意識を完全に失う前に錆兎の幻を見た。
……と思ったのだが………
何故ここにいる?!!
脳裏を締めるのはそんな疑問。
しかしそんな事はどうでも良くなるくらい、
「…大丈夫か?
一応貧血だって言ってたから寝かせたけど、どこか苦しいなら救急車呼ぶぞ?」
という気遣わしげな言葉と髪を撫でる優しい手が心地よすぎて、放心してしまう。
倒れた瞬間思ったのは、とりあえず這いずってでもいったんベッドに戻って休んで回復したら、おそらくぶちまけてしまったであろう牛乳をなるべく早く拭かなくてはキッチンが牛乳臭くなるな…と言う事だったのだが、そんな余裕のない一人ぼっちの生活だったのが、誰かが…それもとびきりカッコ良くて優しい相手が全て引き受けて労わってくれるという現状に取って代わっている事に若干混乱を覚えた。
…でも泣きたくなるくらい嬉しくて温かくてホッとする。
思えば姉と義勇が一緒に暮らしていた頃は姉も仕事で疲れているだろうと言う事もあってもっと気を張っていて、万が一体調が悪くなりそうな予感がした時は、それでなくとも自分の事を後回しで義勇を育ててくれている優しい姉の負担にならないようにと、必死に隠して自室にこもったものだった。
それでも気づかれて、疲れている身体に鞭を打って優しい顔で世話をしてくれたものだけど……
それに比べて錆兎は飽くまで優しいだけではなくて、どこか余裕が見えた。
大人だ…と言う事もあるし、鍛えているようなので余裕があるのだろう。
メールを送ったのに返事がなかったから心配して来てくれたと言う事だ。
普通なら返事をしない事自体で怒られそうなものなのに、心配してくれるなんて、本当になんて良い人なんだ…と、感動する。
そうやってわざわざ来てくれたのもあって、本当に体調を崩していても当たり前に面倒をみてくれる。
むしろおせっかいでゴメンな?なんて、まるで自分の方の勝手でここにいるのだと、そんな風に言ってくれる。
嬉しくて嬉しくて…嬉しすぎてなんと返して良いかわからずに居る間に、錆兎はやっぱり頭を撫でて、食事を食べさせたら帰るから…と、立ち上がりかけた。
それにひどく心がざわついた。
引き止めなければ…そうしなければ絶対に後悔する、なんて、なぜ思ったのかわからない。
心細さと不安に胸が張り裂けそうな気分になって、子どもみたいにワンワン泣いたら、大丈夫だから、ここにいるからと慰めてくれて、それに癒されてしばらくそのまま泣いていた。
こんな風に泣きながら縋ったのはいつくらいぶりか…
まだ両親がが生きていたほんの幼い頃以来かもしれない。
こうして元々は電車で気分が悪くなったのを助けてもらっただけの相手にどっぷり依存して、結局その日は泊まってもらった。
そして翌朝。
良い匂いで目が覚めたら、イケメンオーラを撒き散らしながら満面の笑みで、朝食を乗せたトレイ片手に「おはよう、義勇」と、起こしに来てくれる。
いつも見慣れているはずの同じ自分のエプロンでも、しっかりと筋肉がついている体格の良い錆兎の方が義勇がするより本当に数段似合っていた。
その上で義勇だといつも両手で抱えるトレイを片手で危なげなく持っていて、その上には美味しそうな朝食が湯気立ててるとか、本当にドラマみたいだと思う。
そんな風に格好が良くて絵になるのだが、イケメンに多い冷たい感じが全くしない。
義勇のように人見知りを極めてる人間でも普通に擦り寄りたくなるくらい、受け入れてくれる感があった。
客に食事の支度とか申し訳ないと言ったら、
「体調悪い時くらい、大人に甘えろ。俺で良かったらいくらでも甘やかしてやるから」
などと言いながら頭撫でてくれて、幸せすぎて義勇はその日死ぬのかと思った。
その日の昼も一緒に食事。
翌日は会社だと言う事でさすがにその夜は帰って行ったが、帰る前にちゃんと温めれば食べられるものを用意しておいてくれた。
優しい姉のことも大好きではあったのだが、錆兎みたいな頼れる兄がいたらいいのにな…と、義勇は思う。
カッコ良くて優しくてマメで……
もし自分がこんな貧相な男じゃなくて愛らしい女子校生だったら、ここからラブストーリーでも始まっていそうな勢いだ。
抱きしめられた時の温かさと許容されている安心感…
今までそんなもの、誰も与えてはくれなかった。
義勇を嫌っていないのだ…そう感じさせてくれるだけで涙が出るくらい嬉しいのに、ともすれば本当に好かれているのではないかとしばしば感じさせてくれる。
自分が本当に錆兎の弟だったら…一緒に暮らせるのにな……
たった一日いてくれただけですっかり部屋を満たしていたぬくもりが錆兎が帰って消えてしまった事にため息をついた。
一緒にいて欲しい…1人にしないで……
今までは当たり前過ぎて諦めていたそんな願いがわき上がってきて、義勇は暗い部屋の中、ベッドの上で抱えた膝に顔をうずめる。
頭を撫でて欲しい…
抱きしめて欲しい…
寂しい…寂しい…寂しい……
ルルルル……
そんな事を考えていたら急になる電話のベル。
普段は携帯だが、今日は何故か固定電話の方にかけてきてくれたのだろうか…
つい数十分前に錆兎からのメールに返信を送ったところだが、体調を崩していた事もあるし心配して電話をかけてくれたのかもしれない。
義勇は顔をあげて、電話に飛びついた。
…はぁ…はぁ…はぁ……
受話器の向こうから聞こえるのはしかし、よくかかってくる荒い息づかいだけの電話。
義勇は速効ガチャっと受話器を置いた。
初めてではない。
1週間に数回ほどかかってくる変態電話。
慣れてはいたもののこのタイミングなので泣けて来る。
本当にいつものことなのだがなんだか気味が悪くて、念のためドアと窓の鍵を確認した。
ベランダの窓とかは、正直少し怖い。
カーテンを開けたら変な奴の姿があったりしたらどうしようとか、いつも確認する時はドキドキする。
一応その日もそんな風におそるおそる鍵を確認して、それでも鳴りやまない電話を何回かとって切った。
本当は電話線抜いてしまおうかとも思ったが、緊急の電話がかかるとまずい。
と言っても、学校の連絡網と姉くらいしかかけてくる相手はいなくて、両方めったに…というか、ほぼかかって来ないのではあるが…。
錆兎は電話はいつも携帯の方だ。
その日は特に気力が落ちてたのだと思う。
なんで俺だけこんな風に一人ぼっちで変質者からの電話応対に追われてるんだろう…
どうせなら家族がちゃんといて、余裕のある奴にしてくれなどと思った。
静かに暮らしててもこんな風に嫌がらせされなければならないのか?
など、もう色々いっぱいいっぱいになって、普段は黙って取って切るのだが、
「いい加減にしろよっ!ばかぁ!!」
と、もう半泣きで言った。
その直後に気付いた。
例の変態電話の息づかいがしない。
電話の向こうで驚いたような息を飲むような気配。
そして声…――すまない…元気かなとか思ってかけてみたんだが……
うあああぁぁ~~~!!!!
「ご、ごめっ!!!違う!!違うんだっ!!
さっきからいつもかかってくる変態電話かかってきててそれかと思ってっ…
錆兎、違うからっ!!!」
慌てて言うも、切れる通話。
ツーツーという音を聞きながら呆然とした。
やらかした…やってしまった……
あんなに優しかった錆兎を怒らせた……
体中の力が抜けて、義勇はへなへなとその場にへたりこんだ。
もう…だめだ……死にたい……
そう思いつつもう立ち上がる気力もなくて、義勇はそのままリビングの床で声を殺して泣き続けた。
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