったということで同居は解消するようにと、本部からの通達があって、無一郎はお館様から与えられていた霞柱屋敷へと帰ることになった。
これでまた一人ぼっちか…と、やはり顔には出ないが悲しい思いで水柱屋敷をあとにしようとする無一郎だったが、幼女になってしまっている間だけでもと頼まれて面倒を見てくれたはずの対柱は揃って玄関先まで見送りに出て、
「まあ、ここはお前の実家のようなものだから、たまにはちゃんと顔を出せよ」
と、錆兎が、
「若干大きくはなったが、お前はまだまだ子どもなんだから、体調が悪くなったりした時はすぐ帰ってくるんだぞ」
と、義勇がそれぞれ言いつつ、
──元気で行って来い
と、まるで実家から下宿先にでも送り出すように手をふってくれた。
そうか…事務方とは違って、彼らにとっては自分は仕事で面倒をみていただけの他人ではないのか…と、そう思うととても嬉しくなってきて、無一郎も
「行ってきます」
と、水柱屋敷を出て、霞柱屋敷へと向かった。
そう、帰る場所は霞柱屋敷ではなく、ここ、水柱屋敷なのだ、と、思いながら。
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