だから平気だと思っていたのだが、実はそんなことはなかったようだ。
今、ひさびさにひとりきりになって、すごく心細い。
特に父の妻であるというだけで実際は血がつながっていない正妻、義母は、最近は──やたらと少女趣味な服を着せたがるのは少しこまりものではあったが、それでも──実の息子以上にアーサーのことを慈しんでくれていたと思う。
2人の共通の趣味のティディベア。
今回、こうして8歳も年の違う顔も知らない同性の配偶者の元に送りつけられるにあたって、彼女は宝物だという大きなティディベアをアーサーに譲ってくれた。
それにすがるようにしっかりとかかえこんで、アーサーはその日すでに荷物は郵送で運び込んである配偶者の家へとはじめて足を踏み入れたのである。
車を降りてまずは受付に向かうと挨拶をして、言われていたとおり名を名乗り、部屋に案内してもらって鍵を開けてもらう。
アーサーが家に入ると受付の人は帰ってしまったので、そこからはどうしていいかわからない。
とりあえずずっと玄関にいるのもなんなので、ドアの鍵だけかけて廊下を奥へと進む。
廊下の左側にはおそらくバスとトイレ。
右側は収納になっていて、様々なジャンルの本がきちんと整理して並んでいる。
普段は閉じているのだろうが、今日はアーサーが来ることを見越して開けておいてくれたらしい。
『興味があるものがあれば、自由に読んでくれ』
と、開いたドアにメモが貼ってあった。
長兄が言っていたとおり、ずいぶんと気遣いのできる、しかもかなりきちんとした性格の人らしい。
そんな収納のある廊下を一旦は通り過ぎてさらに奥に進むとリビング。
リビングから右手にダイニングキッチン。
奥には部屋が2つ並んでいて、さらに左側に螺旋階段がある。
1人暮らしをしていたということだが、1人で住むにはずいぶんと広い家だなとアーサーは思った。
奥の部屋や螺旋階段の上も気になるが、他人様の家をあまり好き勝手にあるき回るのはよろしくないだろう。
アーサーはそう判断してリビングで相手の帰りを待つことにした。
リビングのローテーブルの上には例によって、キッチンにある冷蔵庫に飲み物や簡単な食べ物もあるから自由に飲み食いしてくれて構わないとメモがあるが、なんとなくそんな気分でもなく、アーサーはもらったティディを抱きしめながら床にしゃがみ込む。
本当に…なぜこんなことになったのだろうか…これから一体どうなるのだろうか…
そう思うと、心細さに涙が溢れてきた。
昔は幸せなことはなかったにしても、冷たい視線や言葉にじっと耐えていれば最低限、生きていくことはできた。
そう、自分が動かなければ良くなることはないにしても、状況が悪化することはなかったのだ。
本当にこれまではただ諦めていればよかった。
が、5年前のあの日から、諦めたら人生が終わる状況に陥っている。
最低限、無事に生き延びるために諦めていないで動かなければならない。
しかもそれだけではない。
悪いことだけではなく、向けられる善意にも心が揺れる。
嬉しいことは嬉しいが、一度向けられる善意を知ってしまったら、それを失くす事がひどく恐ろしく感じられるようにもなった。
兄が苦労して探してきてくれた避難先で粗相をして、がっかりさせたくない。
最悪ここを追い出されるなんてことになって、兄にまた手間暇をかけさせたくはない。
最近は事情が事情なだけに色々してはくれているが、あまりに面倒をかけたら、さすがに嫌になられるかも知れない。
それは絶対に避けたい。
しかしそれでは気に入られるようにとするならば、どうしたら良いのだろうか…。
この話が決まってからずっとそれを考えている。
正直、何不自由していない成人男性が配偶者に求めるであろうようなものを、自分はなにも持っていない気がアーサーはしていた。
だってまず美女じゃない。
これは重要だろう。
まあ相手はそこは理解しているというか、血筋を残さないためということで同性をという希望だったそうだから、問題はないと言えばないのかもしれないが、わかりやすく普通求められるという点で言えば、一つかけているのは間違いがない。
次に料理。
これは絶望的といっていい。
以前、自宅に居た頃にいつかはここを追い出されるかもなどと思って、家事くらいは出来たほうがとキッチンを使わせてもらったのだが、鍋を爆発させて、キッチンを煤だらけにまでして出来たものは、とても食べられたものじゃない謎の物体で、一度でお出入り禁止になった。
どうすればいいのだろう。
どうすれば好かれるのだろう。
今まで好意というものに縁遠すぎて、本当にわからない。
嫌われるのは簡単なのに好かれるのはこんなに難しい…でも…どんな犠牲を払っても好かれなければ……
自信がなさすぎて不安でいっぱいになって、アーサーはティディベアに顔をうずめた。
相手が帰ってくるまでに答えを出さなければ…と思いつつ、このところよく眠れていなかったのもあって、眠ってしまったらしい。
気づけばどこからかいい匂い。
そして
「…お~い、飯食わないか?」
と、かけられる言葉に驚いて目を開けると、目の前には驚くほどきれいな顔をした男。
もうダメだっ!!
と、アーサーは青くなった。
あろうことか、他人様の家でのんきに眠り呆けてしまったらしい。
これで全てが…長兄があれだけ苦労して整えてくれた緊急避難先が一瞬で台無しになった…。
申し訳無さと不安と絶望感で、アーサーは本当にいますぐ消えてしまいたくなった。
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