俺たちに明日は…ある?── 明知光秀


「アーサー様!一体何をしておいでなのですかっ?!」

最初は日々あまりに気にしすぎていたために見た幻かと思った。

少年の生母は天皇の妹。つまり皇室とは縁続き。

いくら数年前にその生母が亡くなって側室が幅をきかせているとは言っても、まぎれもなく天皇家の剣術指南役の家柄の唯一の嫡出子。

仮にも名門貴族の跡取りが街中を荷物を持って歩いているなど、ありえない話だ。


自分は祖母がその乳母をしていたため、アーサーが生まれた時にはさらに自分の母親がアーサーの乳母をしていたという、2代続きの乳母の家系で、自分とアーサーの母親が乳兄弟なら、自分とアーサーも乳兄弟という間柄である。
皇女の乳母をするくらいなので、祖母も平民というわけではなく、母も自分も当然ある程度の身分はある。
とはいえ、そんな名門の若様と比べればさすがに身分違いなので、親しくするとまではいかないが、親の縁もあって姿を垣間見たり、話をしたりした事もあった。

それが1年と少し前、何故かはわからないがどこぞの武家の預かりになった事は聞いた。
それが自分の主君ローマ・カエサルの計らいだったことも。

てっきり剣術の幅を広めるためにそれなりに名の通った武家の元で剣術の修行をしていると思っていたのだが、何故こんな下男のような事をさせられているのだ?!
 

ここ数ヶ月行方がわからなくなっていて、事情を知っているであろうローマには何度かその行方を問いただしてはみたものの、

「宮中よりはよほどあれが幸せになれる場所に置くことにした」
という返事が返ってくるだけだった。

最後に姿をみたのは、数年も前だったが、真っ白な肌に小麦色の髪、そして澄んだ大きなグリーンの瞳の、少女のように愛らしい少年だった。

それからは会えなくともいつもいつもいつも気にかけていたのだ。
見間違うはずがない。

「え…?」
振り向きざまに聞こえるその少年にしてはやや高めの澄んだ声も、確かに若のものだ。

「あ…光…秀?」
「やはりアーサー様でしたかっ!」
光秀が駆け寄る。

アーサーを呼ぶ声に警戒の色を見せて刀に手をかけていた隣の護衛らしき男が

「知り合いか?」
と、きく。

「ああ。乳母の息子…で、たまに宮中まで乳母に会いにきてた」

護衛にしては皇族の血すらひく名門貴族の若様に対して無礼な口のきき方だ…光秀は若干むっとしながらも、相手を観察した。

まあ…確かに腕はたつらしい。立ち振る舞いに隙がない。
こちらの身分がわかって幾分殺気が薄らいだが
こちらが危害を加えるようなら、即切り捨てる気なのが伝わってくる。

相手が本気でこちらを切る気になったとしたら、自分も剣にはかなり自信を持ってはいるが、勝てるかどうかは自信がない。
護衛として最低限の条件は持ち合わせている、とは思う。

ローマの配下だろうか…

「明知光秀と申す。して…貴公は?」
光秀が名乗ると、相手の殺気が消えた。剣にかけた手を下ろす。

「そうか…貴公が明知殿か。
失礼した。オレはフランシス・ボヌフォワの配下、ギルベルト・バイルシュミットだ。
ご高名はかねがね伺っている。お目にかかれて光栄だ」

「貴公が…稀代の天才軍師と呼ばれるバイルシュミット殿か。
いや、こちらこそお目にかかれて光栄だ」

言われてみれば…単なる武士にしては知性と品位が備わっている気がする。
そうか彼の下で学ぶために若をボヌフォワ軍に預けたのかと、光秀は若干胸をなでおろした。

「して、カークランドの若君ともあろうお方がこんな所でいったい何を?」

光秀が聞くと、アーサーは

「近々京を離れるから、買い物がてら散歩をっ」
と楽しげな笑顔を見せる。

楽しそうだ…下々の街を歩くのは物珍しいのだろう。
実母亡き後、冷たい宮中で窮屈そうな様子を見せていた頃の事を思い出して、光秀は微笑ましく思った。

確かに幸せらしい。
ローマ軍一の武将を護衛に気晴らしをとは、大殿も粋な計らいをする。と、さきほどまでの不信感が一気に吹き飛んだ。

「京を離れられるとは、物見遊山でも?」

家を継いでしまえば身分の高い貴族が遠出をできる機会など一生に一度あるかないかの大イベントだ。浮かれるのも無理はない。
光秀の問いに、アーサーはふるふると頭を横に振る。

「いや?王路のお城に移るから」

「え…?」
光秀が固まる。

「実は!」
アーサーを制してギルベルトが口を開いた。

「現在我が軍の礼儀指南役として、若君を大殿からお預かりしているのだ」

「ボヌフォワ殿の軍が王路を拠点に中国遠征されると言うのは聞いているが…アーサー様をそこまで同行をさせるのはいかがかと…」
ギルベルトの話でようやく合点がいったらしい光秀が眉をしかめる。

光秀はアーサーを敬愛しているらしい。
そうとすれば、そう思うのは当然の事だ…とギルベルトは内心あせる。
どう話を持っていくか…下手をすればローマへの不信感を与えかねない。

「王路はな、魚が新鮮で美味しいらしいぞっ」
大人二人が内心深刻になっている中、アーサーは満面の笑み。上機嫌で口を開いた。

ぽか~んとする光秀。

「実は…都に心を残す事はないのかとお聞きはしたのだが…」

たぶん幼馴染程度の認識の人間を前にしている気楽さでアーサーが気軽に並べる言葉にほっとしてギルベルトはそれにのる事にした。
ギルベルトの言葉に、アーサーはやはり深くも考えずに続ける。

「美味い魚に目の前には広々とした海!宮中でクサクサしてるより絶対に楽しそうだろっ」

幸せそうだ…しかし…

「一応王路に身をおけば色々不便もあろうと、気晴らしがてら欲しい物をと、街にお連れした。」
ギルベルトの言葉に光秀は悩む。

「大切には…されているのだろうな?」
「もちろんだっ!書も読み放題。剣術の相手も戦略を学ぶ相手もいて、飯も美味い!」
光秀の言葉に即答するアーサー。

「安心されよ。最前線の城とは言えど、何かあればこのギルベルトが一命に代えてもお守りする所存」

連戦連勝の天才軍師が守るというのだ…よほど自信があるのだろう。
光秀は内心ひっかかるものはぬぐえないものの、しかし自分を無理やり納得させた。

アーサーは確かに生き生きと幸せそうな表情をしているのだ。それ以上何を望む。

「アーサー様、くれぐれもお気をつけて。
もし京にお戻りになられたい時はご一報いただければ、光秀が必ずやお連れに伺いますので」

光秀の言葉に
「ありがとうなっ!」
とやはり笑顔のアーサー。

「光秀も達者でなっ」
とにっこり言われるにいたって、光秀はもう何も言う言葉が出なくなった。

「はっ!それではごめん」

買い物を楽しむアーサーの邪魔をしない、それが今の自分に唯一できる事。
光秀は頭をさげると、京の雑踏の中に消えていった。



「ふ~…」

光秀の姿が消えた瞬間、ギルベルトは大きく息をついた。

あれで…納得してくれればいいが…一抹の不安が脳裏をよぎる。
一応自分達がいなくなった後は、光秀がローマの護衛をするのだ。そこで不協和音が起きるのは非常にまずい。

やはり、一応報告しておくか…
買い物を終え荷物と共にアーサーを館に帰らせた後、ギルベルトは再び馬にまたがった。



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