鬼殺隊の多くの女性隊士の憧れの水の対柱。
それは上と下という関係からすると、喜ばしいことなのだが、やや度がすぎるきらいがあった。
例えば彼らが柱に就任したての頃にいつもつけていたという狐の面。
それは彼らの師匠で、今は狭霧山という山の上で隠居している元水柱の鱗滝左近次という人物が、自分の弟子達の安全を願うお守りとして、一つ一つ彫ったものだということである。
それを、もう人気役者のファンのような一部の女性たちは、彼らのものなら何でも欲しいとばかりに、その面と同じモノを欲しがって、狭霧山におしかけたらしい。
もちろんそんな理由で彫ってもらえるはずもなく、それでも随分と迷惑をかけたとのことで、2人はそれを知った時に、師匠に迷惑をかけるのは申し訳ないと、その面をかぶることをやめてしまった。
その代わりにその面の紐を外して錆兎は刀の下緒にし、義勇はそれを髪を結う時の結ひもにしていると、カナエは柱になってからこっそりと教えられたのだけれど…。
そんな風に、役者のファンでも行儀や道理をわきまえた者ばかりではないのと同様に、彼らに憧れる女性たちもまた、しばしばそのあたりをわきまえない者が多数存在した。
跡を尾けられる。
自宅や本部で待ち伏せされる。
時にハンカチや筆など、小さな私物が奪われたりなどもあったらしいが、それでも錆兎は
「別に俺の私物を持っていたからといって何の役にたつわけでもなし、盗むならむしろ技術を盗んで仕事に励んで欲しいんだが…」
と、苦笑しつつ苦言を呈すだけで収めていた。
そんなふうであったため、顔には一切ださないものの、少なくとも錆兎のそういう自分のファンを名乗る女性陣への印象はそうよろしくはないと、カナエは思っていた。
義勇の方は…たぶん待ち伏せにも気づいていなければ、失くしものに関しては錆兎がこっそり補充するのでこちらも気づいていない気がするのだが…
そんな中で彼らと並ぶ柱になったカナエには、同期の女性陣が群がってくる。
もちろん目的は水の対柱で、断っても断っても、彼らを紹介して欲しいという誘いがやまなかった。
しかし状況を知っている以上、彼らに打診をすることさえカナエにははばかられたし、その日も同期の古い知人から橋渡しを頼まれてため息をついていたら、たまたま通りがかった宇髄に声を掛けられた。
「よ、なんか辛気臭い顔してんなぁ」
と、ポンポンと上から頭を撫でられる。
多少は慣れたものの、相変わらずこの先輩柱の距離感には慣れない。
そんな事を思っているカナエに、それでも親しげに
「なんかあるんなら相談乗るぜ?」
と言ってくる宇髄。
そう言えば…彼は錆兎と随分と仲が良かった。
自分が錆兎を先輩として信頼しているように、錆兎は宇髄に随分と気を許している。
彼なら…どうすればいいかわからないだろうか…
そんな風に思ってしまったのが今にして思えば一番の間違いだった。
事情を話すと宇髄はきっぱり
「おし、わかった。今日の夕方な。
2人と会いたいやつ集めて飯食うぞ。
幸い錆兎は今日狭霧山の師匠んとこ訪ねてて夜まで義勇は1人だし、義勇を連れ出せば夜になって戻ってきた錆兎が芋づる式に釣れるから」
などという。
え?え?勝手にそんなことをしていいのか?と思うものの、宇髄はすっかりその気で、いいのいいの、と言うものだから、毎回毎回断ってはチクチク言われるのに疲れ果てていたカナエはついついその話に乗ってしまった。
「義勇君、大人しいね。
あまり食べてないけど、何か嫌いな物あった?」
どうせならど派手にやれっ!と、宇髄が貸し切った居酒屋の座敷で、義勇と宇髄とカナエ、そして水の対柱に憧れるカナエの同期とその知人20名ほどが鍋を囲んでいる。
こぞって義勇の隣の席を争い、争いに負けたあたりは正面に陣取る。
そしてむしろよく観察できるようにと自ら少し離れた席に座る数名も。
そんななかで義勇は無表情に取皿にたんまりと盛られた鍋の具材を眺めていた。
正直…悪いことをしたと思った。
カナエの知る義勇はいつも錆兎の横でニコニコしていて、何故か任務のあとには持参した団子をくれて、みんなでそれを食べながら帰るのが日課になっていた。
そんな風に、錆兎は兄で師匠だが、義勇は癒やしだ。
その義勇の顔に笑顔どころか、一切の表情がない。
怒っているのか困っているのか、あるいは他のなにかの感情からなのか…
もう何を考えているのかさえわからないが、これは異常事態だと思う。
義勇の反応が薄いぶん宇髄がいつものテンションで盛り上げていて、場自体はにぎやかなわけだが、カナエは気が気ではない。
しかしハラハラしているのはカナエだけで、皆、片割れだけとは言え対柱がその場にいることで大満足のようだ。
もともと義勇担当と名乗る義勇個人のファンもいるし、逆に錆兎担当と名乗る女性はさらに多くいる。
義勇担当の女性がにぎやかなのはもちろんのこと、錆兎担当の女性陣も、義勇がここにいるから錆兎も帰りしだいくるはずという宇髄の言葉に、彼が来る前に片割れから錆兎の諸々を聞ければと、楽しく過ごしている。
と言っても、元々無口な義勇から言葉が出るのは、女性たちから錆兎が褒められて同意する時くらいで、もっぱらしゃべっているのは宇髄だったのだけれど……
それ以外は何を言っているのか、あまり理解できない。
さきほどの
「あまり食べてないけど、何か嫌いな物あった?」に対する返答も
「…家に…あるから」
で、正直ここひと月ずっと彼らと任務についていたカナエも理解出来なければ、なんと宇髄ですら理解できていないらしかった。
あとで錆兎に聞いたところ、おそらく「家に(錆兎が作っておいてくれた好物の鮭大根が)あるから、(錆兎が帰ったらそれを一緒に食べるのだ)」という意味だったのだと言うけれど、そんなところまで略されたら絶対にわかるわけがないとカナエもさすがに思った。
そう言えばカナエはそれまで義勇の言葉がわからないと思ったことはなかったのだが、そう考えて思い返してみれば、いつでも義勇の隣には錆兎がいて、義勇の短い言葉を当たり前に補足していた気がする。
とにかく義勇はそんな感じだったし、周りの女子はスキあらば義勇が触れたものを持ち帰ろうとするし、これはまだ断り続けてチクチクやられていた方が良かったのではないか…と、カナエは胃がきりきりと痛んできた。
そんなこんなで2時間弱ほど。
「宇髄ぃぃ~~~、お前なにしてんだ」
と、引きつった笑顔で錆兎が店に駆け込んできた時には、正直ホッとした。
心の底からホッとした。
「お~!胡蝶の同期との懇親会?
義勇を連れ出せば、お前も絶対に来るかと思った」
と、悪びれない様子で言う宇髄。
「席つめるからお前も座れっ」
と、ちょいちょいと宇髄が手招きをする。
そこまではまだそれでも平和だったのだと思う。
対柱といっても義勇は大人しくて圧倒的に錆兎の方が目立っていたし、2人セットでのファンというのも、義勇個人のファンというのもいたが、錆兎のそれが一番多かった。
だから錆兎が来た時には皆絶叫。
「…俺はいい。帰るぞ、義勇」
と、言う錆兎の腕を宇髄が
「いいから、いいから、まあ座れ」
と、掴むと、周りが口々に引き止める。
苦い顔をしながらも、錆兎はなんのかんので義勇に対するほどではないにしろ、先輩の宇髄にも弱いらしい。
その腕をふりほどくことはせず、ただ苦笑した。
そんな騒ぎのなか、義勇はどうするのだろうと思ってそちらに視線を向けたカナエだったが、そこにとんでもない光景を発見して一気に青ざめる。
みんなの注目が錆兎に行っていて、義勇自身の注意も錆兎に行っていた。
そんなスキに、なんと義勇の隣にずっと陣取っていた1人が、こっそりと義勇の髪に手を伸ばし、結紐と髪を一筋手にとって、どこに隠していたのか小刀で切り取ろうとしている。
それは…いくらなんでも駄目だ!!
カナエは悲鳴をあげようと口を開けたが、そのカナエの横を、錆兎が疾風のごとく通り過ぎていった。
その錆兎を視線で追う一同。
──…お前…何してる……
このひと月ずっと一緒にいたカナエでも初めて聞くような声だった。
室温が数度は下がった気がする。
女性の持つ小刀の刃をなんと二本の指先で止めながら、義勇の髪にふれるもう片方の手をゆっくり外させる錆兎。
こっそりと切り取るつもりだったのだろう彼女が青ざめて慌てて無言で小刀と義勇の髪から手を離すと、錆兎はもう一度、最終通告とばかりに怒りを押し殺したような声で
──…何をしようとした……
と、言った。
鬼に対してでさえ、ここまでキツイ視線を向けた錆兎をみたことがない。
自分に向けられているわけでもないのに、カナエはこの世が終わったような、そんな恐怖を感じて泣きそうになった。
もちろんその視線を向けられている当人だってそれ以上の恐怖と焦りを感じているのだろう。
「…わ…わたしっ…水の対柱に憧れて…て……あ、あの…お守り代わりに…って……」
半泣きでしどろもどろで言う彼女を前に、錆兎はぐっと怒りを押し込めるように少しの間目を閉じる。
そうして、二本の指で刃先をもったままの短刀をくるりと回して手に収めると、そのままもう片方の手で自分の後ろ髪を掴んで、ザクっと切り取った。
悲鳴さえあがらない。
みんな目を見開いて呆然としている。
そんな中、錆兎は目を開けてそれを短刀と共にテーブルの上に置き。
「…これで満足しておけ。…そのかわり義勇のはやめろ」
と、静かに言うと、義勇の腕を取って立ち上がらせた。
そして宇髄の前に来ると、札入れから札を出して、
「義勇の分だ」
と、それをテーブルに置く。
それに対して
「いや…今日は…」
と口を開いた宇髄の言葉を
「”今日は”奢られたくはない。
…たとえ宇髄だとしても…次はないと思ってくれ」
と遮って、錆兎はそのまま義勇を連れて静かに店を出ていった。
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