錆兎は指先で子どもをあやしながら話しかける。
「とぉた…だぁ……」
赤ん坊はゆっくりと動かす錆兎の指をきゃっきゃ笑いながら追いかけて、掴ませてやるとはむはむとまだわずかにしか歯のない口でかみかみする。
「くすぐったっ……ははっ……食えないぞっ!お前はほんと食い意地はってるな」
錆兎は笑って赤ん坊を抱き上げた。
「本当に可愛いな。お前。
義勇もなんだか可愛らしいことになっているようだし、本当に一体何が起こっているんだ。
なんだかいきなり嫁さんをもらって父親にでもなった気分なんだが…」
まあ自分に限ってそんなことは一生絶対にありえないんだが…と、錆兎はこちらは心の中でのみつぶやいた。
なにしろ片思い歴はもうかれこれ7年ほど。
相手は言うまでもない、目の前ですやすやと眠っている男だ。
もちろん錆兎は特別に男が好きだと言うわけでは当然ない。
しかし狭霧山で師範に連れてこられた相手はとてもとても愛らしい顔立ちと雰囲気で、姉の形見とは言え女物の着物を着ていたのだから、山育ちで女慣れしていない自分が少女と勘違いしてストンと恋に落ちたのは無理もないことだと思う。
…まあ…その数日後、実は少年だと知った時にはすでに色々手遅れだったのは、人それぞれに意見はあるとは思うが…
それでも義勇は見かけどおり性格もおっとりと大人しく可愛らしかったので、錆兎的にはそれも仕方のないことなのである。
そうして不毛な片思いをこじらせながら思春期を乗り越えて、なんというか、色々諦めた。
女性を…というか、義勇以外をそういう意味で好きになるということも出来ず、かといって、同性なので、将来所帯を持って子を成すという極々一般的な幸せを捨てて自分と一緒に生きてくれとは、さすがの錆兎も言えなかった。
ということで自分が1人で生きていくことはもう決定で、近い位置で親友という立場を保てば、いずれ義勇が所帯を持った時に運が良ければ義勇にそっくりな子どもでも出来てその子とたまに遊んでやったりできるかも…くらいのことを考えていた。
なので今、それがまさに叶って、錆兎は少し幸せな気分ではあったが、事情はきかねばならないだろう。
どう見ても今の義勇は女性だ。
さすがに触ってみたわけではないのでどこまでとはわからないが、少なくとも見た目はまったくの女性である。
錆兎が昔一目惚れした少女が少年じゃなくて少女だったなら、こんなふうに育ったんだろう…などと、とっくの昔に捨てた想像が形になって横たわっている。
よほど疲れているのだろう。
目の下にうっすら隈を残しながら熟睡しているので、錆兎は赤子を背負いながら飯を炊き鮭大根を作って、それをよそって居間に戻った。
すると
「鮭大根!!」
と、匂いにつられたらしい。義勇が飛び起きた。
そして自分の声に自分で驚いたように目を丸くして、それからキョロキョロあたりを見回して、何かを思い出したようだ。
「錆兎っ!未熟でごめん!!」
と、いきなり頭を下げた。
ひどく心細気なその様子に、錆兎は小さく笑みを浮かべてため息をつく。
「とりあえず事情を説明してくれ。今、女性になっていると思って良いのか?」
と、うながすと、その穏やかな声音に少し安心したように、義勇はうんうんと頷いて話し始めた。
どうやら血鬼術を浴びて女性体になってしまったらしい。
しかも鬼をそのまま逃してしまって、いったん指示を仰ぎに本部へと戻って、現在、隠が逃した鬼の行方を追っている最中だという。
単に女性体になっただけなのか何か他の影響もあるのかがわからないため、万が一他に影響が出たら対応できるように、鬼を倒すまでは自宅待機を言い渡されたということで、
「とうぶん…水柱に来た任務は全て錆兎に頼むことになる。
俺の戦闘に影響が出るだけなら俺が頑張れば良いのだが、もし何か他に害を与えるような効果があると困るからと本部から言われた。
本当に…柱として情けない限りだ」
と、うつむく義勇に
「あ~任務に関しては大丈夫だ。
元々他の柱は1人でやっているわけだしな。
心配するな」
と、錆兎は軽く請け負う。
そしてそれより…と、背中に赤子を固定していた紐を解いて赤子を前に抱いて
「この赤子はどうした?
お前にずいぶんと似ている気がするが、これもその血鬼術の影響なのか?」
と、聞いた。
すると義勇はその問いにふるふると首を横に振って答える。
「いや、昨日預かった。
桜と言うんだが…錆兎がなんとかしてくれたのか…
本当に助かった…死んじゃうかと思ったんだ……。
俺…何もわかんなくて……。
粉ミルクもちゃんと分量通りに作ったのに……ずっと泣いてるし……。
病気かと思って……怖くて……死んじゃったらどうしようとか思って……。
……お前が来てくれて良かった……………その……ありがとう……」
いやいやいやいや、分量通り?本当に?
錆兎が作ったら普通に白かったんだが、お前は何をしたら紫になったんだ?
と、錆兎がそこは突っ込むと、
「えっと…ミルクを味見してみたらなんだか薄い気がしたから…」
「……したから?」
「さつまいもがあったから、擦り下ろして混ぜた」
「入れるなぁぁああーーー!!!」
どうしてこう余計な事をする?!
「さつまいもは確かに生で食べても毒ではないが、消化が悪い。
赤子にやるなら火を通してやらねば腹を壊すことがある。
それに…もし離乳食を始めていない赤子なら、粉ミルク以外の物を混ぜたら身体に良くない。
この赤子は歯がもう生えているから柔らかいものならやってもいいとは思うが、生のさつまいもはやめろ」
はぁぁーーと、そちらには錆兎もさすがに大きくため息をつく。
それを真似してか、錆兎の腕の中で赤子…桜もぽよっとした眉を寄せて、はぁぁーーとしかめつらしくため息を付いた。
それに、二人してそんな顔をしなくても…と、義勇は口を尖らせるも、一応まずかったとは思ったのか、どちらに対してか、両方になのか、ごめんと謝罪の言葉を口にする。
しょげかえる義勇。
しかし今日はそんな顔をさせる日ではなかったはずだ。
「まあいい。それより義勇、誕生日おめでとう!
これを当日のうちに言いたくて、急いで帰ってきたんだ」
と、そこで錆兎はようやく今日急いで帰った理由を思い出して祝いの言葉を口にすると、義勇の好物の鮭大根を中心としたごちそうを前にプレゼントを渡す。
「え…あ…あぁっ!忘れてたっ!ありがとう」
と、義勇目をぱちくりしたあと、ふわりと笑った。
この騒ぎもあって自分の誕生日のことなどすっかり忘れていたらしい。
まあ、この騒ぎがなくとも義勇は昔から自分自身のことに関してはかなり無頓着な人間なので素で忘れていた可能性も高いが…
それでも祝われるのはやはり嬉しいらしく、ほわほわした顔で
「開けていいか?」
と贈り物を手に聞くので
「もちろん」
と答える。
自分の身の回りとかには無精なのにそういうところは几帳面な義勇はリボンを解いて包み紙を綺麗に開いてたたむと、小箱の中に収まる黒くてつやつやした万年筆に目を丸くした。
「万年筆…すごい。高かっただろう?」
とそれを目の前にかざす義勇に錆兎が
「それがあれば出先だろうとどこだろうとすぐ手紙をかけるだろう?
柱ともなれば他の者がいるところで口頭で鎹鴉に伝言を頼みにくい時もあるだろうし、そういう時はそれで手紙を書いてくれ」
と、それを選んだ主旨を伝えると、義勇は目を輝かせながらうんうんと頷いてみせる。
それを見た桜はやっぱり面白がって、じぶんもうんうんと意味もわからず頷いてみせるので、なんだか可愛らしいその姿に二人して笑ってしまった。
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