正直その制度は少し嬉しいと思う。
なので煉獄杏寿郎16歳はとても楽しみに、柱を拝命して初めての先輩柱との顔合わせの日を迎えることとなった。
杏寿郎が柱の名を拝命した年には、最後の古参だった蛇柱がその座を継子に譲って引退し、完全に新旧が交代した時でもあった。
なので23歳の悲鳴嶼が最古参で、他は皆10代と言う若さである。
杏寿郎と共に柱に任命されたのは蛇柱と風柱。
そしてすでに柱を拝命している先輩柱は5名ほど。
岩柱の悲鳴嶼、音の宇髄と花の胡蝶、そして水の対柱である鱗滝と冨岡である。
どの柱がついてくれたとしても、ありがたく礼を尽くして接しようとは思ったが、もし許されるなら水の鱗滝の補佐を受けてみたい。
杏寿郎はそう思っていた。
13歳で十二鬼月の下弦の鬼を倒して最年少の柱として抜擢された逸材。
強いだけではなく、時に厳しいが心正しく、優しく、全ての隊士の手本となるような人物だと聞いている。
それはまさに自分が目指す姿であり、そうあるための心構えのようなものをその間に学べれば、と、柱拝命の話が出た時から思っていた。
そういう人物だから指導者としても向いていると判断されたのだろう。
自分達の前に柱となった花柱の時は、彼が慣らし戦闘の補佐役だったらしいし、もし新人が1人きりであったなら彼が再びその任につく可能性も高かったのであろうが、あいにく今回は新柱が3人もいる。
そうなると自分についてもらえる可能性はグンと減るに違いない。
そう思っていたのだが、なんとも運がいいことに、柱の顔合わせで全員の紹介が終わって、新人のところへそれぞれ担当の柱が…となったところで、杏寿郎の前に来たのはなんと、水の対柱だった。
「煉獄杏寿郎だな。俺は鱗滝錆兎、隣は冨岡義勇だ。
鱗滝…と名字だと前水柱と同じでわかりにくので、錆兎、と、名の方で呼んでもらえるとありがたい。
義勇も名でいい。
今は柱としては4年の差があるが、そんな差などあっという間に埋まる。
年も近いし同等の者として俺や義勇には敬語も要らない。
特別に敬う必要もない。
ただ、慣れるまでは先輩として頼ってくれると嬉しい」
正直…今の鬼殺隊で柱の名を1人上げろと言われれば百人中99人はこの人の名をあげるだろうというほどにはすごい人物だ。
なのに決して上から偉そうに物をいうこともなく親しげで、そのくせ気軽に頼れと言ってくる。
なんという大人物だ…と、その時点で杏寿郎は感動した。
差し出された手を握り返せば、硬くしっかりとしていて、それだけでこの人がどれだけ刀を振るってきたのかが分かる気がした。
力強く明るく太陽のように笑うその顔に、今はやる気をなくして笑みさえむけてはくれなくなった、かつての父の姿さえ重なって見えた。
ひどく心が高揚する。
「煉獄杏寿郎です。
俺も父が柱だったので…名で呼んで頂けるとありがたいと思います。
未熟者ではありますが誠心誠意努めます。どうかひと月の間、よろしくご指導下さい」
そう杏寿郎が答えると、錆兎の笑みが苦笑に変わる。
「こら、敬う必要はないが先輩の注意は聞いておくものだ」
「はい?」
何か失敗しただろうか…と、内心やや焦りながら聞き返すと、錆兎は
「敬語はやめろ。
同門の兄だとでも思って気楽に接しろ」
と、手を伸ばしてくしゃりと杏寿郎の頭を撫でまわした。
兄…兄か………
長男であった杏寿郎にとって、それはどことなく照れくさく、でもなんとなく心浮き立つ申し出だった。
母は幼少時に亡くなり、その少しあとくらいには幼い頃には確かに厳しくも可愛がってくれた父も自分達息子に構わなくなったため、杏寿郎は常に弟千寿郎を甘えさせてやる兄でいなければならなかった。
こんな風に自分が人に甘えろと言われる日が来るとは思わなかったが、それは想像した以上に心を温かくする。
そのあと解散すると、錆兎は当たり前に昼飯にと誘ってくれるだけではなく、午後から手合わせをしないかなどという嬉しい誘いを送ってくれた。
手合わせと言いつつ、相手は鬼殺隊屈指の柱で、自分はまだ柱とは名ばかりの新米だ。
実質稽古をつけてもらうという形になるだろう。
父親が稽古をつけてくれなくなってからは1人で書物で呼吸の型を学び、1人でひたすらに訓練していた杏寿郎にとって、それがどれだけ嬉しい誘いだったのかおそらく錆兎は知らないだろうが、この初日から杏寿郎は彼を心の師匠、心の兄と慕うようになった。
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