赤ん坊狂想曲1

(…お~、結構広いな)
がらんとした部屋。

以前住んでいたワンルームから越してきたこの部屋は3LDKもあるので、以前から使っている家具を置いてもまだスカスカ感が否めない。

まるまる1室空いている部屋はいっそのことトレーニング器具でも置いて、それ専用の部屋にしてしまおうか…

そんな事を思いながら、ギルベルトは荷解きをしていった。


ギルベルト・バイルシュミット26歳。

合計3年スキップをして19歳で大学を卒業後、学生時代に家庭教師をしていた年上の友人の伯父が会長をしている大手企業に入社。

現在7年目。
能力主義の会社でその才能を如何なく発揮し続けてめでたく課長に就任したところで、ちょうど早くに亡くした母親の代わりに面倒をみてきた8歳年下の弟が大学入学を機に実家を離れることになったので、実家から近い今までの賃貸マンションを出て、会社から近いこのマンションを購入した。

弟もここ最近はもう手のかからない年にはなってはいたものの、それでも健康は大事だと、高校までの間はランチを作って出社前に実家に届けたりしたものだが、それももう終わり。

これからはむしろ手を完全に放して、自分の人生を思い切り歩めるように一定の距離を置いてやらねばならない。

そう、子育ては壮大な趣味である。

とてつもない時間とお金がかかり、そして責任も生じるが――ギルベルトの場合は金銭は父親負担だったが――育てる過程を楽しんで完成したら、あとは手を出さずに遠目にでも見て楽しむに留めるべきだ。

それ以上意味もなくいじったら歪んでしまう。

母親が弟を産んですぐ他界したので、仕事もある父親の代わりに中心になって面倒をみる事になった赤ん坊には、母親がいない寂しさを感じないようにと愛情も手もたくさんかけたつもりだ。

すでにギルベルト自身は8歳になっていたから、おむつも替え、ミルクもやり、離乳食だって手づくりして、風呂にだっていれてやった。

読み聞かせた数々の絵本。
自分の勉強の合間の気晴らしにと教えてやった楽器の数々は未だに実家に大切に保管してある。

居心地の良かった自分の勉強部屋を出て、弟のルートの面倒をみられるリビングで勉強する事が圧倒的に増えた。

生活は自宅で唯一の子どもとして何もかもが自分中心に回っていたものから、自分のことはとりあえずおいておいて、幼い弟の都合で動くものへとシフトした。

父親はそんなギルベルトに――必要だったらシッタ―を雇うなりなんなりするから、無理をしなくていいんだよ?――と言ってくれたが、違うのだ。

それは確かに自己犠牲で自分の何かの欲求を我慢するものではあったが、楽しい我慢だったのだ。

友人と遊ぶ時間が弟の面倒で減った。

でもギルベルトが抱っこすると嬉しそうに笑う赤ん坊を見るのが楽しかったので、それは友人との時間が減るというデメリットを、赤ん坊の可愛さというメリットが上回っただけのことだ。

幸いにして弟のルートはそんな風に注ぎこんだ愛情をそのまま糧にしてまっすぐ育ってくれたため、兄馬鹿かもしれないが優秀で真面目で責任感もある立派な青年に成長した。

自慢の弟だ。


会社でもよく『俺様の弟世界一だぜ~!俺様の子育て最強じゃね?』と自慢しては、家庭教師をしていた頃の元生徒で年上の悪友である同僚達に生温かい目でみられたりしている。

弟は可愛い。世界で一番可愛い。
それでも…手を放してやらねばならない。

だから実家近くにいたらどうしても手を出してしまいそうと言うのもあっての引っ越しだ。

寂しい…と感じないかと言えばそうではないのだが、子育てもどきが早く終わったギルベルトはまだ幸いだ。
これから自分の人生において重要視するものを探す時間はまだたっぷりある。

それが見つかった頃には、この必要最小限の物しか置かれていない部屋も、それに関連するもので埋め尽くされているのだろう。


そう気持ちを切り替えて、ギルベルトはとりあえず片付けを終え、コーヒーをいれて一息ついた。


>>> Next (2月13日0時公開)


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