俺は猫である_後編

そして今…


「ぎゆう、ぎゆう、大好きだ」
錆兎は毎日何回それを繰り返してきたかわからない。
何度も何度もすがるように、訴えるように、愛を囁くように…


それでも俺は、寿命が尽きようとしている今、少し安堵している。

俺は最後まで錆兎に愛されていた。
嫌われなかった。
捨てられなかった。

生まれてから2カ月と1週間。
誰にも愛されず、むしろ嫌われ、疎まれて、誰からも必要とされない日々が続いたが、その後の猫生はずっとこいつに愛され、必要とされて生きてこれた。
だからすごく幸せだった。

だけど…
「ぎゆう…嫌だ。俺を一人置いて行かないでくれ。一人ぼっちにしたりするな」
と泣くこいつはどうなるんだろう。

死ぬのは怖くない。
我が猫生に悔いなしと言える。

けど…
けど、一つだけ、俺と同様に1人になるのをずっと恐れ続けていたこいつを1人残していかないとならない事だけが辛い。
心残りだ。

泣かないで…泣かないで俺のご主人。
泣かないで、俺の大事な錆兎。

言葉には出来なくとも、俺の肩口に添えている手をぺろりと舐めてやるだけで、俺の気持ちが伝わる程度には、俺達はわかりあっている。

だけどそんな俺の気持ちが伝わったところで、こいつにとってそれが何の慰めになるだろう。

ある日いきなり家族全員を失くして一人になった少年期。
そのトラウマを背負いながら、必死に俺がどこにも行かないようにと抱きしめ続けたこいつは、結局同じ時を生きられない俺が自分を置いて行ってしまう事で、さらに深く傷ついて、もしかしたら次を見つけられないかもしれない。

人一倍寂しがり屋のくせに、星の数ほどの人間達に囲まれながらも、一人ぼっちの孤独感を背負いながら生きて行くのかもしれない。

ああ…お前の寿命がくるくらいまでは一緒に生きてやりたかったな。

昔こいつが読んでくれた本で3つの願いを叶えてくれる魔人だか神様だかの話があったけど、もし俺が願いを叶えてもらえるなら、3つと言わず1つで良い。

どうか…どうか神様お願いだ。
寂しがり屋の俺とこいつが寂しくないように、俺達に同じだけの寿命を下さい。
他より長くなくても、すごく楽な生活じゃなくても良い。
死ぬ時は1,2の3で一緒に呼吸を止めるように…どうか…どうか……

そんな事を考えているうちにも、どんどん瞼が重くなって、意識が遠のいていく。

「ぎゆう…ぎゆう、好きだ。逝かないでくれ……」
という最愛の飼い主の声を最後に聞いて、俺の意識は消えていった…




エピローグ


15年だ…
一緒に暮らし始めて15年。

友人宅で子猫が産まれたという話を聞いた時は、見に行くだけのつもりだった。
なぜなら錆兎は当時孤児院を出て公立高校に通いながらバイトのかけもちでなんとか自分の身を養うのが精いっぱいの16歳である。
そんな彼に自分以外の命を養う余裕などどこにもあるはずがない。

でもそこで彼は出会ってしまったのだ。
大勢が見に来たにも関わらず誰にも懐かないという子猫。
そんな子猫が自分にだけは心を開いてくれた。
一緒に居たいと意思表示をしてくれた。

ハッキリ言ってどこにも余裕はない。
でもこれは運命だったのだ。

自分の身すら危うい錆兎を心配しながらも、友人はその子猫を快く譲ってくれた。
それからは毎日が幸せだった。

それまでは両親に囲まれて何不自由なく暮らす友人達に比べて、ある日突然家族全員を失くして孤児院で育ち、高校入学と共に1人で狭いアパートの一室でくたくたになるまで働いて生きるためだけに流し込むような食事をしながら生活している自分がみじめで悲しく思えたのだが、子猫、ぎゆうはそんな錆兎の心を豊かにしてくれた。

コンビニや日雇いのバイトを終えて、くたくたになって帰っても、ドアを開けると何故か玄関でお出迎えしてくれる可愛い子猫。

にゃぁ~と擦り寄って来られるだけで疲れが一気に吹き飛ぶ気がした。
一生懸命稼いだお金で可愛い家族を養っていく。
それが例えギリギリの生活だったとしても、自分がぎゆうを養っていると思えば全然みじめに感じなかった。

錆兎の大事な大事な家族。
生活はより大変になったが、ぎゆうを引き取った事を後悔した事は一度たりともない。


大学を出て社会人になり、経済的に裕福になればなおさらだ。
少しでもぎゆうと一緒にいられるように職場から近い部屋を借り、空いた時間があれば出来うる限りぎゆうと戯れて過ごす。

それでも一応世間的に彼女でも作った方がいいのかと作っては見たものの、家に連れて来た時に彼女が勝手にぎゆうに触れようとした挙げ句に暴言をはいたあたりで、もういいかと思った。
錆兎の大切な家族を尊重できないようなものなら、彼女なんて要らない。
そう結論づけて、それからすぐ彼女には別れを告げた。

それからはずっとぎゆうと二人きりだ。
家に帰れば必ず玄関で出迎えてくれるぎゆうがいる。
それが錆兎の幸せの全てだったと言って良い。

しかしそんな幸せは、種族の違いによる寿命の差という、如何ともしがたいもので奪われるということを、錆兎はぎゆうが弱って死にかけるぎりぎりまで考えてもみなかった。

ただただ1人にされる恐怖――そう、悲しさとか辛さと言うより、もうそれは絶望と恐怖だ――に男らしくないと思いつつ泣く錆兎に、ぎゆうは泣くなというように錆兎の手に額を擦り寄せたり、舐めたりしていたが、いつもなら慰められるそれも、永遠にそれを失うと思えば、癒しにはならない。

泣いて泣いて、置いていかないでくれと懇願したにも関わらず、錆兎目の前でぎゆうは静かに目を閉じ、15年の生涯を終えた。


……はずだった。


「錆兎は本当にいい子だからね。
奇跡は年間1件までって決めてるんだけど、特別サービスだよ。
この子の願い叶えてあげよう」

「はぁ?」

涙で潤んで視界がぼやけているせいで幻覚が見えているのだろうか。
目の前に着物を着た肩くらいまでのさらさらの髪をした青年がいる気がする。

だめだ…俺はショックのあまり気が狂ってしまったようだ…ぎゆう。
いきなり知らない人間が目の前にいる幻覚なんか見えてるし、幻聴まで聞こえてる…

心の中で呟いた錆兎の声。
確かに心の中で呟いたはずなのだが、何故か目の前の男にはしっかり聞こえてたらしい。

「大丈夫、君は気が狂っているわけではないよ?
私はちゃんと存在している。」
と、こんな怪しい状況なのに、その声に妙に落ち着く気がして、錆兎はぽかんと相手を凝視した。

「で?神様が何しにきたんだ?」
本当に自分はどうかしてしまったんだろう…と思いつつも、別にもうどうなっても良いのだから気にするまい…と、錆兎が聞くと、男は手を一振り。

ぼわん!と白い煙が湧き出て、それがぎゆうの遺体を包み込んだところで、錆兎はようやく我に返って慌てた。

例え遺体だったとしてもぎゆうだ。
大切なぎゆうだ。

「何をするんだっ!」
とどなりつつも手で必死に煙をかきわけると、そこには真っ白な手足に真っ黒な髪…そして…その合間からふさふさの耳が覗く少年が……。

「…ぎゆう……っ!!!」

どんなに姿が変わっても錆兎にはわかる。
これは錆兎の大事なぎゆうだ。

「えっとね、この子が死ぬ前に君と同じ寿命が欲しいって願ったんだけどね、猫のままじゃ無理だろう?
てことで…本当は年に1匹までなんだけど、特別大サービスで今年2匹目の猫又にしてあげたから。
あ、でもね、猫なわけだから市民権ないからね?
服もない。自分で用意してあげてね?
ということで、願いは叶えたからね」

青年はにこにこと言って消えていく。
しかし青年が消えてもぎゆうは消えない。
そう、消えずに生きているのだ。



こうして寂しがり屋の二人は、それから人間の寿命を二人寄りそうように生き、その寿命が尽きる時は、1,2の3で共に息ひきとって、遺言により猫又の最初の飼い主の孫の手で、同じ墓に供養される。

そして
「「お前のおかげで幸せな人(猫)生だった」」
それがまるで示し合せたように紡がれた二人の最後の言葉であった。


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