「ご馳走様」
と、普段は素直になれないが、これだけはアーサーもきちんと手を合わせて言う事にしていて、今日もいつもの通り手を合わせる。
もちろんアーサーもただの居候から脱却すべく練習しようとしたのだが、水と卵を鍋に入れて火にかけるだけのはずの茹で卵を作ろうとして何故か爆発させて以来、キッチンへの出入りは固く禁じられている。
せいぜいギルベルトに沸かしてもらったお湯を使ってリビングで紅茶をいれるくらいしかさせてもらえない。
だからせめて『美味しかった』の言葉とか、感謝の意くらいは添えたいとは思うものの気恥ずかしくてできない。
その分、そんな美味しかった、ありがとうの気持ちを目いっぱいこめて口にする
「ご馳走様」
というたった一言の短い言葉。
それでもギルベルトはそんなアーサーの気持ちを全部わかってくれて、嬉しそうに
「お粗末さん」
と返すのが日常だ。
食事が終わっても魔道書がつみあげられた部屋に閉じ込められる事も、戦場に飛ばされる事もない。
それが役に立つものであろうとなかろうと、ギルベルトはアーサーが興味を示した物は嫌な顔一つせず用意してくれる。
アーサーはここにきて初めて趣味と言うものを持った。
このところ特に気に入ってるのは茶葉のブレンドと刺繍だ。
実家にいたら役に立たない以前に女みたいな事をと蔑まれそうだが、ギルベルトは馬鹿にする事もからかう事もせず、『美味いな』『綺麗だな』と笑顔を向けてくれる。
無条件に許容され、注がれる慈愛。
心地良い…と、慣れてしまうのはたやすいが、これは期間限定なのだと言う事を忘れないようにしなければならない。
享受しながらも、いつかくる終わりに傷つかないように、完全に心を預けてしまわないように…と、自戒の意味を込めて、アーサーは一定の距離を取る努力を続けている。
逆に考えれば…それは意識的に自戒しなければ、情が移ってしまう程度には今の状態を心地よく感じてしまっているのだということでもある。
「ちょっと風に当たってくる」
と、暑いのは苦手なのにしばしば畑に行くのもそんな気持ちの表れだ。
「ん、いってこい。気をつけてな。ほら、帽子もかぶっていけよ」
食後の食器を洗っているギルベルトに声をかけると、エプロンで濡れた手を拭きながらギルベルトがかけよってきた。
そして
「あんま遠くへは行くなよ、一応事情わかるまでは心配だからな。
遅くならないうちに帰ってこいよ」
と、帽子をかぶせながら顔を覗き込んでくる。
ギルベルトのルビーのように美しい紅い瞳に宿る心配そうな色に、落ち着かないものを感じて、アーサーは
「わかってる」
とギルベルトと目を合わせないように背を向けた。
落ち着かない理由はわかっている。これは恐怖だ。
嫌われるのは慣れている。
でも今は慣れているはずのそれが怖い。
初めて向けられた好意が嫌悪に変わるのが怖い。
深く想ってくれた分、深く心臓をえぐるような嫌悪に変わるだろうその視線を受け止める自信がない。
でもその時が来るのを避けられないのは、出会ってしまった瞬間から決まっていた事だ。
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