そんな報告が来たのは錆兎が入院して5日目の昼過ぎのこと。
錆兎が医療所の一室にとどめおかれることになってから義勇も寝台を1つ入れてもらって一緒に過ごしていたので、当然義勇に指令を持ってきた鎹鴉の言葉は錆兎の耳にも入った。
「なるほど…夕方には出発だな…」
と、当たり前にごそごそと隊服を漁る錆兎に
「ちょ、おまっ!!何しちゃってんのぉぉぉ~~!!!」
と、叫んで止めようとする村田。
「いや…だから鎹鴉が任務を…」
「それ、義勇の任務でしょっ!お前の任務は入院休息っ!!」
止めようとする村田の頭を片手でガシッと掴んで、片手で鼻歌まじりに支度をしようとする錆兎。
初めて村田と出会った最終選別から早6年の歳月が経ち、上背がしっかりと伸びて、それに伴い手足の長さも伸びた。
もちろん村田だって伸びていないわけではないが、錆兎の伸び幅の方が大きかった。
頭をがっちりとらえられると、もう手が届かない。
それでもバタバタと手を動かす村田。
それを全く意に介さない錆兎だったが、隊服を引っ張り出そうとする手をそっと握った片割れの手を振りほどくことはできなかった。
…いや、物理では出来るのだが、精神的に……
「錆兎…だめだ。
今回は絶対に駄目だ。
俺がどんなに駄目だと言っても、お前はそこに自分の手を必要とする相手がいれば行ってしまうのかもしれないけど……俺がどんなに止めたって、行ってしまうのかもしれないけど……」
と、泣かれたら、もうお手上げだ。
錆兎は結局義勇には弱いのだ。
村田の頭から手を放し、泣く義勇を胸元に引き寄せる。
「でもなぁ…義勇、お前ひさしく自分だけで大勢を率いる任務なんてついてないだろう?」
と、それでも妥協を引き出したくて言うが、
「…俺も一応柱だ…錆兎は俺を信じてないのか?」
などと言われて、信じていないと誰が言える?
本当は全く大丈夫な気などしなかったのだが……
一応錆兎が絶対に心配して反対するであろうことは本部の方もわかっていたらしく、わざわざ事務方が、ほぼ危険はなくて念の為に柱を1人くらいは配置しておこうかという程度の任務だと説明に来た。
もうそこまでされると、それでも駄目だと言うと、義勇の体面にも関わってくるだろう。
そう思えばそれ以上の反対をすることは出来ず、錆兎は不承不承、義勇を1人で行かせる事を了承したのだった。
そうして、
「じゃ。支度をしてくるっ!」
と、部屋を出て駆け出していく義勇の足音を聞きながら、錆兎はくしゃくしゃと自分の頭をかく。
ああ、本当に何故過労なんかで倒れたんだ、自分!!
と、自分自身の体力に苛立つ。
これは退院したらまた基礎体力づくりから鍛錬し直しだ!!
と、ブツブツ呟いていると、隣で村田が
「それ以上化け物じみた体力つけてどうすんだよ。
普通最前線ばかりの10連勤とか余裕で死んでるから。
その上で上弦弐戦に行くとか馬鹿だから…」
と、容赦ない言葉を投げつけてくる。
いや、上弦弐の時は仕切るだけ仕切って自分は戦っていないし…と、さらに言い訳じみた言葉を吐くと、他人の体の内部の状態を感知してそれを呼吸で治す手伝いをするとか、人間のできる範囲を超えてるから、ありえないから、と、案外真顔で言われてしまった。
まあそのおかげで胡蝶が助かったと思えば、行かなければ良かったとは決して思わないわけだが、この一週間もの入院と言うのは本当になんとかならないものだろうか…
やはり体力をもっと…と、そこでまた最初の考えに戻ったあたりで、ドンドンと、ノックの音がして、返事を待たずに入ってきたのは実弥と杏寿郎だった。
2人はちょうど支度に戻る義勇とあって、事情を聞いて、二人して義勇についていくと申し出てくれる。
正直…ほんっと~~~~に、持つべき者は良き同僚、良き友だと思った。
一気に緊張の糸が解ける。
この2人がついていれば、さすがに万が一のことはないだろう。
そう思って一安心。
日付が変わるまでには余裕で終わって帰還するだろうと、のんびり過ごすことにした。
外はもうかなり寒くて、ともすれば雪でも降りそうな天気だ。
外套でももたせたほうが良かったか…と、思わなくはないが、隠に届けてもらおうにも、そろそろ帰路についているだろうし、意味はないか…
そんな事を思いながら待っていると、ドンドンとノックの音。
ああ、実弥達と一緒に帰ってきたか…と思ってドアを開ければきょとんとした顔の実弥と杏寿郎。
義勇は?と聞けば、任務後の手続きその他で時間を取られるから先にいけと言って、先にこちらに向かったはずと言われるが来てはいない。
まあ分かれたのが本部内なら危険はないだろうと本来休暇中だった二人には帰って休んでもらって、自分は一応探すか…と、事務方に連絡を取ってみると、なんと次の任務に向かったと言うではないか。
はぁ?どうして?と、まず思った。
何故帰ってから一度顔を見せに寄らないんだ?と思う。
まさか何か嫌なことでも言われたりされたりして、泣いた顔を見せたら自分が次の任務へ行かせないとか思ったからとかか?
あり得る気がする。
義勇は昔から…今もそうだが本当によく泣く。
子どもの頃は自分が怪我をしたりした時はとうぜんのこと、錆兎が怪我をするだけでもよく泣いていた。
今回、実弥と杏寿郎がついてて怪我はありえないから、何か嫌なことでも言われたのか?
さらにまあそれもそれとして、この寒いのに外套も持たずにまたでかけたのか…と、外の寒さを見て心配になる。
これは…やはり届けてやらねば…
そう思って錆兎は村田がちょうど来週の任務についての説明を受けに席を外しているのを良いことに、さっさと隊服に着替えて義勇の外套を手に窓から抜け出した。
あとでしこたま怒られるだろうが、義勇に風邪でもひかれるよりはずっと良い。
そもそも自分たちは、二人で2倍で一人になっても等倍になるだけというわけではなく、2人で1人の対柱だ。
互いに互いが必要な人間だとわかっていて、義勇だけ外に出すのが悪い。
そう開き直って、事務方に聞いた雲取山までの道をひた走る。
吸い込んだ空気が冷たすぎて痛いほどだ。
急いで温かい格好をさせてやらねば…
そうしているうちに夜がしらじらと明けてくる。
こうなるともう鬼自体は片付いただろう。
今回も異能の鬼とかではなく普通の鬼らしいので、心配なのはそちらよりも寒さだ。
以前…といっても6年前だが、錆兎が大怪我を負って入院していた時も、やっぱり義勇はひどい熱を出していた。
思えば昔から熱どころかほぼ風邪の1つも引かない錆兎と違って、義勇は風邪を引きやすい体質だった。
鬼殺隊に入って剣の腕は上達しても、そのあたりの基礎体力には今ひとつ不安が残る。
そのせいか体格だって、宇髄には遠く及ばないが年を経るごとにドンドン背も伸び、手足も細い少年のそれからガッチリとした大人の男のそれになった錆兎と違って義勇は筋肉こそしっかりとついているものの、背もそれほど伸びず手足も細いままだ。
本当に…普段から栄養を考えて飯を作り、ちゃんと食わせているのに…と錆兎は思う。
まあ、鬼殺隊に入った頃は同じだった目線が最近は見下ろすようになり、並べていた肩はすっぽりと腕の中に収まってしまうくらいになったのは、錆兎的には義勇がより愛らしく感じられて少し嬉しかったりするのだが…。
そんな事を考えながらひた走っていると、上から赤い羽織が目に飛び込んでくる。
「義勇っ!!」
と、叫びながらさらに足を早めれば、どこかとぼとぼと肩を落として俯きながら歩いていた義勇が顔をあげた。
「錆兎っ!なんでここに?!」
とあげた顔は寒さで頬と鼻が赤くなっていて、錆兎は慌てて持参した外套で、冷たいその体を包んだ。
そして思った通り涙の乾ききらない赤い目をみて、
「お前っなにかあったのか?!
前の任務で何か嫌なことでもされたか?!」
と、錆兎は義勇を抱きしめた。
冷え切った体…
冷たい雪の匂いがする。
己の高めの体温を分け与えてやりたくてさらに包み込むように引き寄せた肩口から顔をあげた義勇は
「錆兎…お前強制入院中じゃ?」
と、こんなときに錆兎の心配などするので、
「お前に何かあったかと思えば呑気に寝てられるものか。
抜け出してきたに決まってるだろう」
と、思わず口調が強くなってしまう。
本当に大切な大切な片割れに何かあったかもという時に、何故呑気に寝ていられると思うのか…。
実際に義勇がこんな風に目を赤くして、外套も着ずに冷え切った体で、とぼとぼと本部までの道をたどるつもりだったのかと思えば、体の疲労よりも心の傷がぐりぐりとえぐられていく思いだ。
「涙の跡がある…辛いことがあったなら俺に話せ」
と冷え切った頬を己の両手で触れると、まるで猫のようにその手に頬を擦り寄せるのが可愛い。
もう互いに家族を失って久しいが、長子の自分と違って末の子の義勇は無意識にこうやって甘えるような仕草をしてみせる。
これ…絶対に他にはやらないように注意せねば…と、錆兎は思った。
女もいなくはないが圧倒的男所帯の鬼殺隊の中で、それでなくとも愛らしく綺麗な顔をしているというのに、これは危険すぎる。
同じ襲ってこられるのでも、鬼は叩き斬れるが隊士の方はそういうわけにはいかないのだから…。
まあ、それはさておき、義勇は別に錆兎に何かを隠すつもりはないらしい。
案外あっさりと
「話せば長くなる。医療所に戻ったら話す…が…」
「…が?」
「…辛いことはあった…」
と、言ってくる。
そんなに長くなるほどに辛い話があるのか…と、錆兎は義勇を1人で行かせた事を後悔した。
確かに同僚柱達は優秀で気の良い男達だが、言葉にしない義勇の気持ちの裏まで全て読み取るのは難しいだろう。
そんなことを考えていると、不意に自分を見上げる気配を感じる。
それに応えるように腕の中に抱え込んだ片割れを見下ろすと、いきなり爆弾を落とされた。
──守ってやりたくなった…か?
と、涙の残る顔に浮かべる微笑み。
お~ま~え~はぁぁ~~~!!!!
危うく絶叫するところを、義勇を強く抱きしめることでこらえる。
本当にほんっと~~に、わざとか?それはわざとなのかっ?!!
と、問い詰めたい。
可愛すぎて駄目だろ!お前そういうとこだぞ?!
と言ってやれたらどんなに良いか…
でも言ってもきっと──俺は可愛くなんてない──なんてそれも可愛いいつもの膨れ顔で言うのが目に見えているので、無駄なことはやめておく。
その代わり
「いつでも…そう思わない時は一瞬たりともないのだが…伝わっていなかったか?」
と、抱え込んだ義勇にそっとそう言うと、そんなにキツイ言い方はしていないつもりだったのだが、きつく聞こえたのだろうか。
腕の中で義勇がビクっと硬直したあと、へたり込みかけるのでそれを支えると、新たに涙があふれでた青い目で錆兎を見上げて
──錆兎のせいで腰が抜けて立てない…
などと言うので、責任を持って横抱きに抱きかかえて医療所まで帰った。
医療所に戻ると散々絞られて、結局退院は3日伸びたので、時間は嫌になるくらい出来た。
ということで、時間も出来たしとゆっくり腰を落ち着けて聞いてみると、涙の理由は別に実弥や杏寿郎とでかけた任務ではなく、そのあとの任務でのことらしい。
鬼に惨殺された一家の中で当時留守にしていたため唯一難を逃れた長男と、鬼の血を浴びて鬼になってしまった妹。
もう少し自分が早くついていれば二人の家族を救えたのに…と、義勇はまた泣くが、任務の情報を持ってくるのは鎹鴉で、今回の義勇は一息つく間もなくすぐそちらに向かってそれだったのだから、どうやっても無理だっただろう。
が、義勇の気持ちは錆兎もわかる。
だからその言葉を否定はしない。
家族を失くすのは辛い。
その辛さを知っている自分たちだからこそ、可能な限りその辛さを味わう人を減らしたいと思う。
仕方なかった…で諦められるほど軽い辛さではないのだ。
義勇も…鱗滝さん以外の他の皆も、錆兎は強くてそのあたりを己の持つ使命感であっさり乗り越えたと思っているようだが、それは違う。
錆兎が泣いたり沈み込んだりしなかったのは、自分より一日遅れて鱗滝さんの所に連れて来られた義勇がいたからだ。
同い年だったがずっと幼い頃から剣術の修行に勤しんでいた錆兎と違って、優しい姉に慈しまれてごくごく普通に育った義勇。
姉を亡くした悲しみに泣くその少年を助けてやらねばと思った。
それは義勇のためではなく、家族を亡くした悲しみと正面から向かい合う余裕がない自分のためだというのは、当時は無自覚だったのだけれど…
今ならわかる。
義勇の面倒を見る、そうしている間は家族を亡くした悲しみを忘れられた。
そして家族をなくして空いた穴が義勇ですっぽりと埋まった頃に、錆兎はようやく自分の家族の死と向かい合うことができたのである。
だから周りも、義勇本人すら気づいていないのだろうが、義勇は錆兎の心の中の一番繊細で弱い部分を埋めている。
だから最表面である体や、表に出ている自我や性格的なものに対する攻撃には人並をはるか超えたレベルで耐えられても、その一番弱い部分に埋め込まれてしまった義勇が傷つくこと、傷つけられることには耐えられそうにない。
だから錆兎が義勇を守るのは善意でも同情でも、偽善ですらない。
自衛なのだ。
そんな風に心に開いた穴を埋める半身を得られた自分とは違い、その生き残りの少年は全てを失ったのだ。
その衝撃は想像に難くない。
せめてその妹が鬼になどならず一緒に助かればまだ支え合って生きていけたのだろうが…と、思っていると、その妹は鬼になってもなお兄を守ろうとする娘だということで、義勇はなんと二人一緒に鱗滝さんに託したということだ。
あ~確かに少年にとってはそれが一番なのかもしれないが、鬼が一緒にというのはどうなのだろう…と、思わないでもない。
思わないでもないのだが、──せめて…兄妹二人を助けられてよかった…と、満足げに微笑む義勇を見ていると、まだ結果もでていないうちにそれはまずいとは言えなくなって、錆兎は全てを自分たちの師匠、元水柱にまかせることにした。
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