「兄ちゃんおる?」
宮中でヘラリとそう問うアントーニョだが、さすがに東宮ともなれば会いたいんだけど?はいそうですか、と即会えるわけでは当然ない。
「こちらでお待ちくださいませ」
と、部屋に通され、アントーニョは一人月を肴に出された酒に口をつける。
ただ話しあって理解して欲しい。
そうは思うものの、自分と二人で対峙してもお互い感情的になるだけだろう。
今父帝は少々体調を崩して療養に行っているらしいし、女御と冷静に話をしようとするのに同席してもらえそうなのは、性格的にも身分的にも東宮である異母兄、ギルベルトくらいしか思いつかない。
帝である父に寵愛されていた自分の母を誰よりも嫌っていた父帝の正妻、弘徽殿女御の息子である彼は、しかし誰よりも冷静で公明正大な青年で、実母が嫌っていても、母親をなくして一人心細く暮らしている異母弟を害すること無く、親しく接してくれていた。
彼なら適任なのではないだろうか…そう思っての訪問なのだが、これは日を改めた方がいいのだろうか…。
すでに夕方を過ぎ、夜も更けかけている。
杯を置いてその旨を告げようとアントーニョが立ち上がりかけた時、ふいに凛とした歌声が響いた。
――春の夜の…朧月夜に似るものぞなし…
その声に廊下に視線を向けると白い手に握られた扇がはらはらと宙を舞い踊っている。
月夜に舞い散る薄茶色の長い髪。
「もしかしてエリザも兄ちゃん待ちかいな」
彼女もまた弘徽殿女御の実家右大臣家の血筋で、アントーニョの実母や舅の左大臣家とは関係上はあまりよろしいとはいえないはずなのだが、ギルベルトと同様、親しく育った幼なじみだ。
「あら、トーニョも?」
と、エリザはそこで初めて気づいたのか、手を止めてにこりと微笑む。
「邪魔してもうたな。俺に構わず踊ってや」
と、アントーニョがまた座り直すと、
「別にいいのよ。あら、良いものあるじゃない?私にもちょうだいよ」
と、気軽く先ほどまでアントーニョが飲んでいた盃を手にとって、手酌で酒をついでクイっとやる。
「エリザ~、自分女なんやから、まずいで?
幼なじみかて御簾越しでもなく男の前出んのもまずいし、隣で酒飲むなんて、おとんが発狂すんで?」
生真面目で規律正しいが伝統よりもしばしば効率を重視する傾向のあるギルベルトや奔放なエリザと違い、右大臣は昔気質の伝統を重んじる貴族である。
こんな所を見られたら本気で殺されるんじゃないかと思う。
しかしそんな幼なじみの杞憂も、このお転婆娘は笑い飛ばした。
「どうせ私もうすぐギルに嫁ぐらしいし?今更じゃない?
正式にギルと一緒になったらさ、フランと4人で酒盛りしましょ」
「あ~、そうらしいなぁ。おめでとさん」
双方素直でない二人は、しかし幼い頃からなんのかんの言ってお互いを好きな事を、アントーニョもフランシスも知っている。
後ろ盾を固めるための政略結婚ではあるのだが、そんな理由でもないとお互い好きでもくっつけなかっただろう。
貴族の政略結婚というのはたまにはこういう良い例もあるのだ。
「幸せそうで羨ましいわぁ」
こっそりと男の子の格好をして一緒に蹴鞠をしていたエリザだったが、最近すっかり綺麗になったのはそんな事情もあるのだろう。
「あら、トーニョだって若い奥さんもらったって聞いたわよ?」
と、なるほど、女性同士のうわさ話などあまり加わらないエリザの耳にすら入るようでは、エンリケの耳に入ってもおかしくはないのか…と、アントーニョは少し苦い顔で笑みを浮かべた。
「う~ん、まだ奥さんちゃうんやけどな。とりあえず未来の奥さん…てとこやな」
「あら、なんで?」
「まだ子どもやで?後見人のお祖母さんが亡くなってもうたから後の事頼まれてな、ちょっと早いうちに引き取ってん」
「なるほどねぇ…トーニョって変なとこで人いいもんね」
「そんなわけやないで。なんや今すぐ手ぇ出したいっちゅうわけやなかったんやけど、一目惚れは一目惚れやねん。ああ、この子や~って、なんか思うてな」
そんな話で盛り上がって、気づけば朝である。
お互いいい具合に酒が入って、うとうとしていたら、バタバタと騒々しい足音で目が覚めた。Before <<< >>> Next
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