あずま男の源氏物語@私本源氏物語_六の巻_2

「トーニョのやつ、もう泳げるようになったかな?魚とか捕れるようになったかな?」

二条の屋敷に引き取られて早3年。
アーサーも成りだけはお年頃という年にはなってきたが、その中身はまだまだ子どもだとキクは思う。

アントーニョが須磨に出発して3週間。
アーサーの関心ごとは、山では雀捕りで優位にたてた関係が、海で先に出発されたことで逆転されるのでは?ということらしい。


身内のないキクを引き取って育ててくれた尼君の、アーサーに人並みの幸せをという意志を叶えて恩を返すまでは…と、自身は恋人の1つも作らず、ひたすらアーサーのためにだけ生きてきたキクである。

別に尼君の事がなくともアーサーの事は愛おしいとは思うし、ひっそりと人里離れて静かに暮らすのも良いと思った時期もあったが、世の中それほど甘くはない。

尼君いわく、己が手のうちにある間は親身にあふれるほどの愛情を注いでくれるが、ひとたびその手を離れる事になると恐ろしいほど情けのない父方の弟の手からアーサーを隠し守るには、なんの後ろ盾もないキクだけでは何も出来ない事にやがて気づく。

すっかり依存する事に慣れた頃に着物の一枚すら取り上げられて身一つで世間に放り出されでもしたら、どのように生きていくことになるのか…そんなことを考えてロクに眠れぬ日が続いた。



そんな時だったのだ。
見かけは浅黒く雅とは程遠かったが、どこか頼もしい空気をまとった男が僧房を訪れたのは…。
その男はなんと今をときめく元帝の寵児、源氏の君の従者だった。


お伽話みたいな事ってあるものなんですねぇ…。

男の仲介で源氏の君とつながりが出来、尼君が亡くなった後、源氏の君の館にアーサー共々引き取られた時、その屋敷の立派さにキクはため息をついた。

立派な屋敷、豪奢な調度品、惜しみなく与えられる本、紙、筆、着物、食事など、日用に必要なものの数々。
そして何より…アーサー自身に注がれる愛情。

成長を急かすこともなく、かといって、今の状態に無理に押しとどめようということもない。
あるがままのアーサーの成長をゆったりと待って、いずれ伴侶にと言ってくれている。


人目を避けるように僧房の隅の小屋でひっそりと明日に怯えながら暮らしていたのが嘘のようだった。

アーサーだけではない。

誰にも頼ることなく尼君の、アーサーの心配だけをして、日々一人で生きてきたキクの事を、最初に自分達を見つけた中年男サディクは何かにつけて気にかけてくれる。

自然に甘えて頼って…時にはまるでアーサーのように少しツンを多めに拗ねてみても、大きな懐で包み込むように甘やかしてくれるものだから、ついつい頼ってしまう。

美しい殿方と自分がお仕えしてきたこちらも可愛らしいアーサーが戯れる絵物語のような図を楽しみながら、自分は甘やかしてくれる相手と楽しく過ごす…そんな幸せな日が来るとは思わなかった。

だからこそ今のこの幸せが壊れるのが恐ろしい。

アントーニョは良い。
今は都落ちしているとはいっても、腐っても元帝の寵児。
次代の帝になられる東宮との仲も悪くはなく、現左大臣家の跡取りとも深い交流があり、後ろ盾はばっちりだ。
代替わりでもして東宮が帝にでもなられた日にはもうその身は安泰だ。

でもアーサーは…アーサーがアントーニョと結ばれる前に藤壺の手にわたって隠されてしまったら…そしてアントーニョがアーサーを諦めてしまったら、全てが終わってしまう。

あの頃…僧房の隅で最悪の未来に怯えてた頃に逆戻りだ。


もう少し…もう少し色事に興味を持ってはもらえないだろうか…。
日々さりげなく置いているその手の本は一応目は通しているようだが、言動は変わらぬままだ。

ため息が出る。
かと言って無理に勧めれば素直でないアーサーのことだ。逆効果だ。



Before <<<     >>> Next


0 件のコメント :

コメントを投稿