「この部屋にいるんだけどな。個体名はアーサーな。
まあ食いものはあるし、俺もよくここで寝泊まりするから、ソファの下にブランケットもあるし、そうなったら適当に使ってくれ。
爺ちゃんはあとの3人送りだして来るわ」
驚かせないように…と静かに開けると、デスクの方から、きゅうきゅうと小さな泣き声がする。
その声のする方を見れば小さな箱の中に小麦色の毛玉が見えた。
そこでギルベルトはそっと後ろ手にドアを閉めると、デスクに近づいて箱の中を覗き込む。
（う…あ……かっわいいじゃねえか）
大きさはだいたい人間の赤ん坊くらい。
頭と耳、そして尻尾は小麦色の毛におおわれているが、他は人の肌のようにうぶ毛が生えている程度だ。
もうはっきり言ってしまえば、人間の赤ん坊に長い垂れ耳と丸い尻尾が付いているように見える。
光色のまつ毛には涙の粒がキラキラと宿り、潤んだ淡いグリーンの目からはとめどもなく涙の雫が流れてふっくらとした薔薇色の頬を濡らしている。
可哀想で愛らしくて、慰めてやりたくて手を伸ばしたところで、うさりす…アーサーはギルベルトの存在に気付いたらしい。
きゅっ…と飛び上がって箱の隅に身を寄せてこちらを睨みつけた。
（あ～警戒されてんなぁ…）
と、内心思うものの、そこで引いてはいけない。
おそらく…おそらくだが、このうさりすは元々は人間が好きなのだろうし、愛情も欲しているのだろう。
そうでなければ返されたってその後ボールに入れなくなるなんてほどにショックを受けたりはしないんじゃないか。
ギルベルトはそう思って、うさりすと視線を合わせるように箱の前にしゃがみこむ。
なるべく怖がらせないよう、緊張させないよう…にこりと笑いかけた。
「俺様はギル。ギルベルト・バイルシュミット。新米トレーナーだ。
ローマの爺さんからな、お前を最初のパートナにって託してもらったんだ」
少しでも安心してもらおうと思ってしたその自己紹介は、しかし逆効果だったようだ。
トレーナーに見捨てられたと思って傷ついているこのポケモンは、再度自分を連れて行くと言うトレーナーに恐怖心と警戒心のようなものを募らせたように、全身の毛を逆立てて、きゅぅぅ！！と威嚇の声をあげる。
精いっぱい自分を守ろうとするその姿は、ギルベルトの目にはひどく哀れに見えて、悲しくなった。
「俺様は裏切らねえし、見捨てねえ。
お前のことは一生面倒見るつもりだし、お前の全てについて責任を持つつもりだ」
だから…信じてくれと伸ばした手。
それにうさりすは緊張が限界に達したようだ。
大きく目を見開いて、きゅぅ！！と小さく鳴くと、その周りに緑の葉っぱが現れ、それがギルベルトに向かってくる。
反射的に避けたが、その一枚が伸ばした手の指先をかすめて、薄く赤い血の筋を作った。
わずかな痛み。
それに小さく眉を寄せたギルベルトだが、それは彼よりも攻撃してきた当のうさりすの方に、よりダメージを与えたようである。
指先にほんの数ミリほど伸びた赤い線をまるでこの世の終わりのような絶望したような目で凝視している。
いきなりの攻撃に普通の子どもなら怯えるところなのだろうが、幼い頃から騎士団長の父親の元で騎士としての精神と技術を教えられて育ったギルベルトは、そのうさりすの心境を正確に読み取った。
「あ～、大丈夫だぞ？わかってる。
お前、反射的に技使っちまったけど、俺様の事傷つけるつもりじゃなかったんだよな。
大丈夫。たいした傷じゃねえよ。
舐めとけば治る程度だ」
それ以上追い詰めないようにと完全に動きを止めてそう言ってやると、うさりすはぽろりとまた涙をこぼして、伸ばされたまま止まっているギルベルトの手を見あげる。
そうしておずおずとそれに伸ばされる小さな手。
それに届くように少し手の位置を下げてやると、両手でギルベルトの手を引き寄せて、わずかに血のにじむ指先をピンク色の小さな舌でぺろぺろ舐めはじめた。
「お前…もしかしてちゃんと俺様の言葉がわかってんのか。賢いな」
舐めておけば治る…その言葉を理解しているかのような行動に目を丸くするギルベルト。
「人見知りするってことは、それだけ物をちゃんと考えてるって証拠だしな。
賢くて可愛くて…言葉までわかるって、お前最高の相方だよ。
最強でカッコいい俺様のパートナーにぴったりじゃん」
そう言って笑いかけると、その言葉もやっぱり理解しているかのように、信じて良いのか悪いのか、ギルベルトの真意を探るように、大きく丸い新緑色の目がおずおずと見あげてくる。
それに今度こそ安心させるように、
「さっきも言ったけど、俺様はギルな？
今日からずっと、死が2人を分かつまで？お前のパートナーだ。
これからは俺様がお前を守るし、お前の全部の責任は俺様が持つ。
だから安心して一緒についてきてくれ、アルトゥール」
と言って手を伸ばすと、うさりすは、きゅぃ…と、一声鳴いて、今度はギルベルトの腕の中におさまってくれた。
それを潰さないようにそっと抱きしめると、ふんわりと花の香りが鼻孔をくすぐる。
そんな風に良い匂いがするだけではなく、小さくてふわふわしていて温かくて可愛くて…愛おしさがギルベルトの心の中に広がった。
これが返却された事で人間不信に陥ってポケモンボールに入る事ができなくなったポケモン、アーサーと、ギルベルトの出会いである。
このあとローマ博士の心配をよそに、1人と一匹は最初の街、彼らが生まれ育ったヘタタウンを後にした事で、彼らの伝説は始まったのだった。
──完──
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