手入れが難しい物は実家に置いて来てしまったので、幼い頃からつけている日記と興味が多岐に渡るため膨大な量になっている本がぎっしり詰まった棚を置いた部屋以外はガランとしている。
リビングのローテーブルの上には菓子折り。
いまどきそんな事をやる人間も少ないのかもしれないが、一応ここで長い時…もしかしたら生涯住むかもしれないので、隣人との折り合いは大事だと、挨拶用に購入しておいた物だ。
なので、挨拶は夕方以降に勤め人が帰って来た頃に行こうと思っていたのだが、掃除をする間の換気にと開け放した窓から風に乗って響いてくる、ぴえぇぇ…というか細い泣き声。
(…あ…隣、赤ん坊いるんだな。懐かしいぜ…)
と、遥か昔を思い出してクスリと笑みを浮かべながら、その愛らしい声をBGMにコーヒーをすする。
赤ん坊の声が煩いなどと言う人間もいるが、ギルベルトのように育児経験のある人間からすると、本当に小さな赤ん坊の泣き声などか細くて小さくて可愛らしいものだ。
これが幼児、児童になってくると、身体も声も大きく強くなってきて、それが思い切りあげる声は凄まじい事になってくる。
それをきちんと躾けて行く難しさ。
ルートは自宅の状況をきちんと理解していて聞きわけの良い子ではあったが、それでも色々大変な事もあった。
当時は正直投げ出したくなるような時もあったのだが、全てが終わって自分の手から離れてしまった今では、そんな大変さが懐かしくも愛おしい。
自分自身も子どもであった頃と違い、社会人になって仕事にも随分慣れて落ちついた今ならもっと色々やってやれたのに…と、思ってしまうあたりが自分は子離れ…もとい弟離れ出来ていないのだろうか…。
そんな風に少し感傷的な気分になったところにコーヒーから出る湯気が目に染みる。
(しっかりしろ、俺様…)
と、自分で自分を叱咤して、軽く目頭を押さえた時…赤ん坊の声とは別に小さな啜り泣きが聞こえて来た。
…しっかり……しっかりしろ……しっかりしなきゃ……
と、嗚咽の合間に聞こえる声。
そこでギルベルトはピタと手を止めた。
そしてカップを置く。
(…これ…やばいんじゃね?)
と、思った瞬間、菓子折りを手に立ち上がった。
隣の家では泣きやまない赤ん坊に泣いてる若い親というシチュエーションが繰り広げられている気がする。
育児ノイローゼとかじゃなければ良いが…と、おせっかいと思いつつも様子を見たくなって、慌てて部屋を飛び出した。
そして鳴らす隣の家のチャイム。
少し間を置いて、――はい?――と、おそるおそると言った風に返ってくる声に
「すみません、隣に越してきたバイルシュミットです。
引越しのご挨拶に来ました」
と、笑みを浮かべて言うと、ガチャッと鍵の開く音がした。
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