あずま男の源氏物語@私本源氏物語_六の巻_1

「須磨……」

小さい北山の雀っ子も、3年も経つと子どもらしさに少しの落ち着きが出てきた。
アントーニョが帰ると文机に向かって絵本を読んでいたアーサーは顔をあげて、そこは昔のままパタパタと駆け出してきて出迎えたが、深刻な顔のアントーニョに、当分須磨の田舎で謹慎をするのだと聞いて、首をかしげた。

「謹慎て何故だ?須磨ってどこだ?」
とまだあどけない様子で聞いてくる少年に本当の事を言うべきか迷って、アントーニョが口ごもってると

「偉い奴の妻でも口説いてしくじって見つかったのか?」
と、その可愛らしい口からそんな言葉が出てきて、ゴン!と壁に頭をぶつけることになる。

口説いてへんわっ!幼なじみと酒飲み交わしてただけやっ!
思わず叫ぶと、じゃあ、話せ、と、上から言われて、はい…とかしこまらされて白状させられる。


もちろんエンリケの件は伏せて、単純にエリザとの誤解の事実だけを話すと、

「お前…本当に馬鹿だなぁ」
と、呆れたように言われて、力が抜けた。

どうも出会いから関係の強弱が決まっているように見える。
アントーニョはアーサーに頭が上がらなくなりつつある。

「どうせならその頭の中将とやらも呼んで飲んでりゃあ良かったのに」
と言いながらも、アーサーは部屋の奥へと歩を進める。

「あの…アーサーさん?」
「須磨がどこかは知らないが、住まいを変えるんだろ?支度しないと…」
と、すっかりしっかり者に育っていて、後ろに控えていたサディクはキクと顔を見合わせて苦笑した。

まるでもう古女房のような落ち着きっぷりだが、うちの大将のようにうっかり屋のお坊ちゃんには丁度いいのかもしれない…とサディクは思う。


「どのくらい行ってるんだ?」
「…わからへん…ほとぼりが冷めるくらいまで?
ギルちゃんは3ヶ月くらいでなんとかしたる言うてた。」

「ふ~ん。じゃあ冬物は要らないよな。
宮中に通うんじゃなきゃ着物もそんなに多くは要らないか。
海かぁ~。俺山育ちだから一度見てみたかったんだ」

と花の都から田舎に落ちのびるというのに機嫌よく言うあたりが、さすが野生児、北山の雀っ子といったところだが、謹慎の話や理由、都落ちする事など何を聞いても全く動じる様子のなかったこの少年は次のアントーニョの言葉で号泣することになる。

「何言うとるん?須磨へ下るのは俺だけやで?自分はここで留守番や」

「…え?」

「どんなとこかもわからん危ないかもしれへんようなとこに、大事な自分連れていけるかい」

アントーニョのその言葉に、大きなまるいめが零れ落ちそうなくらい大きく見開かれた。
いきなりウッワアアア~~~~!!!!と火のついたように泣き出す。

「やだっ!やだっ!絶対にいやだぁああ~~!!!!
一緒にいるって行ったじゃないかぁ~~!!!!」

小さな子どものようにワンワンと思い切り声をあげて泣き叫ぶ様子に、アントーニョはもちろん、幼い頃からアーサーを育てていて、大抵の事は理解していて、そして…普段滅多に顔色を変えないキクが驚きにぽか~んと口を開けて固まった。

「一緒に行くっ!!いい子にするっ、いい子にするからっ!!!」
必死にアントーニョにすがりつくその様子に、あらあらあら…と片袖を口元に開け、それから少し嬉しそうに目を細めた。

「キクさん?なんだか嬉しそうですねぃ?」
片眉をひょいとあげてサディクがキクを見下ろすと、キクはにこやかにサディクをみあげた。

「嬉しいですよ?だってアーサーさんがあんなに必死に何か望むなんて事、今までありませんでしたから。
ね、一緒に連れて行ってさしあげて頂けませんか?サディクさん」

珍しく…非常に珍しく打ち解けた甘えるような風に言ってくるキクに、サディクが逆らえるわけはない。


「大将、主人のいねえ館に置いとくのだって、十分不用心じゃねえですかい?」
「せやかて…どんなとこかもわからへんのやで?」
「どこでもいいっ。どんなとこでもいいっ。お前と一緒に行くっ」

「う~ん……」

普段クールなアーサーがそこまですがってくれる事はめったにないので嬉しい事は嬉しいのだが、生活環境が整っていないかもしれない不自由な場所にこの子を連れて行くのは気が進まない。

「な~。聞き分けたって?」

まだ細い身体を抱きしめて頭に顔をうずめて頬ずりをしながら言うアントーニョに、アーサーはぶんぶん首を横にふる。

「…サディクさん……」
上目遣いでクイクイっとサディクの着物の袖をひっぱるキクに、サディクは悶絶して手で顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。

「大将…じゃあ、こうしやしょう。
大将が先に行って1ヶ月生活環境整えてお姫ちゃんを呼び寄せる。
それでどうですかい?」

「サディク…自分なんや誰ぞの色香に負けて言うてへんか?」
アーサーの頭越しに呆れた目を向けるアントーニョだが、

「いいじゃねえですか。大将だってお姫ちゃん居たほうが絶対に楽しいですぜ?」
「ん…」

「先行って魚取りでも極めて雀取りのリベンジしなせえ」
と、それに皆が吹き出したところで、二条の家の方針は決まった。

意外にこだわりのない面々にとって、都落ち自体はそう影を落とすことはない。
が、世の中はそうは見ないものである。

アントーニョが最低限の支度をすませて須磨に旅だった後の二条の館には思わぬ人物が現れるのだった。





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