恋人様は駆け込み寺_4章_2

シャツを脱ぎ捨てパジャマの上を着て、ズボンも大急ぎで履き替えて、脱いだモノをたたんでいると、アントーニョが片手にカップ、片手にアーサーがリビングにかけておいたブレザーの上着を持って来た。

「これな、なんやさっきからポケットで電話がなっとるみたいなんやけど……誰からか親分が見てええ?」

カップをアーサーに渡したあと、アントーニョがブレザーを少しかざしてみせる。
携帯の番号を知っている相手なんてたかだかしれているし、今この状況でアントーニョではなくアーサーの方に電話をかけてくる人物なんてわかりきっている気がした。

脳裏に浮かぶのはふと振り向くといつのまにかひたりとすぐ後ろにいる読めない笑み…。


――あとで迎えに行くな~。
という例のメールの文面が、脳裏であの抑揚のない声で再生されて、アーサーはゾクリと身震いした。

「ああ…。別に見られて困る相手いないし…」
と言う声が震える。

「ん。じゃあ着信履歴だけ見せてもらうな」
と、なんでもないことのように言ってブレザーのポケットから携帯を出すアントーニョ。
そして着信履歴を見て少し眉を潜めた。

ああ…やっぱり……と、それだけでわかってしまって、アーサーはギュッとベッドのシーツを握りしめた。

と、その瞬間に再び鳴る携帯。

ビクっと身をすくめるアーサーに
「まあ…出んでもええんやない?大事な事やったらメール送ってくるやろし」
と、苦笑するアントーニョだが、アーサーは首を横に振った。

「…早く終わらせたいから……」
と手を伸ばすアーサーにアントーニョは少し躊躇して、それでも携帯を持ち主に手渡す。
それを受け取ってアーサーは一呼吸置くと、通話を押した。

『…アーサー…今どこいるん…?
…気分悪なって帰ったって聞いたから心配しとるんやけど…』
と聞こえる声は予想の通りの人物だ。

いつものように抑揚のない…しかし今アーサーがそう思っているからだろうか…どこかまとわりつく生温かい空気のような声…。

「エンリケ、お前学校は?今授業時間だろ?」
と、それでも努めて普通の声で応じれば
『…俺も早退してん。…で…自分いまどこ…?』
と、相手も全く変わりない口調で聞いてくる。

そこでアーサーが
「家に……」
と言いかけると、
『…おらんやろ。…戻った形跡もないし。
……制服のままどこ行ってん?』
と返ってきて、え?と思う。

「ちょっと待て…。なんで戻った形跡ないって…」
『自分普段は学校は指定の靴やけど、それ以外はスニーカーで出かけるやん?
……履き替えてへんし…』

「いや、家に帰っても一人だから、フランの家に…って言おうと思ったんだけど、なんでお前俺が今履いてる靴なんて知ってるんだよ」

さ~っと血の気を失ったアーサーに、アントーニョが察して隣に来て肩を支えてくれる。
硬くなった声音に気づいてか気づかないでか、電話の向こうの声は相変わらず変わらない。
いや、むしろ少し得意げな響きすらする。

『ん、なんとなく…やで。
…俺は昔からアーサーのことはなんでもわかるんや。
一日中ずーっとアーサーの事考えて……アーサーの事だけ見とるからな…』

一日中……。
その言葉に背筋に冷たいものを感じて目の前が暗くなる。
アントーニョが支えていてくれなければ、今にも倒れそうな気分だ。

「一応聞くけど…お前、今どこにいるんだ?」
平静を装おうとしても声の震えが止まらない。

『ん…アーサーのマンションの向かいのビルの屋上やで…。
…ここからやとちょうど自分の寝室の窓がよお見えるんや…』
その言葉を聞いた瞬間、アーサーは反射的にプツっと通話終了を押していた。

なんでそんな場所にいる?
何故そこから自分の寝室がよく見えるなんて知ってる?
それより何故玄関に学校指定の靴じゃなく普段履いてるスニーカーが置いてあるなんて知っているんだ?

アーサーはアントーニョの手から抜けだして、洗面所へ駆け込んだ。
そして嘔吐しようとするが、昼前で何も食べていない胃には吐くようなものはなく、胃液の苦味が口に広がる。

「アーティ、大丈夫かっ?!」

慌ててタオルを手に駆けつけたアントーニョが少しでも楽になるようにと背中をさすってくれるのに応える余裕もなく、吐くことが出来ずこみ上げた涙を差し出されたタオルで拭いて、水を出していた水道の蛇口をひねって止めると、アントーニョにしがみついた。

今までフランシスやギルベルトに聞いた話がクルクル回る。

小等部、中等部と、学校が上がると離れて行く友人達…。
つい最近までそうだったように挨拶をしても、困ったように…もしくは何か恐れるように避けられた。

届かない小等部の同窓会の招待状。
外部に行った奴も多かったから大抵はハガキで来ていて…学校でクラスメートが行く行かないの話をしているのを聞いて初めてあることを知った。

――アーサー優秀やからひがんだ奴らが送ってこなかったのかもしれんなぁ…。
そう言ったのはエンリケだ。

そんな奴らといないでも自分といればいい。
そう言われて一人じゃないことにホッとした。


「……頼むから……離れていかないで……」
シャクリをあげて言えば、アントーニョはなだめるようにポンポンと背を優しく叩きながら
「大丈夫…。親分は離れへんよ。ずっとアーティを守ったる。大丈夫やで」
と、何度も繰り返して言う。

本当にそう思っている…何故かそれが伝わってくるような声音と体温。
それに安心する。
ここだけが世の中で安全な場所なんじゃないか…そんな気さえしてくる。

「昼飯作ったるから、それまで寝とき。そや、ええもんあったんや」
アントーニョは力が入らずその場で崩れ落ちかけるアーサーを抱きかかえて寝室へ戻ってベッドに寝かせると、じゃ~ん!と押し入れから大きなクマのぬいぐるみを出してきて、アーサーに握らせた。

「これな~親分がちっちゃい頃買うてもろうたもんでな、ここで一人で暮らし始めた頃はよう一緒に寝とったんや。
めっちゃ不安な時でも安眠守ってくれるのは親分の保証付きやで」

と、並んで横たわるアーサーとぬいぐるみのブランケットをかけると、上からポンポンと叩いて、頭を一回くしゃりと撫でて寝室を出る。
それでも一人は不安だろうと思ったのか、寝室のドアは開けたままだ。

そしてキッチンの方からはアントーニョの陽気な歌声が聞こえる。

暖かい…明るい…。
薄暗やみに引きずり込まれそうな気分だった心に明るい日差しが差し込んで、押入れの中から登場したはずなのにアントーニョと同じくお日様の匂いのするぬいぐるみの柔らかい感触が安心感を誘う。

ブランケットとぬいぐるみに挟まれてようやく少し落ち着くと、疲れからか急激に襲って来た眠気に逆らわず、アーサーはそのまま意識を手放した。




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