とある白姫の誕生秘話──給料の3カ月分と言わずとも2

「さあ、何があったんです?」

と本田が興味津々に身を乗り出しつつ訊ねたら、あろうことか、いつも自信に満ちあふれて何があっても動じることなく冷静だと思っていた優秀すぎる部下が、まるで思春期の男子学生のように白い顔を真っ赤に染めて俯いた。

(え?えええ???!!!)

あやうく叫びだしそうになった。

「…ギルベルト君がそんな顔するとは思いませんでしたよ。
なんでも余裕顔でこなされますし…」

と、驚きを口にすれば、ギルベルトは片手で口元を覆って

「…俺様だって色々想定外なんだよっ」
と、拗ねたように言う。


こうなるとますます好奇心をそそられる。

「お姫さんて…アリアさんの事じゃないんですか?
彼女と何かあったんですか?」

と、朝の会話を思いだして訊ねてみれば、ギルベルトは視線だけ本田に向けて、思い詰めたような顔で言い放った。

──お姫さんな…ばあさんじゃなかった…



「はあ??」

さすがにわけがわからない。

「どういう意味です?」
とさらに訊ねれば、ギルベルトはとうとう両手で顔を覆って、

「ありえねえレベルのすっげえ美少女だった…」
と、声を低くして続けた。

「え?????」
「お姫さん、本当にお姫さんだった。マジ天使だったっ!!」
「はああぁ???お会いになったんですか???!!!」


本田の驚きももっともだとギルベルトも思う。
自分だって驚いたのだ。
でもあれは確かに“お姫さん”だった…



その日は弟のため息から始まった。

一昨年の秋、とても欲しい人材を見つけて内定を出した。
そして猛プッシュをしておいたおかげで、社内では無事、その人材を自分の部署に配属する事を認められて安堵する。

しかし、そこで新たに沸き上がる不安。
早すぎる内定にもし途中で気が変わって辞退してきたらどうしようか…

もうこればかりは仕方ないとやきもきしながら、無事1年半弱経って3月になり、いくらなんでもここに来て内定辞退はないだろうと今度こそようやくホッとする日々。


今回の新人は自分の手元で育てようと思っているので、入社してしばらくはおそらく落ちつかない日々になるだろうと思う。

だから今のうちにゆっくり飼い犬と遊ぼうと、久々に実家に戻って来た。


ギルベルトが社会人になって実家を出て1人暮らしを始めてから早7年経つが、時折りこうやって顔を出す事もあり、犬達はきちんと家族だと認識してくれているらしい。

ギルベルトが門をくぐってドアの前に立っただけで、ドアの向こうから嬉しそうな鳴き声が聞こえて、思わず笑みがもれた。

「ただいま、アスター、ブラッキー、ベルリッツ!
元気にしてたか~~!!!」

ドアを開けて中に入ると並んでお出迎えをしてくれる犬達の頭を撫でながら、3匹を引きつれてリビングへと向かうと、今では自分より大きなムキムキに育ちはしたもののやっぱり可愛い弟が、深刻な顔でため息をついていた。

「ああ、兄さん、帰って来たのか。おかえり」
と、作る笑みは疲労でぎこちない。

今日自分が帰宅する事は弟には言っていなかったし、おそらく原因は自分のことではないのだろう。
そう検討をつけて、ギルベルトはソファに座る弟の頭を幼い頃からそうしたように、変わらずくしゃりと撫でて言った。

「おう。ただいま。
で?俺様の可愛い弟はなんでそんなしけた面してんだよ。
お兄様に話したくなったりとかはしねえか?」

と、顔を覗き込んでやれば、何かに耐えるように自分を見あげてくるその顔に浮かぶ表情は、子どもの頃と変わらない。

自分ではどうにもできない時の表情だ。
だから言ってやる。

「俺様はお前の兄貴だ。
ずっとそれは変わらねえし、だからこそお前が何か間違っている事があれば正すけどな、何があってもお前の味方だし、お前のためにならねえ事はしねえって思ってる」

敢えて話せとは言わない。
ただ自分の気持ちだけ伝えてやると、弟はどこかほっとしたような顔でため息とともに言葉を吐きだした。

──好きな奴がいる……
と、言う言葉は、その暗い表情からすると意外ではあった。

「ほ~。可愛い子か?」

非常に不器用で真面目で…思い詰めやすい弟だ。
なるべく話しやすいように話しやすい話題を振ってやると、弟は重々しく頷きながら

「ああ…とても可愛い」
と、言って、少し顔を赤らめる。


うん、俺様からしたらそんなお前も可愛いけどな…と、これは言ったら話が進まなくなるので心の中に留め、

「それで?それを伝えたのか?」
と、さらに促してやると、弟は小さく首を横に振った。

「いや…伝えてはいない…というか…伝える気はない」
「…そうか。何か理由が?」

自分もそう恋愛経験があるわけではないが、おそらく自分以上に経験のない弟だ。
もしかして伝え方がわからないだけかも…と思いつつも、あまり周りが言いすぎるのも宜しくないので淡々と聞くと、ルートは少し言いにくそうに口ごもった。

言いたくないわけではないらしい。
言いたいけれど言いにくい…そんな弟の表情も、長年兄をやっているギルベルトには手に取るようにわかってしまう。

だから
「彼氏がいる…とかか?」
と、二択で答えられる質問を投げてやると、ルートはまた首を横に振り、一瞬躊躇するが結局口を開いた。

「…いや…実は……男なんだ」
「…おとこ……」

地味に驚いた。

基本的には気真面目な兄弟ではあるが、好奇心が強く色々なものに手を出す分、若干柔軟な兄と違って、弟はどこまでも堅物で保守的だ。

そんな弟がおそらく初めてくらいに恋情を感じる相手として意識したのが男というのは、あまりに意外な事実だった。

ただそんな風に驚いて一瞬固まったのは失敗だったらしい。
弟の表情が言って悪かったか…と、やや心配そうなものに変わる。

だからギルベルトは即言ったのだ。

「あ~、まあ、男でも女でもどっちでもさ、お前に好きな奴が出来たってのは良い事だ。
でもうちの家的にはさ、むしろ男の方が平和じゃね?
親父、女苦手だしな。
お前が好きになった奴なら女でも歓迎はすると思うけど」



そう、ギルベルト達の保護者のフリッツはどちらかと言うと女性が苦手だ。

じゃあ何故ギルベルト達がいるかというと、実はギルベルトとルートの兄弟はフリッツの子ではなく、彼の姉の子ども、つまり甥っ子なのだ。
兄弟の実の両親はギルベルトが小学校へあがる年に亡くなっていて、姉弟仲は良かったフリッツがギルベルト達を引き取って育ててくれたのである。

そんな男3人の家庭で育って来た兄弟は自然と女性に縁遠い。
自分がそうであるように、縁遠かった分、女性に夢を見すぎて恋人の1人もいないのかと思っていたのだが、よくよく聞けば、なんと小学校からの片思いというからすごい。

我が弟ながら一途だなと感心する。


弟の話によるとロズプリの名門の家の子で、愛らしく優しい子だったので、やんちゃ盛りの小学生の男子には随分嫌がらせをされていたらしいが、決してやり返すことなく、見かねて守ってやっているうちに親しくなって惹かれていったらしい。

「…こいつをずっと守ってやりたい…そう思ったのだ」
と、語る弟。

なるほど。そういう事ならなんとなくわかる。

ギルベルト自身も庇護欲と愛情が直結しているところがある。
今のお姫さんとの関係など、まさにそれだ。

最初は義務感というか、正義感のようなもので手を差し伸べているうちに、相手の一生懸命さとか健気さとかを見てしまって、はまってしまった。

弟もおそらくそんな感じなのだろう。

「俺の感情はだんだん恋情になってきたのだが、あいつは友人だと思っているだろうし、俺がきまずいだけなら良いのだが、それでなくとも家の事、兄の事、諸々で大変なのだろうあいつに気を使わせたくはない。
何でも言えて何でも頼める唯一の友人という立場の人間をなくさせたくはないのだ」

だから言わない、言えないという弟の気持ちがわかりすぎて、それ以上何も言えず、それならせめて気晴らしでも…と、

「そっか。
それじゃ、まあ、久々に帰ってきたお兄様につきあう時間くらいはあるよな?
俺様、新しいトレーニングウェアみてえんだ。
飯食いがてら見にいって、帰りに今晩の飯の買い物しようぜ。
久々に親父の飯食いてえし」
と、誘うと、

「兄さん…そこは買い物に行く自分が作るところじゃないのか?」
と、ようやく弟の顔に苦笑ではあるが笑みが浮かぶ。

ギルベルトはそれにややホッとしつつも

「俺様だってたまにゃあ親父に甘えてえんだよ。
自炊は飽きた」
と、拗ねたように言いつつも笑みを浮かべた。

こうして、やれやれと呆れた風を装いながらも思い腰をあげた弟と2人、久々に兄弟連れだって、ギルベルトは街へと繰り出したのである。



Before <<<      >>> Next (2月8日0時公開予定)




0 件のコメント :

コメントを投稿