どこをどう走っているのかもわからない。
とにかく怖くて怖くて…走りまわって辿りついたのは塔の入口。
中に入ってしまえば出口と入口は一つ。
追い詰められるだけ。
そんな簡単な事も、あまりに疲れきっていたため思いつかず、とにかく後方で聞こえる『捕まえろーー!!』と叫ぶ男達の声が怖くて、アーサーはその中に飛び込んだ。
本当に…こんなに走ったのは生まれて初めてかもしれない。
体力の限界なんてとっくに超えていて、息が苦しくて目の前がクラクラする。
何故、こんな事になってしまったのだろう…。
今日何度も思った事をまた思う。
陛下の事は好きだ。
最初は色々恐ろしげな噂を聞いていたのもあって怖かったが、実際にその人柄に触れてみると、強くて賢くて、しかも優しい。
綺麗なサラサラの銀色の髪に意志の強そうなやや吊り目がちな切れ長の目。
顔立ちは彫刻のように整っていて、一見きつそうな性格に見えるが、笑うととても優しい顔になる。
そして…いつも何かにつけて心細くなるアーサーに笑いかけて“大丈夫。俺様がいるから大丈夫だからな?”と頭を撫でてくれるのだ。
ここにいれば大丈夫、そう思わせてくれる頼もしさと安心感がある人だ。
そんな相手の手の中から意図としていなかったとしても自分から飛び出してしまった愚かさに泣きたくなる。
彼の手を抜けだしてしまえば、もう自分なんて誰も気遣ってはくれないのに…。
親や兄達からも疎まれ、おそらくいっそ遠い地で果ててくれないかと思われて放り出された身だ。
もうこの世のどこにも居場所なんてない…。
泣きながらそんな事を思って辿りついたのは粗末な木のドア。
バン!とそれを開けると、そこに広がるのは驚くほど広い空と海。
びゅうびゅうと吹く風に飛ばされそうになりながら、どこか逃げ場は…と思って柵のあたりまで辿りつくが、当然どこにも梯子も階段もない。
走り過ぎたのか呼吸をするたび痛む胸を押さえながら途方にくれていると、下方から階段をあがってくる足音。
──この先は行き止まりだ。捕まえろー!!
との声に絶望的な気分になる。
捕まえられる…それがどういう意味合いを持つのか、もう今何がどうなっているのかがそもそもわかっていないアーサーには想像もつかなかったが、とにかく恐ろしかった。
だってアーサーの人生は普通に大人しく身をひそめるようにしていてもロクな事になった事がないのだ。
人質として送りこまれた先の国王が噂に反してとてつもなく素晴らしい人だったというのは、本当に何かの間違いか?と思うほどの幸運だっただけで、そんな幸運が長く続くなんてやっぱりありえなかったのだと悲しく思う。
今…今後どうなっても良いからこの瞬間だけでもあの頼もしく優しい国王に会って、大丈夫だと頭を撫でてもらいたい。
一度だけで良い…
そうは思うものの、もしかしたらもう王に会う事もなく牢屋行きでそのまま処刑かもしれないし、もっと最悪な状況なら、王に会えたとしても王はもう笑いかけてはくれず、逃げた事をなじられるかもしれない。
嫌だ…そんなの嫌だ…
アーサーの人生において唯一の優しく温かい思い出が冷たく辛いものに変わるのをみるのだけは嫌だった。
そうだ、どうせ良い事なんてない人生なら、最悪な光景を見る前に終わらせてしまえばいい…。
そう思ってしまえば迷いはなかった。
くるりと反転して柵によじ登る。
吹きすさぶ風は強く、このまま飛び込めば、風に乗って悲しみのないどこかに辿りつく気がした。
寂しいけど悲しくはないどこかへ……
一歩足を踏み出した瞬間、とても聞きたかった相手の声が聞こえた気がしたのだが、それもすぐに意識を失ったため、何だったのかはアーサーにはわからなかった。
…最後に…また笑って言って欲しかったな…大丈夫…俺がついてるって……言って欲しかったな……
そう切望しながら、アーサーは自らその可能性を絶ち、その意識は暗い闇に落ちていった。
Before <<< >>> Next (4月29日0時公開)
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