風邪の話

ふわり…と錆兎の上着が頭からかけられる。
それで義勇はぽつりぽつりと雨が降り出して来たのを知った。

椅子に座っていた義勇の隣に立つ錆兎はいち早く雨粒に気づいたらしい。
最初の一粒が義勇に届く前に遮ってくれてしまう。

「錆兎のほうが風邪をひかないようにしないと…俺よりもずっとたくさんの仕事を抱えているんだし…」
と、上着を返そうとする義勇を上着ごとぎゅうっと上から抱え込んで

「俺は大丈夫だから。
お前の方が身体を壊しやすいし、お前が風邪を引いたらそれこそ俺は気になって仕事が手につかなくなるから、俺のためだと思って被っていてくれ」
などと言われてしまう。

すると、それ以上抵抗する気も起きず、義勇は大人しく錆兎の上着をかぶったまま建物内へ。

そうして雨が降り込んでこない場所に避難すると、スタッフがタオルを持ってきてくれる。

しかし錆兎はそれを受け取っても自身は濡れたまま、上着を羽織っていてもなお濡れた義勇の髪だとか顔だとかを拭いた後、膝をついて義勇の足元までほんのわずかでも濡れた部分を丁寧に丁寧に拭いていくので、なんだか困ってしまった。

「さびと…さびとの方が風邪をひくから……」
と、義勇もスタッフからタオルをもらって、濡れてすっかりぺしゃんこになってしまった錆兎の宍色の髪を不器用な手付きで拭き始めると、錆兎が下で小さく笑う。

「…さびと?」
と、義勇がそれにコテンと小首をかしげると、

「いや…俺は基本的には自分のことは自分でというのが好きな男だと思っていたが、こうやって義勇に手をかけてもらうのは存外に悪くないものだと思ってな。
セルフサービスよりも己が想う相手に何かをしてやって、己のことは相手にしてもらうというのは、良いものだな」
と、錆兎が笑って見上げてくる。

笑顔が眩しい…カッコいい…と、思わず真っ赤になると、錆兎の笑みが途端に消えて、

「どうした?!熱でも出てきたかっ?!」
と、本気で心配し始めるので、義勇はブンブンと首を横に振って

「違うっ!錆兎がカッコよすぎて見惚れただけだっ!」
と、慌てて否定した。


……のだが……



「ごめんな。帰ってすぐ風呂でも入れて温かくして寝かせてやれば良かったな…」

翌朝…コツンと義勇の額に自らの額をかるくぶつけて錆兎が気遣わしげに言う。

気づいたのは昨夜の夜中。

少し身体の節々が痛くてぼ~っとするなぁとは思ったが寝ていれば治るだろうと思っていたら、いきなり錆兎が起き上がった。

「義勇…お前熱ないか?」
と言うなりそのままベッドを出ようとするので、温かい体温を惜しんで思わずそのパジャマの裾をつかめば、ぴたりと止まる動きと、手に向けられる視線。

図々しかったか…と、思わずパッとその手を放すと、錆兎は義勇の頬を優しく撫でて

「体温計を持ってくるだけだ。すぐ戻る」
と、言ってベッドから降りると額に軽く口づけて走っていく。

…あ……
自分で手放したくせに未練がましく錆兎の姿を追った手が空をさすらう。

1人なんて慣れている。
慣れているはずなのに、ひどく心細くて悲しくて、ポロリと涙がこぼれ落ちると急ぐ足音が聞こえて、半身起こした義勇の横にふわりと座った錆兎に頭を引き寄せられた。

「…1人にしてごめんな。体調悪い時は心細いよな」
と、こめかみに口づけ。
その感触になんだか力が抜けてしまう。

そうして額に押し当てられた電子体温計がピピッとなると、それを覗いた錆兎は男らしい眉を寄せて難しい顔をした。

「38度ジャストか…救急外来に行くかどうか微妙なところだな…」
と少し考える間もその手はブランケットを引き寄せて、義勇を包み込んでいる。


──嫌だ…家に居たい…
と、その言葉に義勇は錆兎の胴に手を回して抱きついた。

「…病院だと手続きとか色々絶対に離れる瞬間があるから…離れたくない…」
と、子どものように鼻をすすりながら泣けば、錆兎はちょっと驚いたように目を丸くして

「病気だとずいぶんと甘えたになるな」
と、言って、

──可愛いな
と、笑みを浮かべた。

普段ならそこで可愛くないと返すところなのだが、身体が弱っているせいだろうか…甘えを許容されるのが嬉しくて、

「離れたら…やだ…」
などと普段は絶対言えないであろう言葉がするっと口から飛び出してしまう。

すると錆兎は
「うん?俺から離れたことはないだろう?
いつも逃げようとするのは義勇の方だ。
どこへ行こうと迎えに行ってやるけどな。
だが、いつもこうやってくっついていてくれると助かるし、俺も嬉しい」
と、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。

その上で
「じゃあ家で薬を飲んで大人しく養生することにしようか。
明日は幸い二人してオフだし。
ただし、ちゃんと言うことを聞いていい子でいろよ?
悪化したら嫌でも病院にいかないわけにはいかなくなるからな」
と、頭を撫でてくれるので、義勇はこっくりと頷いた。



寒い、喉が乾いた、何か飲みたい…

普段なら飲み込むような言葉を口にするたび、錆兎はよく言えたな、いい子だなと、いちいち褒めてくれる。

別に褒められるようなことではない…と、平常時には思うのだが、身体が弱ると心も弱るのだろう。
褒めてくれる事が嬉しくて、ついつい甘えたことばかり言っていた気がするが、錆兎はやっぱりそれをいちいち褒めてくれるのだ。


そうして何故いちいち褒めてくれるのだ?と聞いてみたら、

──身体が辛いのにちゃんと伝えてくるのだから、偉いに決まっている

と、優しく優しく笑ってくれるので、もしかして…錆兎も親にそう育てられたのか…と思って聞けば、錆兎は少し天井に視線だけ向けて考え込んで、そして義勇に視線を戻すと

──俺の親はそういうタイプではなかったから
と、苦笑した。

それに、そうなのか?と問い返せば、愛情が薄かったわけではないぞ、むしろ逆だと返ってくる。

「親は子に生涯寄り添えるものではないからな。
子が1人で立って歩いていけるように育てるのが愛情だ
だから俺の父は妻が亡くなって愛情を向けるはけ口が子の俺しかいなくなっても、愛情に溺れることなく自制して適切な量の愛情を与えて俺を育てた。
結果、自分で言うのもなんだが、俺は自分のことは誰かに頼らないでも自分でできる男に育ったと思う。
ただ…今にして思えば俺の人生は適正すぎて、少々辛い部分があった」

「…つらい?」
「ああ。義勇に会って初めて気づいた。
俺は1人で生きられすぎて、人として本来湧いてくる感情を向ける場所がなかった」
「………」

「つまりな…親は正しく親でありすぎて、息子の側に甘えることはなかったし、俺は物心ついてずっと芸能人で、羽目をはずすことは出来ない性格だったから……愛情を注ぐ相手に飢えて居たんだと思う。
そんな時に義勇に出会って…こいつだ、と、本能的に思ったんだろうな。
どうしてもお前を逃したくなかった。
契約で社会的に捕まえて、同居で物理的に捕まえて…
今お前がこうして自主的に俺のそばに居てくれるからいいが、あの頃の俺のやり方ときたら、今思い出しても正気じゃなかったと思う。
…それでも…愛情を注ぎたかったんだ。注いでも注いでも注ぎ足りない。
俺はとっくにお前に依存していて離れることなんて出来やしないから、お前にももっとわがままを言って甘えて俺に依存して欲しいと思っている」

「…俺は…とっくに錆兎に依存しきってるんだけど…
…錆兎に見捨てられたら3日で死ぬと思う」

「甘いな。俺は1時間だ。
お前のことは寿命が尽きるまできちんと看取ってから死ぬが、お前が死んでから1時間以内に俺も死ぬ」

「すごいな、さびと」
思わず笑えば、

「当たり前だ。お前と出会うまでの19年分溜め込んだ分、消費しきらないうちにどんどん湧いて出るからな。
愛情が尽きることなどないし、安心して甘えろ」
と、また額と額をぶつけられる。

そしてにかっと笑った顔が眩しすぎて思わず目をそらすと、そのそらした先がドアだったので

「ん?少し腹減ってきたか?
ちょっと待て」
と、いきなりブランケットにくるまれて抱き上げられた。

「…っ??…さびとっ??」
と、驚くと、錆兎は当たり前に

「昨夜、離れたくないと言っただろう?
目が届かないところだと俺も心配だし、粥を作るまでリビングのソファで待っていろ。
あそこならカウンター越しにキッチンが見えるから」
と、言われてリビングに連れて行かれる。

そうして
「出来る限りのことは叶えてやるから、二度と手の届かなくなるところには逃げようとしてくれるなよ?映画の撮影終了直前のあれは本当に堪えたからな」
と、少し泣きそうな顔でそういうのに、何故か胸がきゅん!とした。

錆兎のように…というまでは無理だとしても、自分も機会があれば彼を全肯定して甘やかしてやりたい…義勇がそう思った瞬間である。




0 件のコメント :

コメントを投稿