フェイクorノットフェイク、ソレが問題だ_初めての夫婦喧嘩

「あ~そういうのは好きじゃねえな」

と、それを口にしたのは軽い気持ちだった。


一緒に暮らし始めて1ヶ月と少しくらいたった頃のことである。

箱入りのお嫁さまはまだ普通の大人の嫁(だと本人は思っている)を模索しつつ、色々斜め上の方向に頑張っている。

だから、この2,3日すこしばかり忙しくて残業続きで帰った時、

『仕事と俺とどっちがだいじなんだ』

と、聞かれたのも、おそらくネットかどこかで普通の嫁はそう言うことを言うものという情報を拾ってきただけなのだろうということも、いい加減理解していた。

だから、本来はそういうたぐいのことを言うような輩は好きではないのだが、別に本人が本当にそう思っているわけではないことも重々承知しているので、腹がたつこともない。

そんなわけで深い意味があって言っているわけではないからと、軽い気持ちでよく考えずにそう返したら、嫁はピキンと固まった。

見る見る間に顔から血の気が失せていく。

人の顔色というのはこんなに変わるものなんだと、感心したのも一瞬。
その表情に不安を通り越して怯えと絶望を感じ取って、ギルベルトの方も顔色を変えた。

ごめっごめんなさっ……

青ざめた顔で泣きながら震えている嫁に慌てて駆け寄ると、

「悪いっ。別に責めてるわけじゃねえから。
おまえが何かでそんな情報を得てそういうもんかと思って口にしてるだけなのはわかってるから。
大丈夫。別に不快にも思ってねえし、怒ってもない。
単にそれも一部の人間だけでみんなが言うわけじゃないって伝えたかっただけなんだけど、俺様の言い方が悪かった。
ごめん。ごめんな?」

と、細い身体をだきしめるが、嫁はパニックをおこしているようで反応がない。


フランにアーサーの生い立ちを聞いて知っていたのにうかつだった、と、ギルベルトは自分の軽挙を後悔した。

思えばこんな状況で一緒になって、いままで怯えもせずに馴染んでくれた事自体が奇跡のような幸運だったのだ。
それを不用意な一言で台無しにしてしまった。

ギルベルトがなにをいくら言っても、アーサーの耳には届いていないようで、その夜は食事も摂らずただ怯えて泣きながら謝るばかりで、ギルベルトは途方にくれる。

部屋のすみ…というか、わずかに出来たソファと壁の隙間に身を隠すように丸くなって声も出さずに震えながらただ涙をこぼすその姿は、虐待されて人に馴れなくなった子猫のようで、ひどく胸が痛んだ。

ギルベルトが近づくとビクゥっと硬直するので近づくのもはばかられて、野生動物を懐かせようとしている人間のように、アーサーが好きな甘いお菓子やぬいぐるみなどを手に、少し距離を置きながら、なだめる。

どのくらいそうやっていただろうかいつしかしゃくりも小さくなって、アーサーはくたりと部屋のすみの壁にもたれかかるように眠ってしまったようだ。

アルト?」
と、声をかけても反応がないことに、その時ばかりはギルベルトもやや安堵して、それでもおそるおそるアーサーに近づいていく。

一歩一歩、ゆっくりと……

そうして手が届くくらいの距離まで来て、そっと手を伸ばしてソファの隙間から起こさないようにアーサーを引っ張り出した。

コテンと力なく胸元に預けられる小さな黄色い頭。
いつもなら可愛いな、と、思うのだが、今日はそこでまたぎょっとした。

熱い熱がある。

ハッとしてまず時計をみた。
21時半。

当然病院は閉まっている。

解熱剤あったよな……

などと考えながら、ほとんど条件反射で自分の寝室に運んで、アーサーの部屋からパジャマを持ってきて着替えさせ、戸棚から救急箱。
冷凍庫からだした氷を砕いて氷枕に。

ついでに薬を飲む前に胃にいれさせようと小さなクーラーボックスに保冷剤とプリンを入れて部屋に持ち込んだ。


本当に本当に今回はよく考えれば予測が全くできないというほどのことではなかったのかもしれないが、それでもギルベルトの小さなお嫁さまはいつでもギルベルトを驚かせる。

ごめんなぁ可哀想な事したよな

椅子の背もたれに顎を乗せ、額にのせた冷えピタに張り付いた汗で濡れた髪をはらってやる。

思えばアーサーが来てから、自分のことでイライラしたり滅入ったりすることがなくなっていた。

振り回されすぎて落ち込んでいる暇もない。




本当はギルベルトだって自分の境遇が不憫なことくらい気づいていた。
気づかないふりをしたって、どう考えたって不憫だ。

フランシスはとにかくとして、あの鈍感なアントーニョにすら同情されるくらいには……


存在を望まれていないそれは誰がどうみたって不憫なのだ。

でも落ち込んでどうなるものでもなし、意識したら余計に滅入りそうなので目をそむけ続けてきたわけなのだが、嫁をもらって初めてそんな努力が必要なくなっていることに気づく。

だって、少なくとも自分のお嫁さまは自分を必要としている。
こんな拒絶とも言えないくらいの小さな否定で泣きすぎて熱を出してしまうほどに。

可哀想ででも愛しくて相手が自分が生きていくのに必要不可欠な存在になっていることをギルベルトは思い知った。


この子と一緒に生きていこう。

そんな決意とともに翌日、嫁の看病のため会社を休む。

それに対してギルベルトの小さな嫁は、大切な仕事を休ませるなんてと号泣しながら謝ってきたが、それに対してギルベルトは言った。

「あのな昨日の答え。
仕事よりおまえが大事。

昨日好きじゃねえって言ったのは、よく試したりするためにそういう言葉を繰り返す女が多いから、そういう女は好きじゃねえし、真似する意味ないからな?ってこと。

でも真剣に答え聞きたいっていうことなら、仕事よりおまえの方が絶対に大事。

俺様、今の会社にいるのは向こうから請われてで、他のところからも来てくれないかって誘われる程度には人脈も能力もあるから。
俺様自身は会社やめたって全然痛くもかゆくもねえ。

でも嫁はおまえ1人だけだからな。
俺様にとって唯一手放さないで良いずっと一緒にいられる家族はおまえだけだから、そんなに怯えてくれんなよ。

俺は一生おまえと暮らしてくって決めてんだから、もうすこしそのあたり信じとけ」


どこまで通じたのかはわからないが、嫁はまた泣きつかれて眠ってしまって、今のうちに食事の準備でもと、立ち上がりかけたギルベルトは、立ち上がれないことにきづいた。

クン!となにかのひっかかりを感じて下を見ると、ギルベルトのシャツの裾を小さな手がしっかり握りしめている。

ちきしょう!アルト可愛すぎだろうよ

背もたれにつっぷすギルベルトは耳まで真っ赤になって悶え転がる。


これが喧嘩と言っていいやらわからないが、一緒に暮らして最初の夫婦喧嘩らしきものだ。

体調まで崩されてしまったのでギルベルト的には少しトラウマで、もともと年の差が大きいのもあって可愛がってはいたのだが、その後はさらに嫁に甘くなっていったのだった。



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