寝てるだろうと合鍵を使ってそ~っと中へ入ると、なずなは寝ているどころかエプロンをつけて甲斐甲斐しく料理などしている。
「お前...寝てろって言っただろうが」
大きく息をつくひのきに
「...だって...テイクアウトだと温かい物なくて寂しいかなと...お味噌汁を...ね」
と、お盆を抱きしめて上目遣いにオズオズと言うなずなは、はっきり言って可愛い。
「お前なぁ...俺を誰だと思ってるんだ。
なずな抱えてたって食堂からここまでなんて一瞬で来れるんだぞ。
食事なんか余裕で冷める前に持ってこれる」
「ごめんね、でも作っちゃったから...ね」
にっこりとそれはそれは愛らしい笑顔を浮かべてキッチンへ戻っていく彼女。
「食ったら洗い物は俺がするから、絶対に寝ろよっ」
とひのきはその後ろ姿に声をかけた。
「プチトマト美味しっ♪」
二人して並んでテイクアウトした弁当を開くと、真っ先にサラダの上に乗っているその赤い固まりを嬉しそうに頬張るなずな。
食べる量が絶望的に少ないのと食べる物がおよそ身にならない物ばかりなのを抜かせば、とても楽しそうに食事をするなずなを見ているのは楽しい。
「お前なぁ...もう少し身になりそうな物食えよ」
とは言うものの、そのあまりに可愛い様子についつい自分の所のトマトもなずなの可愛い口に放り込んでしまうひのき。
「ありがと~、じゃ、タカにはね、お礼にこれあげる~♪」
とサラダ以外のおかずを丸ごと渡そうとするなずなに
「お前それはだめ!一口ずつでも良いから食え!残ったら食ってやるから」
と気分はまるで親。
「え~ん、やっぱりだめかぁ…」
としょげかえる様子もやっぱり可愛いと思うのは惚れた弱みというやつだろうか。
体調くずしたりとかいう心配さえなければ、なずなといるのは本当になごむ。
いっその事なずながジャスティスじゃなかったら...と、思っても仕方ない事を考えてしまうのもしょっちゅう。
いつもいつもきつい任務の繰り返しでもほんわか笑っているのだが、実は密かに体調悪かっただの熱出してただのがしょっちゅうで、見ていてつらい。
いつかそれが元で何かあったらと思うとこっちが生きた心地がしない。
なずながジャスティスとか無理しないで良い立場で側にいてくれたら、今のこのきつい状況も乗り越えられる気がするのだが...。
食事が終わって結局二人並んで洗い物。
それが終わって帰ろうとすると、帰らないでコールが...
「だってね、ユリちゃん医務室だし、夜に部屋に一人は怖いの…」
夜に密室に男と二人の方が色々な意味で怖い気がするのだが...。
つきあって2ヶ月にもなると、さすがにそれが別に誘っているわけではなく単にそういう方面にうとくて鈍いだけというのは思い知っているわけで、手も出せない。
初日もそうだったがしかたなくなずなをベッドに寝かせて自分がソファにという事もこの2ヶ月の間に何回かあったが、慣れてきてしまったのか最近は気付くとソファの足元になずなが子犬のように丸くなって寝ている。
風邪をひかせてもとベッドに戻すがまた気付くと足元にを繰り返すうちに夜があけることになる。
自分が気力体力がある時はそれもまた一興(?)と思えなくもないのだが、このところの激務で心底疲れきっている。
自分自身も心身ともに余裕がない。色々な意味で無理だ。
「今日は...悪い。部屋に帰る。明日迎えにくるから」
軽くなずなの頭をなでると、ひのきは立ち上がった。
追ってはこない。
ひのきはそのままなずなの部屋をでて鍵をかけると自室に戻った。
可愛いパステルカラーのなずなの部屋から一転して飾り気のない自分の部屋。
それでも本やカップなど若干なずなの私物も置かれるようになり、ところどころに生活しているという空気が伺われるようになってきている。
クローゼットを開けると自分の着替えに混じって片隅に少量ではあるがなずなの着替え。
それだけ見るとまるでいくところまでいっている恋人同士のようにも見えるが、実は未だ触れるだけのキスで止まっている。
生活はしていける。というか給与など使う暇もないが一応高級取りらしい。
世間的にも働いていれば16歳以上で色々な面において法的には大人扱いされる世の中なので飲酒、喫煙、賭け事、結婚、なんでもOKなのだ。
何かあっても責任は取れる。
基地内でも公認の仲で一緒にいる時間も長ければしばしばお互いの部屋にも泊まっている。
それでもなおそれ以上踏み込めないのは...ひとえに彼女ゆえである。
睦月なずな。治癒系ジャスティス16歳。
厳しい環境で仕事をしてきたため見かけよりはしっかりしているが、性格はほんわりと癒し系。
ルックスははっきり言って可愛い。
極東支部のアイドルと言われていたくらいだ。
そんな彼女は出会った当初には当然ものすごい勢いでモテていて...ストーカーに追いかけ回された挙げ句に男性恐怖症だった。
それでも出会った当初から彼女は自分にだけは心を開いてくれていて、つきあい始めて2ヶ月強。
今でも折々みとれてしまうくらい可愛い彼女が子犬の様にじゃれついてくるのは楽しい。
何かにつけて頼ってこられるのも楽しい。
可愛い声で楽しげにおしゃべりをしているのを聞いているのも楽しい。
他の男は怖くても自分の事は大丈夫なのだと言う彼女の言葉はやっぱり嬉しい。
ゆえに...手を出せない。
下手に手を出して怯えられるのが怖い。
いや正確には、怯えてるのもまた可愛いと思う自分はやばいなと思いつつ、それで距離を取られるのは怖い。
ユリに言わせるとひのきの花言葉は"強い忍耐力"だそうだが、ここ2ヶ月の激務でそれが揺らぎつつあるのが自分でもわかるので、まかり間違って強引に襲ったりしないように、理性があるうちに距離をおくようにしている。
しかしそんな複雑な男心など全く知らないお姫様は今日の様にしばしば無理を言ってくれるわけで...。
「風呂入って寝るか...」
とりあえずクローゼットから着替えを出すと、バスルームに向かい汗を流す。
休日のはずだったのが、ホップは乱入するはユリは暴走するはで、結局バタバタしているうちに終わってしまった。当初の予定など一つも終わってない。
シャワーを浴びてすっきりすると、久々に早い時間にベッドに潜り込んだ。
普段だと今頃まだ帰り道、下手すると戦闘中か。
なずなは...どうしてるだろう...。
ジャスミンの部屋でも行っていてくれればいいんだが...。
ホップは...もう目が覚めただろうか。気を失った理由はなんだったんだろう。
明日こそなずなをレンに見せて、シザーとスケジュール交渉しないと...。
ああ、誰かジャスミンにはフォローいれてるだろうか。
あの状況で一人撤退した事でおそらく自信喪失&罪悪感にかられてつぶれるんじゃないだろうか。
そもそもヘビーな戦闘に慣れてない人間をいきなりそういう戦闘に放り込む事自体が無茶だ。
ひのき自身はまだ状況に比較的余裕があったジャスティスになって2年目の13歳の時、経験を積みたくて半年ほど本部を離れて色々な支部を回らせてもらったおかげで、様々な状況で様々な戦闘をするジャスティス達をまのあたりにして、そこから学ぶ事もできた。
北欧支部のコーレアと会ったのもその頃だ。
「眠れねえ...」
色々気にするまいと距離を置いても、結局気になる性格なのだ。
しかたないので起き上がる。
ホップの様子でも見に行くか。
ひのきは寝間着の上に上着だけはおって部屋を出た。
そのまま4区に向かうと医務室から出てくる人影が見える。
「なずな、何してるんだ?」
「きゃあっ!」
ひのきの声に思い切り驚くなずな。
「...上着くらい着ろ!風邪ひくだろ」
おそらく寝間着代わりの薄いキャミワンピ一枚のなずなにあわてて自分の上着を脱いで着させる。
「こんな時間に何してるんだ?」
もう一度聞くと、なずなは青い顔でうつむいた。
「ユリちゃんの様子見に。
...一応危なくない程度には治してあるから大丈夫なんだけど...なんか怖くなっちゃって...」
細い肩が震えている。
「今まで離れて仕事した事なかったから...今回みたいに知らない所で死にかけるとかいう事もなかったし...
だめね...覚悟...できてないの。
誰がどれだけいなくなっても、ユリちゃんだけは...自分が生きてるうちは生きてるって...思ってたから...一人で遺されるって考えた事なかっ...」
最後は言葉にならなかった。両手に顔を埋めてその場で嗚咽をもらす。
失敗した...そこまで気が回らなかった。
ひのきは今日なずなを一人残して部屋に戻って来たのを思い切り後悔した。
今日だけは一人にすべきじゃなかった。
「なずな...部屋来いよ」
ひのきは言うが、なずなは顔を両手に埋めたまま首を横に振った。
「なんで?」
ひのきがさらに聞くと、なずなはこぶしで涙をぬぐって微笑みをうかべる。
「...ありがと。でも大丈夫だから...。
ホップさんの様子見にきたんでしょう?行ってあげて」
そう言ってクルっと居住区に足をむけた。
「待てよ!」
ひのきは居住区に向かいかけるなずなの腕をつかんだ。
「...ホント...大丈夫...だから」
震える声。
「大丈夫って言うな」
いつでも大丈夫と言って大丈夫じゃない。無理をするのを見たくない。
細い...今にも崩れ落ちそうな肩をつかんでこちらを向かせると、涙でいっぱいの瞳。
「いいから、部屋来い」
「ホントに大丈......っ!」
さらに言おうとするなずなをひのきは引き寄せて唇を重ねた。
「嘘もいい加減にしねえと...この場で襲うぞ」
唇を離して言うひのきをなずなはぽか~んと見上げる。
「とにかく...ホップの事は暇つぶしだからどうでもいい。部屋に来い」
ひのきは言ってなずなを抱き上げた。
そのまま元来た道をたどって自室に戻る。
「座ってろ」
と居間のソファになずなをおろすと、そのままキッチンに向かった。
なずなが来る様になってからお茶の種類は若干は増えたが、なずなの部屋のようにミルクだのシナモンだのと茶の中にいれる物まではない。
それでも少しでも温まるように、と、とりあえず昆布茶を入れて居間に戻ると、なずなはソファの上で抱え込んだクッションに顔をうずめていた。
「飲めよ。温まるから」
コトっと湯のみが置かれる音に反応してなずなが顔を上げる。
涙で濡れた睫毛を瞬かせてなずなは
「...ごめんね」
と視線を落とした。
憔悴しきった表情で元々白い顔は血の気がなく透けて消えてしまいそうだ。
その中でいつもにもまして大きく見える黒い瞳には生気がなくどこか遠くを見ている。
色々な意味で1番限界なのはなずなだろう。
「謝るな」
ひのきは自分もなずなの横に腰を下ろした。
「俺にくらい気を使うなよ...」
ひのきの言葉になずなは力のない微笑みを浮かべる。
今にも消え入りそうに儚げな様子にひのきは恐怖を覚えた。
「消えたい...な。...全てをなくす前に自分の方が消えちゃいたい...」
そう言って虚ろな瞳から涙をこぼすなずなをひのきはあわてて抱きしめる。
そうしないと本当に消えてしまいそうだった。
極限の疲労。体力の限界も気力の限界もとうに超えている。
そんな中で今回のユリのわざわざ口止めしてまでの単独行動とその結果の瀕死の重傷。
それがとどめとなっているのは一目瞭然だ。
何年もぎりぎりのつらい状況の中で二人きりでやってきた相手だけに二人の間には他にはない絆がある。
なずなに対してはユリは気を許してわがままを言うし、その逆もしかりだ。
なずなは気を許してくれているとは言ってもユリに対するほどには自分には気楽にわがままを言ってはこない。
やたらと謝るのもそのあらわれだと思う。
子供の頃から続く二人きりの関係。
ユリ以上に特別になれるにはどのくらいかかるのだろうか。
「俺を見ろよ、なずな...。
これからずっと...お前が今まで鉄線と過ごしてきた時間よりずっと長くお前の側にいるから...。
もしかしたらその間にはお前を傷つけたり怒らせたりもあるかもしれねえけど...絶対に側にいるから」
ひのきはなずなの震える唇に唇を重ねる。
そのまま深く口づけると腕の中でわずかな抵抗があるが、そのまま半ば強引に舌で唇を割り、逃げるなずなの舌を自分の舌で絡めとった。
腕の中の体がピクンとはねる。
虚ろに遠くを見ていたなずなの大きな瞳が驚いたようにひのきに向けられた。
「...やっと俺を見たな」
ひのきはそれに気付くと唇を離してなずなに小さく笑いかけた。
「…タカ…」
なずなが少し赤くなって両手を唇にやる。
「俺は男だから...鉄線と同じようにはできない。
それはなずなを怖がらせるのかもしれねえけど...やっぱり好きな女が側にいたら触れたいとも思うし抱きたいとも思っちまう。
でもやっぱり好きだからさ...無理矢理ってのは嫌だし、待つつもりではあるから。
だから...夜とかあんまり無防備にじゃれつくのは勘弁してくれ。
俺もまだまだ未熟者だし理性を保つの苦労するから。
泊まりたければ別に毎日でも泊まってもいいけど、泊まる場合は寝室を出るのはなしな。
俺も寝室には近づかないようにするから」
ずっと避けてきた話題ではあったが、やはりこのまま泊まらせるのは自分的にもたない気がするし、かといって拒絶するような印象を持たせたく無い。
ひのきは言ってチラリとなずなの様子を伺う。
男の性欲の話に抵触する事で怖がらせただろうか...
なずなはうつむいていて表情はよく見えない。
「...俺の事、怖くなったか?」
仕方なくきいてみると、なずなはフルフル首を横に振った。
「怖くはないけど...」
「けど?」
「......すっごく恥ずかしくなった…」
言って少し見上げてくる。
さっきまで青白かった顔が真っ赤になっている。
「ぷっ!...ホントに顔真っ赤!」
ひのきは吹き出した。
「だって...そんな風に見られてるなんて思ってなかったしっ。
タカってなんていうか...そういう事あんまり興味なさそうだったし…」
そういうイメージなのか。
まあナンパなイメージをもたれているとは思ってはいないが。
「別に女なら誰かれかまわずってのはねえけど...。
俺だって18の男なわけだし。
普通だろ?好きな相手に触れたいって思うくらいは」
「18歳...なんだ?」
「ん、言ってなかったか。」
そういえば歳の話とかしたことなかったか、と今更ながら思い出した。
「うん、初めて聞いた。ユリちゃんと一緒なのね」
「ああ」
「タカの方が年上かと思ってた」
「確かに年上には見られるな。11の頃からジャスティスやってるし」
「じゃ、ジャスティス歴は私の方が長いのね」
「長い...のか?」
ひのきは少し驚いて言う。
「うん。私は5歳の頃から。ユリちゃんはほぼ同じ頃なって7歳かな。今年で11年」
そんな幼い頃からこんな生活をしていたのか...と少し心が痛む。
「私はね、母がやっぱり治癒系ジャスティスだったの。
だから生まれた時から極東支部にいて極東支部で育って母がなくなってすぐジャスティスになってそのままって感じで...」
それじゃあ極東支部がなくなったというのはすなわち実家をなくしたようなものなのか。
つい2ヶ月前ユリ以外のものを全部なくしたような状態で、さらに今日ユリが死にかけたという事なら、そりゃあ精神的に参るよな、と思う。
「タカは?実家は?」
「ああ、まだある。...たぶんな」
7年前出てから話を聞く事もできないので、どうなってると断言はできないが。
「実は鉄線とも親戚だしな」
「え?」
ひのきの言葉になずなは顔をみあげてひのきの顔をのぞきこんだ。
「じゃあ...タカは知ってるの?」
「ん?」
「名字!お侍の子孫で名前を隠して信州に隠れ住んだって。
でね、ユリちゃんに聞いたんだけど、どうしても秘密って教えてくれないの」
「ああ」
今日はよくその話題が出るなと、ひのきは苦笑した。
「真田。名字な」
「真田...幸村の真田?」
「そうらしいぜ」
日本人だとやはりぱっと名前がでてくる。
「なんだ~...そんなに変な名前ってわけでもないし、ユリちゃんも隠す事ないのにっ」
ぷ~っとふくれるなずなに、ひのきは言う。
「いや、隠す必要あるんだ。
掟でな、たった一人特別な相手にしか言っちゃいけない事になってる。
だから鉄線にとって特別な相手ができるまでは言えねえって事」
「そうなんだ~...って、タカ、そんなに簡単に言っちゃっていいの?」
あせって言うなずなにひのきはあっさり言う。
「ああ、なずな相手だからな。他には言うなよ」
「...タカ、これでもう他の人には言えなくなっちゃったの?」
おそるおそるひのきを見上げるなずな。
「ああ、そういう事になるな。でも言うならなずなにって思ってたから別にいい」
「...タカ...」
ぱっとまた下をむいて赤くなるなずな。
「そいえば...教えてくれないと言えば鉄線が以前言ってたんだが、なずなの花言葉...」
ひのきがふと思い出して言いかけたとたん、なずなが手にしていたクッションをポロっと落とす。
「ゆ...ゆりちゃんの馬鹿ぁっ!」
一瞬の硬直の後、小さな叫び声をあげた。
「聞いちゃまずい...か?」
「う...」
迷うなずな。
赤くなった顔がさらに赤くなる。
恥ずかしい...が、相手が一生に一人にしか教えられないという秘密を教えてくれた直後その程度の事を秘密にしていいものだろうか...
なずなはチラっとひのきをみあげる。
視線があうとひのきは小さく微笑んだ。
「困らせたか。ま、いい。そろそろ寝ろ」
言ってなずなの頭を軽くなでて立ち上がった。
「...げます」
湯のみをかたづけようと手にとってキッチンに向かいかけるひのきのパジャマの裾をつかんでなずなは消え入りそうな声で言った。
「ん?」
ひのきが聞き取れないで足を止めて振り返ると、再度繰り返す。
「...あなたに...全てを捧げます...」
一瞬硬直するひのき。
夜...二人きりの部屋。薄いキャミワンピは意外に露出が高い。
自分が貸した上着が若干肌の露出を押さえてはいるものの、小さな華奢な体に大きめの男物の上着というのはそれはそれで妄想をかきたてるわけで...。
羞恥に薄いピンク色にそまる白い肌。
うつむき加減に揺れるかすかにカールした長いまつげ。上目遣いにみつめる大きな黒い瞳。震える唇。
このタイミングで...きかなきゃ良かった。
真剣にひのきは後悔した。
が、幸いにも理性がぎりぎり持っている間に
「寝るね。おやすみなさい…」
と、なずながクルリと小さな体を翻して寝室の向こうへ消えて行く。
「...反則...つか、やべえ」
パタン、とドアが閉まる音とともにひのきはその場にへたりこんだ。
「眠れねえ...」
ひのきは何度か目を瞑って眠ろうと試みたが、やがてあきらめて照明をつけた。
ラックから雑誌を出してパラパラめくる。
今回ばかりはなずなのせいではない...と思う。
彼女は聞かれた事に答えただけだ。
(...変な話題を振る鉄線が悪い...)
怒りは今頃医務室で傷の痛みにうめいているであろう同僚に向けられる。
そもそもユリが今日みたいな行動に出なければこんな時間にこんなシチュエーションであんな言葉を聞く事もなかったはずだ。
みんな自分に恨みでもあるんだろうか。
ホップは睡眠を邪魔してユリの事ききまくるし、シザーは面倒な任務とみると全部自分に振ってくる。ユリはユリで暴走するし...
みんなもういい加減にしろと言いたい。
自分だって決して余裕があるわけではないのだ。
確かに幼い頃から一族の長となるべく育てられているから、他に比べれば自制心、自立心共に多少あったりはするのだが、それにしてもみんな自分が他のジャスティス達と同様まだまだ未熟な18歳の人間だというのを忘れている。
11歳までは若様としてかしづかれていた。
自分のやるべきこと、おぼえるべきことを学んでいれば他の思惑など気にする必要もなかった。
せいぜい目下の者に対する思いやりを忘れるな、と言われる程度の事か。
周りは父親以外は全部目下で自分は目上、というラインがきっかり引かれていて、人間関係はずいぶん単純だった。
それがブルースターに来て同僚、目上の人間などが出て来て、かなり人間関係に戸惑った。
皆が当たり前にわかっているそのあたりのつきあい方がわからない。
それで起こる摩擦。
そのあたりをなるべく他人との接触を避ける事で回避してきたものの、ここに来て自分が避けようにも周りが放っておいてくれない、というジレンマでストレスがたまる。
唯一の救いは旧友で何かにつけて気を回して助けてくれるフェイロンとレン。
とりとめのないなずなとの会話もすごく安らぐ。
無邪気にじゃれついてくる時のなずなはかなり可愛いし癒される。
まさに天使の笑顔で日常の疲れもふっとんでしまうくらいだ。
できる事ならずっとそうやって笑顔でいられるようにしてやりたいとは思うものの、状況がそれを許さない。
日に日にその顔から笑顔が消えてやつれていくのを見るのはつらい。
それがまたストレスになるというジレンマ。
「...っ?!」
思考の海に身を漂わせていたひのきはハッと身を起こした。
「なずな、どうした?!」
かすかに聞こえた小さな悲鳴にひのきははじかれたように立ち上がると、寝室のドアに手をかける。
中に入ると暗い室内でベッドの上で半身を起こして、なずなは顔を両手で覆っていた。
「...どうした?大丈夫か?」
入り口で声をかけるが反応がない。
ひのきは小さく息を吐き出して中へと足を進めた。
ベッドの端に腰をかけると、ギシっとベッドがきしむ音が響く。
「...嫌な夢でも見たのか?」
静かに声をかけて震える細い肩を抱き寄せると、なずなは力なくひのきの胸に身をもたせかけた。
「...タカは...いなくならないでね?」
ぽつりとつぶやく。
「ああ」
「...一人ぼっちになるの...すごく...怖い」
「...させねえから、安心しろ」
言ってなずなの涙を指でぬぐう。
「...側に...いて」
自分がすごく弱いと自覚しているなずなのウルウル涙目の上目遣い。
吸い込まれそうな大きな瞳に映る自分。
かすかに開いたピンクの唇に唇を重ねると、吐息が口の中になだれ込んでくる。
頭が一瞬真っ白になった。
パフっとベッドに吸い込まれるなずなを追いかける様に覆いかぶさる。
なずなの髪からだろうか。甘い桃の香りがただよい鼻をくすぐる。
気が遠くなりそうな甘い甘い匂い。
何度も何度もついばむようなキスを繰り返すと、なずなの身体がピクッと動いた。
それに気付いて今度は深く深く口付ける。
「...ン...タカ...っ!」
深く口づけられて息苦しくなったなずなが小さなこぶしで胸を叩いてくるのに気付いてひのきはハッと我に返ってあわてて身を起こした。
「わりっ...」
何やってるんだ、自分。
ひのきは口を拳で覆って呆然としている。
理性と自制心には自信があったのだが、その自信がガラガラと崩れ落ちて行く。
自分もまたかなり限界に近いのだろうか...。このままじゃ...やばい。
「ちと俺もやばい...かも。悪い、今日は居間に戻る。話したかったら電話で」
言って立ち上がるひのきのパジャマがクンとひっぱられる。
「いや、ホント今日はまじやばいから」
その手を外そうと手に触れるのもやばい気がするので口で言うが、なずなの手は離れない。
「...息苦しかったの」
後ろから声が追ってくる。
「ああ...だから...居間で聞くから。まじ俺今日はやばいから」
頼む、離してくれと思いつつ言うひのきになずなは唐突に言った。
「あのね...私...母が17の時の子供...なんだけど...」
「...?」
あまりの唐突さに思わず立ち止まって振り返ると、真っ赤な顔でうつむくなずなが目に入る。
「...小さい頃から仕事してたから...16歳って充分大人扱いだし...あの...私...普通の世界って知らないから...あの...そういう知識ってあまりなくて...どうすれば良いとかあんまりわかんないんだけど...タカが...それでも良いなら...」
最後の理性が崩れ落ちそうになるのを必死でこらえて、ひのきは口をひらく。
「無理しないでいい。無理させたい訳じゃねえから...」
「...いつもいつもタカには無理させてるから...。
一つくらい無理...聞いて上げたいな。...だめ?」
上目遣いに見上げる顔は反則な可愛さで...。言う事も反則に可愛くて。
これを振り切るというのはそれこそ無理な話だった。
「そか。サンキュ...絶対に大切にするから...ごめんな。」
言ってひのきはなずなを再度ベッドに横たわらせながら、その耳元から首筋に唇を這わせた。
「なずな、平気か?」
すべてが終わって意識を飛ばしていたなずなが気付くとひのきが心配そうな顔で覗き込んでいた。
きちんと行為の後始末がされ、頭の下にはひのきの腕。一緒にふとんに包まっている事にきづく。
なずながスリっとさらにひのきにすりよって、その胸板に顔をうずめると、ひのきは背に回した腕にさらに力を込めて抱き寄せた。
「タカ...温かいね...」
「なずなもな...」
なずなの言葉にひのきも小さく微笑む。
「無理させて...悪い。」
心身ともに疲れて参っているところに本当に無理をさせたと思う。
しかしなずなは小さく首を振った。
「ううん。いつもタカは無理してるから...全部自分一人で背負い込んで。少しくらいタカがしたい事して欲しいの」
「なずな...」
「それにね...なんかタカが近くなったみたいで嬉しい…」
やっぱり少し赤くなって恥ずかしそうに微笑むなずな。
確かに無理していたとは思う。
でもそれはフェイロンとレン以外はわかってないと思っていた。
それが一番大切な相手がその事を気にかけてくれていた。すごく嬉しい。
愛おしくて胸がつまる。
「なずなも...無理はするなよ?辛い事とかあったら言え。俺も言うから」
「うん…」
ひのきは腕の中のなずなの額に軽く口づけた。
「今度こそ寝ろ。まじこれ以上は体壊す。
嫌な夢でも見てそうだったら起こしてやるから」
「うん。おやすみなさい…」
なずなは小さく言って目を閉じた。
(まつげ...なげえ...)
本当に可愛い。外見も可愛ければ声も性格も何もかも可愛い。
ひのきは少しその寝顔にみとれた。
こんな可愛い彼女がまさにその名前の花言葉の通り"全てを捧げ"てくれたわけで...。
それだけで他の人間の一生分以上の幸せを手にしているんじゃないだろうか...。
ひのきは大切な大切な彼女にもう一度だけ口づけを落とすと、自分も静かに目をつむった。
翌日...目を覚ますと腕の中で愛しの彼女が眠っている。
それだけの事で昨日までのどんよりと憂鬱な気分が嘘の様に幸せな気分になる。
「...う...ん?」
思わず抱きしめると腕の中でなずなが少し眠そうにひのきを見上げた。
「おはよう」
ひのきが言うと、なずなはまだ寝ぼけているようで二三度目をパチパチすると、次の瞬間真っ赤になってうつむいた。
「あ...お、おはよ…」
思い切り恥ずかしそうなその様子も可愛くて、ひのきは小さく笑いをもらした。
「茶、いれるな。何がいい?」
言ってひのきがベッドから出ると、
「...なんでも...」
と、ベッドの中でなずなは顔を半分布団で覆いながら言う。
そんななずなを見ていると、せっかくの休暇なんだから二人でまったり過ごしたいなぁと言う気もしてくる。
クローゼットから着替えを出して居間でお湯をわかしている間に着替えると、緑茶をいれる。
このところいつ任務があるか分からなかったためずっと戦闘用の制服だったなずなも今日は私服だ。
薄手の浅黄色の着物を綺麗に着こなして、手に風呂敷を抱えて寝室から出てくる。
「それは?」
と聞くと
「ユリちゃんの身だしなみセット?櫛とか洗面用具とか...」
とにっこり。
結局まずはそっちか...ひのきは小さく息をはく。
でもまあユリの性格からして他の人間の世話はうけないだろうし、しかたないだろう。
「じゃあ...俺は食堂行って何かテイクアウトしてくるから、医務室で一緒に食おう」
「ありがと。タカ♪」
なずなが言って茶を飲むと、二人して部屋を出る。
「んじゃ、気をつけて行けよ。すぐ俺も向かうから」
と軽く口づけて言うと、なずなは赤くなって苦笑した。
「気をつけてって...すぐ隣の区行くだけよ?」
昨日の事が嘘のように未だ清楚で清らかな着物姿。
すでに2ヶ月たって自分の彼女だと知れ渡っている現在、手を出そうなどという恐れ知らずもいないが、心配は心配なのである。
食堂に行って念のため4人分の食事をつめてもらい、医務室へ行くと、すでに起きているらしいユリの声が聞こえる。
肩が痛くてできないから着替えを手伝ってくれとか、櫛をいれてくれとか、まあいいだけ甘えているようで、お前のせいでどれだけの騒ぎだったと思ってるんだ、と、若干イラっとする。
まあその後ホップが目を覚まし、気を失った理由なども聞いて謎も解けたところで、なずなを連れて早々に医務室を後にした。
Before <<< >>> Next
0 件のコメント :
コメントを投稿