俺は猫である_中編

貧乏生活


こうして俺の飼い主になった錆兎は貧乏だった。
本当に驚くほどに貧乏だ。

天元は人間の中でも金持ちの部類に入る男らしく、その棲家も実に広かったが、俺が錆兎に連れられて行った錆兎の棲家は本当に狭い1室+1人で料理するのがやっとくらいのキッチンだけ。


家具は1人用のパイプベッドと天元の家のリビングに置いてあったテーブルの3分の1ほどの大きさしかないローテーブルのみ。
そこにノートやらグラスやらがごっちゃに置いてある。

書きものも食事も、床で出来ない全ての作業はおおよそこの小さなテーブルの上で行われる。
服とか小物は全て備え付けのクローゼットの中だ。

キッチンには小さな冷蔵庫の他には微妙なスペースに置かれた微妙に小さな棚。
そこには食器やら常温保存の食材やらが所狭しと詰め込まれていた。


こんな感じで全てがキチキチだった錆兎は、時間もまたキチキチだ。
朝ゆっくり起きて朝食だけはリビングで俺と母猫の様子を見ながらクロワッサンやらカフェオレやらを食していた天元と違い、錆兎の朝は早い。

まだ暗いうちに起きて新聞配達。
その後、平日は学校に行ってその後バイト。
休日は一日バイト。
空いている時間が少ない時には家で内職。
学校以外はとにかく働いている。

食事は大抵肉体労働系のバイト先で出る弁当か、もしくは同じくコンビニのバイト先でもらってくる廃棄寸前の弁当。

夜も遅くまでバイトで帰宅は遅いのだが、学校からバイト先などの移動がある時は必ず家に寄って俺の様子を見つつ、一方的におしゃべりをして、また出て行く。

そんな生活をしているくせに、俺の餌は天元の所に行かず、自分が身を削るようにして働き続けた報酬の中から買ってくるのだ。

「男としては大事な家族の飯くらいは自分で働いた金から買いたいからな」
とか言ってる場合じゃない。

俺の飯を買う金があるなら自分用に栄養あるモン買って食えとか、

「今日はバイト先の給料日なんだっ。
ちょっとだけ贅沢するか~」

と高級猫缶を買う余裕があるなら、自分のために美味いモンでも買って食えとか、もう言いたい事は色々あるわけだが、残念ながら俺は猫。
伝える術を持たない極々普通の猫なのだ。


出来る事といったらドアの向こうで奴らしい足音がしたら玄関で待機。
まっさきに「おかえり」と言ってやるとか(まあ実際は、「にゃあ」としか聞こえてないだろうが)、疲れて帰ってきた奴の頬を舐めてやるとか、せいぜいまるで倒れるように床に寝ころんだまま寝落ちしてしまった時に薄手のブランケットを咥えてひっぱってかけてやるくらいの事しかない。

それでもそんな些細な事に奴は
「なんかぎゆうが来てから、毎日が楽しいな、幸せだ」
と、嬉しそうに笑うくらいには馬鹿でおめでたいのだ。

そうしておいて、俺が理解していると本当に思っているのかただの独り言のつもりなのか、しばしば

「俺な、家族が事故で死んだあとは孤児院で育って院出てからずっと一人なんだ」
と、自分の身の上を語ったり、

「ぎゆう、俺と来てくれてありがとうな。
なんか不自由はないか?
宇髄んとこみたいにはいかないけど、出来る限りの事はしてやるからな?」
と猫の俺が答えられるはずのない事を聞いてきたり、

「家帰ってドア開けた時に出迎えてくれる相手がいるっていいよなぁ。
本当はぎゆうが口きけたりして、
『おかえり!』
とか言ってくれたら、理想なんだけど…。
あ、今が不満てわけじゃないぞ?
単に宇髄んとこって以前今話題の猫又が産まれた事あるんだ。
あそこん家の須磨さんとかって、そうなんだって。
知ってるか?猫又。
人型になれる猫。
人型の時はおしゃべりできるしな。
たまにそういう猫が生まれてて、ニュースになってるんだ」
などとわけのわからない話をしてみたり…。

錆兎は俺相手に実によくしゃべったし、撫でたし、とにかくほとんどを箱の中で過ごした天元の家とは違って、俺達はよく接触を持った。

そう言えば…言い忘れていたが、ぎゆうと言う俺の名前は奴がつけたものだ。
それが錆兎から俺への最初の贈り物で、おれの持つ唯一だった。

ともあれ、そんなまさに貧乏暇なしといった男と狭いアパートで暮らす生活だったが、俺は満たされていた。
俺を可愛い、必要だと言ってくれる相手がいる。それだけで本当に幸せだったんだ。


家族


俺が錆兎の家に来て6年。
出会った頃は高校に入りたてだったのが大学を経て、苦学生の錆兎は社会人になった。

元々しっかりとしている上に人当たりの良い性格だし、肉体労働で鍛えていたので体力もあるし、なによりイケメンで見栄えが良い。

だからというわけではないだろうが、そこそこ有名な一流企業というやつに入れたらしい。
ここから俺達の生活はグッと向上する。

まず自宅が変わった。

「なるべく家にいる時間増やしてぎゆうと過ごしたいからな」
と言う錆兎の希望で、勤め先から自転車で20分という場所。

曲がりなりにも一流企業なので勤め先の立地も都会の一等地なら、そこから自転車で20分という自宅も一等地だ。

しかしあれだけ貧乏でその日の食べ物にも困っていた苦学生錆兎は、その一等地の高額な家賃を支払えるくらい稼いでいた。
まあ会社で家賃補助もあったらしいが…。

いつもよれよれのTシャツを着ていた錆兎は、今では毎日高級そうなスーツに身を包み、仕事に出かけて行く。

それでも奴の俺に対する態度は変わらない。
いや、普段の餌が少し高級になったか…。

まあ…給料日になると高級猫缶を買ってくるのは以前のままだ。
ただ、今は奴自身の食事もちゃんと食べられての事である。

本当に…俺が人間だったなら、俺の分だけとかじゃなく、美味しくて栄養のある料理を作ってやって一緒に食べられるのに…とか、日々思っていたから、俺としても少し安心だ。

繰り返すが錆兎はイケメンだ。
肉体労働をやっていたせいもあって筋肉の程よくついた男らしく引き締まった体躯。
整ってはいるがいつも愛嬌のある笑みを浮かべているため親しみやすい顔立ち。
なかでもふわりとした宍色の髪ときりりと澄んだ藤色の目はとても綺麗だ。

学生時代は本当に貧乏だったから微妙だった服装が、社会人になってピシッとしたものになった途端、当たり前だが錆兎はすごい勢いでモテだしたらしい。
家に居ても女から電話がかかってくる。

でもその返答が
「あー…うち猫がいるから。そんな遅くまで1人にしておけないからごめんなっ」
で、どうやら女の誘いを断っているらしい。


馬鹿、お前は馬鹿だ。
俺は猫でお前は人間。
将来の事を考えたら俺なんかより同種のメスに媚びを売っておけ。
最後までお前と一緒にいてくれるのは、同種のメスだぞ。

俺はそんな気持ちを込めて、錆兎が通話を切って放りだした携帯を爪を引っ込めた前足でトントンしながら、「にゃ~お!」と非難してやる。

長く一緒に暮らしているためだろうか。
それで錆兎には俺が言いたい事は通じてしまうらしい。

ちょっと困ったように形の良い眉を八の字に寄せて、でもな……と、言い訳のように口を開く。

「俺は少しでもぎゆうと過ごしたいんだよ。
学生時代はずぅっとバイトであんまり一緒にいれなかったからな。
せっかくぎゆうと一緒にいるために高い家賃払って会社の近くに部屋借りたんだぞ?」

ああ…馬鹿だ…。
こいつは本当に馬鹿だ…。

………
………

でも…それを少し嬉しいと思ってしまう俺は本当の意味でこいつの幸せを考えてやれない身勝手な奴なんだろう…。

嬉しさにピンと立つ尻尾と…それに反するように罪悪感に下がる視線。
そんな俺のジレンマに錆兎はやっぱり気づいて
「お前のせいじゃないぞ。そうしたい俺のせいだ」
と俺を抱き上げて膝に乗せると、俺の頭を撫でながら苦笑した。


そして結局…奴は考えたらしい。
俺と女と両方と一緒に過ごすにはどうしたらいいかという事を。

そしてある日、自宅の方に女を招いた。


俺は家猫で人間と言えばほぼ錆兎しか見てこなかったから、人間の女の良し悪しについては正直わからない。
でも胸が大きいし、モテる錆兎が選ぶくらいだからきっと人間的に良い女なんだろう。



「ちょっとソファにでも座っといてくれ。
今飲み物入れて来るから」

女をリビングに案内して、錆兎はカウンターキッチン越しにそう言いつつドリンクを作る。
大学時代には飲み屋でバイトしていた事もあって、社会人になって揃えたオシャレなグラスにフルーツを挿したカクテルのような物を作っている。

俺はと言うと寝室(そう、今度の部屋はなんとリビングと別に寝室があるのだっ!)に避難させられたのだが、いつもリビングで過ごしているのでお気に入りのクッションもおもちゃもトイレも全てリビングにある。

だからていっ!とドアの取っ手に飛びついて華麗にドアを開け、こっそりリビングに忍び込んだ。

とりあえず運びやすいオモチャから運び出すか…と錆兎がよく一緒に遊んでくれる猫じゃらしという名の棒状先に飾りのついたものを運び出そうとそれを咥えると、オモチャについていた鈴がチリンとなった。

それがまずかった。

音で俺に気づいた女は、まあっ!と目を輝かせて俺に手を伸ばした。

それに一瞬怖いっ!と思う。

情けない話だが、錆兎に飼われてから錆兎以外の人間に触れられた事がなく、その前はと言うといきなり抱きあげられて落とされかけたと言うのもあって、やや硬直する。

でも我慢だ。
俺がひっかいてしまったら錆兎が悪く思われる。
我慢だ…死んだって爪をたてるな…

そんな風に俺がジッと固まっているとすぐそばまで伸びて来る手。
だけどその手が俺に触れる前に、ひょいっと俺の身体は後ろから抱きあげた手に寄って宙に浮いた。

もちろん女の他に家にいる人間と言ったら俺の飼い主、錆兎に他ならない。

奴は震えて固くなっている俺をしっかりと抱え直して、

「お前は…せっかく隔離しといたのにどうやって抜け出したんだよ」
と、俺の鼻先をその形の良い己の鼻でツンとつついて俺に言うと、今度は女に向けて

「人見知りで俺以外の人間が怖いやつだから寝室に避難させといたんだけど、なんでか抜けだしてしまったみたいだ。
ごめんな。ちょっと戻して来るわ」
と、笑みを浮かべて言った。

女の方はそんな俺の極限レベルの緊張状態に気づかないようで、
「あら、私ねこちゃん大好きだから全然構わないわ。
可愛い子ね。抱っこさせて?」
と、立ち上がって再度俺に向かって手を伸ばして来る。

そこで俺は限界を迎えた。
いったん錆兎の手の中に保護された安心感で自制心が緩んでいたらしい。
思わず出る爪。

しかしそれが女に届く前に
「ぎゆう!」
と、錆兎の声がして、錆兎の指先が器用に俺の手を掴んでいた。

「…こっわ……案外乱暴なねこちゃんなのね…」
と言う女の声で、俺は『やってしまった…』と青ざめた。
いや、毛に覆われているから実際青くなったとしても絶対にわからないし、単なる比喩なのだが…

どちらにしろ、錆兎の客に手をあげようとしてしまったのには変わらない。
これだから要らない猫だと思われるんだ…。

錆兎もさすがにそう思っただろう…宇髄の所に返されるか…とうなだれていると、錆兎は

「ぎゆう、怖い思いをさせて悪かった」
と、俺をギュッと抱きしめて頭を撫でてくれる。

…え?と思って顔をあげると、錆兎の視線は女の方へ。

「ぎゆうが怖い猫なわけじゃない。
人間だって普通に恐ろしいものが近づいてきたら逃れようとするだろう?」

「わ、私が悪いの?何もしてないのにっ」

「…嫌がっている相手に触れようとするのは悪くなくはない。
俺はその直前にぎゆうは人を恐れる猫だと言ったはずだ。
ぎゆうは乱暴なわけじゃない。自衛しようとしただけだ。
悪いがもう帰ってくれ」


それは俺が初めて聞いた錆兎の声だった。
初めて会った時はもちろん、どんなに貧乏で、どんなに疲れていて、どんなに空腹な時も、錆兎はいつも穏やかな声音で話していた。

それが今、思い切り拒絶と嫌悪をにじませた声でそう言うと、もうちょっとで俺に触れそうだった女の手を思い切り払いのけた。

びっくりしたのは女の方だ。
もちろん俺もだが…。

ぽかんと見開いた目で錆兎を見あげると、錆兎は俺を抱いたまま、女をドアの方へと促した。



そうして帰った女は、二度と我が家に足を踏み入れる事はなかった。
錆兎が拒否をしたのか、女が錆兎を振ったのか、どちらなのかは俺は知らない。

ただ女が出て行ったあと、錆兎は家のドアに鍵をかけると、俺を抱いたままリビングに戻って、顎の下や眉間を指先で撫でながら語った。

錆兎は元々両親と妹の4人で暮らしていたが、交通事故で家族が他界。
頬の傷はその時についたものらしいが、それより深くついた傷は、後部座席に並んで座っていた妹を助けられないまま自分だけ生き残ってしまったという心の傷らしい。

人見知りで口下手で…思っている事を上手く伝えられないから他人に距離を置かれてしまうが、とても優しい子だったんだ…と語る錆兎の言葉は猫のぎゆうには半分も理解は出来なかったが、なんだかそんな他人に対する不器用さが似ていて、ぎゆうといると心が休まるし、色々してやれるのが嬉しいのだ。
だからずっと一緒にいたい。
そのためなら他の人間なんていらないのだと、柔らかな口調でぎゆうが必要だと伝えてくる錆兎の気持ちはなんとなく理解が出来て、自分もだ、自分も錆兎だけなのだと伝えられたらと、肩口に前足をかけて身を乗り出し、傷のある錆兎の頬に自分の額を擦りつけてやれば、わかってくれたらしい。

「ぎゆう、お前は本当に賢いな。俺の言っていることがわかるんだな」
と、笑って頭を撫でてくれた。


この時から少しずつわかってきた。
錆兎は俺をすごく理解してくれるし必要としてくれている。

多くの人間にとって可愛げのない要らない猫の俺は錆兎にとっては要らない猫なんかじゃない。
誰よりも大切な家族なのだ。

たまに叱られたりすることもあったが、俺はそんな時でももう錆兎が俺を宇髄の家に返すかもと怯えることはなくなってきた。


学生時代と違って少し余裕が出て来た休日は、錆兎も出かける事はあったが、その時はいつも不慮の何かで俺を失くしたりしないように、錆兎は俺をしっかりと腕に抱えている。

俺も俺で、外ではぐれてしまったら大変とばかり錆兎にしっかりしがみついていて、お互い、お互いが気になって、外出を楽しむどころじゃなくなるので、大抵は家で二人でゴロゴロしている羽目になってはいたのだが…。




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