俺たちに明日は…ある?── 軍師達の休日

「おかえりなさいませ。」
数日後、無事京都のボヌフォワ邸の門をくぐると、笑顔のリヒテンの出迎えを受ける。
それぞれに馬を降り、散っていくなか、アーサーはリヒテンに駆け寄った。

「リヒテン~!ただいま!」
そのままリヒテンにぎゅ~っと抱きつく。

「ん~、京の匂いがする~」
頭一つ低いリヒテンの髪に顔を埋め、芳しい香の香りを思い切り吸い込むと、アーサーはつぶやいた。

「リヒテンの匂い、ほっとするな~」
しみじみと言うアーサーに真っ赤になるリヒテン。

「アーサー様、少しお力をゆるめて下さいませ。苦しゅうございます」
と腕の中でモゴモゴ言う。

「あ、悪い。」
アーサーは慌ててリヒテンを放した。


「ご膳を用意してございますが、召し上がっていただけますか?」
というリヒテンの言葉にアーサーは歓声を上げる。

「食う!戦に出立して以来、ロクな物食ってないんだ!」
そしてリヒテンとじゃれるように連れ立って離れに帰っていく。

その様子をフランシスはほっとしたように見ていた。
「帰る場所があるということは良い事だねぇ…」
と、隣にまだ控えている菊にしみじみとつぶやく。

アーサーにとって日常と戦場の切り替えスイッチはどうやらリヒテンらしい。
戦に出て以来、アーサーはあまりに気を詰めていたような気がしていたが、すっかり元に戻っている。
あまりにつらい扱いにこのままでは潰れるかと心配もしたが、そこで息をつける場所があったんだね、と安堵する。

そういえばギルベルトもリヒテン相手に息抜きをしていたような事を言っていたか。
リヒテンには人一倍緊張を強いられる人種の緊張をほぐす何かがあるのか。

「うちの軍師二人の生命線か…何をおいても守らないとねぇ…」
フランシスは二人の大事な家臣の顔を交互に思い浮かべながら、遠ざかるリヒテンの後ろ姿を見送った。


「旨い!やっぱりリヒテンの作る食事は旨いな~」
もう何杯目かのポトフをすっかり平らげて、アーサーは満足げに笑みを浮かべた。

「お口にあってようございました」
リヒテンはいつものように微笑んで食後の紅茶をアーサーの前に置く。


生きて帰ってきたんだ…実感するアーサー。

戦が始まってから戻るまで、ずっと緊張しすぎで頭に靄がかかっているようだった。
リヒテンの姿を見て、リヒテンの香水の匂いをかいで、リヒテンの作った食事を食べて、ようやく靄がはれて、色々な物が見えてくるようになった。


「戦に実際行ってみて…」

リヒテンは何も聞いてこない。
ただにこやかにその場にいてくれる。
それがとても心休まった。

凄惨な戦の様子をリヒテンに聞かせる事はやはりためらわれたが、何か気を使わないで良い相手に話をしたかった。

「ギルベルトの大変さが身にしみて分かった」

アーサーの言葉にリヒテンが少し小首をかしげる。

「なんも考えずに特攻する大将のお守りは本当に気を張るし、大変だった」
アーサーは差しさわりのない部分で伝えようと考え考え言葉を続けた。

「うちの軍は大将があれし、みんな防御とか何かあった時の備えとか考えてないからな…その勢いをそがないようにしつつも、暴走させないように、と思うとすごい神経使う。
それをずっと続けてるギルベルトはすごいと思う。俺は今回1戦だけでボロボロになった」

ボロボロになった、その言葉を言える相手がいるだけで、気が少し休まる。

ああ、そう言えばギルベルトも決戦前夜に──本音が言える相手がいるとホッとする──というような事を言っていたな
ギルベルトは…今まで、そして今も一人で抱え込んでいるんだろうか…

ふとそんな事を考えて、アーサーははっとした。


「そういえばリヒテン、ギルベルトの所に行かないで良いのか?」

一応リヒテンは所属はギルベルトの下であるはずだ。
アーサーの言葉にリヒテンは軽く首を横に振ってにっこりした。

「ギルベルト様は戦から帰っていらした日は自分は色々事後処理もあるので、恐らく疲れて戻って来られるであろうアーサー様のお世話をするように、と、戦に向かわれる前日に…」
言われてアーサーは下を向いた。

「アーサー様?」

そういえば戦が終わった後もギルベルトには一方的に気を使わせるばかりだった。
一番大変で一番疲れているはずなのに…胃痛で眠れないくらい気を張っているのに出発前日からリヒテンに対してだけじゃなく、自分の事も気にかけてたのか…

なのに自分はギルベルトに並ぶどころか、今の今まで自分の事で手一杯で、他の者の事など気にかける余裕すら持っていなかった。

「リヒテン!」
「はい?」
気遣わしげにアーサーの顔を覗き込むリヒテンに、アーサーは言った。

「今からすぐギルベルトのところに行け。忙しくても食事を取る時間くらい作れるだろうし…何か言ってきたら、俺のせいにしていい。
どうせ飯も取らずにいるんだろうから、もって行けって俺が言ったって言っておけ」

少し悩むリヒテンを見て、アーサーは
「俺もちょっとヒゲの様子見てくる。一応あれの直属の配下扱いになってるしな」
と続けて立ち上がった。



その頃のギルベルトの私室

行き帰りを含めて5日弱、部屋は毎日きちんと空気を入れ替え、掃除をされていたふしがある。

シン…と静まり返っているのは当たり前の事なのだが、それに妙な違和感を抱く自分がいることをギルベルトは感じていた。

いつものように甲冑を脱ぎ、剣を置き、水を浴びてさっぱりした所で、洗濯を終え綺麗にたたまれていた服に袖を通す。

「寒いな…」

一人の部屋で誰に聞かせるともなく、つぶやいた。

恐らく夜には戦勝祝いの宴、翌日には戦勝報告のためにローマの城に向かうフランシスに随行しなければならない。
それまでのわずかな自分の時間をどう使うか…

通常は鍛錬か兵法書に目を通すかなのだが、戦で疲れきっている今は、さすがにどちらもする気にはならない。
恐らく徹夜になるであろう宴のために睡眠でもとっておきたいところだが、気が高ぶりすぎていて、眠れそうにない。

仕方ない。
剣の手入れでもするか、と、立ち上がった時、庭先に人影を認めて声をかけた。

「リヒテン、何してんだ?」
「あ、ギルベルト様…」
布巾のかかった盆を手に、リヒテンが庭の門から入ってくる。

「アーサーはどうした?」
「食事を召し上がった後、フランシスさんの様子を見てくるとおっしゃって、お出かけになられました。
それで…わたくしにはギルベルト様に何か召し上がる物を持っていくようにと…」


(逆に気を使われたか…)

と、心の中で苦笑。

アーサーにしてもリヒテンにしても、子どもなのにずいぶんと周りをよく見て気にしていることに感心する。

ローマが懐刀というだけはある。
おそらくローマ直々に色々教え込んだというのもあるが、元々の育ちからして違うのだろう。

アーサーは帝の剣術指南役の家の跡取りとして生まれ育ったと聞いているので、なるほど、幼い頃から子どもとして育てられていないのだなと納得したのだが、そう言えばリヒテンの身元は聞いたことがない。

ふとそんなことに気づいて、

「ローマとは…付き合いは長いのか?」
と聞いてみると、

「そうでございますねぇ…ローマ様が初めて御所においでになった頃からですから、4年…になりますかしら。確かお兄様にご挨拶にいらした時ですね、初めてお会いしたのは」

と、返ってきて、

ローマが…御所で挨拶する相手…まさか??!!

と、多少の事で動じないギルベルトも、想像してさすがに青くなった。


「御所で大殿が挨拶する”お兄様”って…東宮…とか言わないよな?」
恐る恐る口にする。

しかしリヒテンは
「左様でございます。わたくしとは腹違いではございますが」
と、あっさり認めた。

「そうとすれば…リヒテンは内親王…という事になるが…?」
「一応そういう事にはなりますねぇ」
たいしたことでもないように言うリヒテンに、ギルベルトは息を飲んだ。

「あ、でも今上(今の帝)には男子が7人、女子はわたくしを含めて12人おりますし、わたくしの母は普通の人なので…わたくしは普通の娘です」

いや、父親がすでに普通じゃないだろ…と心の中でつっこむギルベルト。


「今上の娘だと…ギルベルト様はわたくしをお厭いになりますか?」
不意にリヒテンの声のトーンが下がる。
しゅん、と肩を落とした。

「わりぃ!少し驚いただけだ。別にそれでリヒテンを嫌うってことはねえ!」

「良かった。わたくしにはここの他に帰る場所はございませんし…」
ホッとしたような笑みを浮かべてリヒテンは話始めた。

リヒテンの母は身分の低い女性だった。今上にはすでに身分の高い正妻や多くの側室があり、その間に多くの男子女子をもうけている。

それでも今上の娘であるリヒテンは、リヒテンが生まれてまもなく生母が亡くなったため、宮中で暮らしていた。

もちろん生活に関してはなに不自由なく、ただ、多くの親王、内親王がいる中、特に誰にも気にされない、そんな環境で暮らしていた。

リヒテンが11歳になった頃だったか。
宮中に武士とやらが訪ねて来ているらしいと女房達が話しているのを聞いた。

武士という人種がいるのは話には知っていた。
見てみたい…と思ったのは、大人しい見かけと裏腹に意外に好奇心の強いリヒテンのほんの気紛れだった。

半ば物珍しい動物を見る感覚で、おつきの女房の目を盗んで部屋で兄を待つローマという男を庭の木の影からこっそり覗いてみた。

面白い格好をしている…と凝視する。

ところが気づかれていたらしい。まともに目があう。
手招きをされた。

高貴な身分の娘が御簾ごしでもなく、知らない者と対峙するなどとんでもない事なのだが…誰かが自分に興味を持っている。
それが何故か嬉しくて、周りに人がいない事を確認して部屋にすべりこむ。

「差し上げよう」
男が懐から出したのは小指の先ほどの色とりどりの可愛らしい丸っぽい塊。
「なんでございますか?」
と聞くリヒテンに
「口にしてみな」
とだけ言う。

リヒテンはそれを一つつまみ、ぽいっと口に入れてみる。
「甘い…」
にこぉっと笑みがこぼれるのをローマは満足げに見守った。

「俺はこれより京に居をかまえるローマと申す。
姫君の御名を伺っても差し支えないかな?」
「リヒテンシュタイン。」

何故あっさり教えてしまったのかはわからない。
ともあれ、これがローマとの出会いだった。



その日はメイドが戻ってくる気配を感じてあわててそのまま部屋に戻った。
しかし翌日から折りにつけてローマから何かと珍しい贈り物が届くようになった。

何故リヒテンになのか、周りは最初は疑問を持ったものの、リヒテン自身それほど興味をもたれる立場でもなかったので、田舎の変わり者のきまぐれだろう、とそのうち誰も気にとめなくなった。

リヒテン本人以外は…



次にローマに会ったのは3年後。

ローマは宮中にも普通に出入りできるほどの大大名になっていた。
挨拶にきたというローマと対面する。

メイドを下がらせて二人で話す、それができるほどローマの宮中での影響力は大きくなっていた。

メイドが退出すると、ローマは3年前のようにリヒテンに手招きをした。
リヒテンはためらいもなく御簾から出てローマの前に姿を現す。

「大きくなられたな、リヒテン姫」
と言いつつ、懐から3年前と同じ菓子を出し、リヒテンに差し出す。

「ずっと聞きたかったのです、これはなんという物です?」
それを一つつまんで聞くリヒテンに

「おお、言ってなかったか…。金平糖と言う菓子だ」

「面白い名前でございますね」
リヒテンは金平糖を口にして、また
「甘い」
と微笑んだ。

「いいねぇ、その微笑だ」
それを見てローマは手を打った。

「この3年間その微笑を夢見ていた。
姫宮のその微笑は見る者にやすらぎを与え、幸せにする微笑だ」

「そのような事…誰も申しませぬ。誰もわたくしなど必要とは致しませぬゆえ…」
ローマの言葉にさっと顔を赤くしてうつむくリヒテン。

「幸も不幸も感じぬ公家連中にはわからんのだろうな。私達のように常に生と死のはざまに生きる者にとっては、時にその微笑が己をぎりぎりのところで生の側にとどめる励みになる」

自分が誰かの励みになる、そんな事を言われたのは初めてだった。
常に誰にも気にされず、ましてや必要とされることなど一生ないものだと思っていた。

「時に姫宮は貴族以外の者は取るに足りないとお厭いか?」
突然のローマの問いにリヒテンは戸惑う。

「正直に言って結構」
と、さらにうながすローマの言葉に少し考え込む。

「外の世界を存じませんし…ただ、少なくともローマ様の事は取るに足らない者と思ってはおりません。貴族の血を引いていてもわたくしが他の者より優れているとも到底思えませんし…」

下を向くリヒテンに、ローマは首を振った。

「いやいや、この世に姫宮に代わる者はおらん。それはこのローマが保証しよう。
実は今回は姫宮に無茶なお願いをしに参った」

「…わたくしに?」
リヒテンが不思議に思って首をかしげると、ローマは大きくうなづいた。

「本当は私の側にいて欲しいと言いたいところではあるが…実は私はいずれこの日の国を一つにしたいと願っている。
そのために欠かせない人材がおるのだが…これが休む事を知らぬ男でこのままではいづれ、潰れるだろうと思われる。ゆえにぜひこの男の側でこの男を助けてやって頂きたい。
恐れ多くも内親王様にあまりに無理な願いとは思う。
だが、国家統一のためには絶対に欠かせない人物なのだ。このローマ、この通り、伏してお願いする」
ローマは言って、深く頭を下げた。

「それまでは誰にも必要とされた事はございませんでしたし…
そこまで熱心に言っていただけるのが嬉しくて…この身が少しでもお役に立てるなら、と。
さすがに御所では無理なので、右大臣家に身をおいて、それから1年色々学んで参りました」
リヒテンはそう締めくくった。

ローマが自分のために頭を下げた、というのにも驚いたが、それだけの事でそのようなやんごとない身分の文字通りの姫がこんな所でこんな事をしているのにはさらに驚いた。

ギルベルトがそれを口にすると、リヒテンはにっこりとギルベルトを見上げた。

「申しました通りリヒテンは生母の身分が高くございませぬので…宮中ではそれほど重要な身でもございません。お気になさらないで下さいませ」

「あの親父もたまには良いことしてくんだな…」

もしローマがいなければリヒテンやアーサーの顔を見る事も声を聞く事すらありえなかったのだ。

ギルベルトのつぶやきに、リヒテンは小さく笑った。

「ギルベルト様はローマ様がお好きではありませぬか?」
「好き嫌いじゃなくて…煩わしいというか…勧誘がしつこい」

もうその一言につきる、とギルベルトは言い放つ。

暇さえあれば直参になれ直参になれと何かの一つ覚えのように、それこそフランシスがいようと平気で言ってくる。
これだけ断り続けているのだから、いい加減あきらめろと思うのだが、もう挨拶代わりのように勧誘の言葉を繰り返すのだ。

「アーサーもだが、リヒテンもよくあんな無茶なオヤジの勧誘で口説かれたな。
それとも女相手だと違うのか…」

ギルベルトの言葉に

「確かにこちらへ伺ったのはローマ様のお誘いではございますが…」
と、リヒテンは口をひらく。

「ギルベルト様やアーサー様、フランシスさんやボヌフォワ軍の皆さんと一緒にいるのは宮中にいるよりずっと楽しいです」
リヒテンはにっこりと無邪気な笑みを浮かべた。



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