さて、この一件無謀にしてめちゃくちゃに思える計画だが――実際、ギルベルトも実行の段階になって、いくらアントーニョが単純でもさすがに疑われるかと不安になったのだが――そこはさすがアントーニョというべきか、全くもって微塵も疑わずに信じたようだ。
「可哀想にっ!怖い思いしたんやな。
これからは親分が絶対に守ったるから大丈夫やでっ!!」
と、アーサーを抱きしめた。
それからはもう、少しでも怖い思い、心細い思いをしないようにと、アーサーにべったりで、おそらくそんな距離感に慣れていないアーサーが目を白黒させているくらいだ。
バレたらどうしよう…そんな不安を隠し切れないアーサーの心細げな表情が、信ぴょう性をましたのかもしれないが、ギルベルトにすればチョロすぎる。
というか、こんなチョロい相手に振り回されてたのか、俺様…と、若干虚しさすら感じつつも、ギルベルトは当分は不要になるであろう胃薬をこっそり荷物の奥へと放り込んだのだった。
「アーティっ!具合悪いん?飯食えへんてっ!!」
バタンっ!とノックもなしにドアが開く。
入ってくるのはこの国の王アントーニョ。
鍛錬中だったのだろう。
上は上半身裸で下だけ履いた軽装で健康的な褐色の肌に汗が光る。
適度に筋肉のついた引き締まった体躯は、王というよりは歴戦の武人のようで、こんな風に生まれついていたら、自分も父やその周りに疎まれて軽んじられたりはしなかったのだろうな…と、アーサーは羨ましく思う。
それでも…2年ほど前に父から兄に代替わりをした時点で、王の同父母弟達ですら、戦場で戦果を上げなければ居場所がなくなりつつある今、いつまで続くのかはわからないが、こうして破格の待遇で暮らさせてもらえるらしいのは、自国では疎まれた母親譲りの貧弱な体格と丈夫ではない身体のおかげらしいのが皮肉な感じだ。
もちろん完全に信用できるわけでも安心できるわけでもないが、今の柔らかで温かな清潔なベッドと美味しい食事と引き換えに、拷問死を選びたいかと言うと、当然ながら否なのだから、アーサーには契約を履行し続けるという選択肢しか無い。
…食事はアントーニョが居なければ摂らない…。
それはアントーニョを城につなぎとめておくために、ギルベルトと交わした契約の1つである。
まあ昼を過ぎているので若干空腹感を感じないでもないが、たいしたことではない。
アーサーは黙って隣に立つギルベルトの反応を待つ。
王以外の人間にあまり気を許したところを見せないというのも契約の1つなので、もちろんギルベルトの方を見ることも出来ず、居心地の悪さをブランケットをぎゅっとつかむことで耐えていると、ガタガタっと椅子が引いてこられる音がして、すぐ側に人の気配がした。
「食欲無くても食わんと元気になれへんで?」
くしゃりと頭を撫でる大きな手。
王はアーサーの事に、まるで小さな子どもを慈しむように接してくる。
実際はたちをとうに超えた王から見たら、アーサーも十分子どもなのだろうが、小さな頃に亡くなった母親以外、そんな風にアーサーを子どもとして甘やかす人間などいなかったので、不思議な感じだ。
最初の頃こそ落ち着かなかったが、慈しみを持って触れられるその動作は決して嫌いではない。
むしろ心地いいとさえ思う。
「親分が食べさせたろ。ほら、口開けて、ア~ン」
と褐色の大きな手が握ったスプーンが運んでくるリゾットをパクリと口を開けて頬張れば、ぱあぁっと音がしそうなくらい明るい笑顔が王の精悍な顔に浮かんだ。
「ええ子やな。もっと食べ。」
と、さらに運ばれるスプーンと上昇する王の機嫌。
こんな風に誰かに愛おしげに接してこられたのは、母親が亡くなって以来なかったことで、胸の奥がほわほわと暖かくなるが、それでもこれはその気になれば何でも手に入る、人間だってよりどりみどりの強国の王のきまぐれだから、明日と言わず今日にだってなくなるものかもしれない。
だから誰かに愛おしい、必要だと思われているこの瞬間に死ねれば良いのに…と、心地よさを感じるたびアーサーは思う。
幸せはいつもそれを亡くす絶望と直結している。
本当の幸せというのは、幸せの中で人生を終えて、永遠に幸せの終わりを迎えないことだ…と、今までの人生の中でアーサーは認識していた。
だから幸せだと感じると、いつも早く死ななければという焦りが募る。
食事が終わって気が紛れるものがなくなると、そんな気持ちは頂点に達して自ら食器を置きに行こうとドアへ向かいかける王のサッシュの端っこを無意識に掴むと、ほろりと涙がこぼれ落ちた。
しかし、
――殺してくれ…
と、喉元まで出かかる言葉は、すんでのところで飲み込まれる。
この契約を途中で放棄したなら、楽には死なせてもらえないとのことだし…それは嫌だ。
そんなアーサーの内心の葛藤も知らず、王は食器を放り出して
「どないしたん?何か怖いん?それとも痛いん?
親分に言ったって?
大丈夫やで?親分この国でいっちゃん強い人間やからな。
なあんも心配せんでええんやで?」
と、ぎゅうぎゅう抱きしめてくるのだ。
その腕の中は温かくてお日様の良い匂いがして、心地良い。
ギルベルトは困った奴だと頭を抱えるが、アーサーにとってアントーニョは偉い王様で強くて優しくて容姿だってとても整っていて色々な相手に好かれている、そのくせ、ずっと嫌われて疎まれてきた自分なんかを慈しんで温かく包んでくれるこの世で唯一の存在だ。
ああ、死にたい…。
そこでまたアーサーは思うのだ。
甘やかされるのに、慈しまれる事に慣れてしまう前に死んでしまいたい。
お前が甘やかすから…だから死にたくなるんだ…と、言えたらどんなにいいだろうか。
そんな本音など到底言えるはずもなく、契約を破ってペナルティを負う勇気もなく、アーサーはただただ泣き続けた。
ぎゅうっと温かい胸にすがりついて、しくしく泣き続けると、大きな手がポンポンとなだめるように背中を優しく叩いてくれる。
それが心地よすぎて、また死にたくなって、また泣くのだ。
「…怖い…」
幸せをなくすのが…とは言えず、ただそうつぶやくと、
「怖ないよ。親分がずぅ~っと守ったるから、大丈夫やで」
と優しい声が降ってくる。
アントーニョは優しい、強い、でもわかってない。
これだけはわかってもらえないし、かと言って伝える事も出来ないのだ。
それが悲しくてアーサーは泣き続けた。Before <<< >>> Next
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