あずま男の源氏物語@私本源氏物語_四の巻_3

「どうなさいました?ずいぶんと深刻なお顔をなさっておいでで…」

帰りの挨拶もそこそこに、珍しくお姫ちゃんことアーサーと遊ぶことなく自室にこもったアントーニョを気遣わしげに見送るサディクにさらに気遣わしげに声をかけるキク。

「ああ、うちの大将ですかぃ」
「いいえ、大将も…ですが、サディクさんが、ですよ」

「ああ、あっしですかぃ。いや、単にうちの大将があの通りなのが気になってやしてね…」
と、どことなくまだ沈んだ後ろ姿に目をやれば、
「何かあったのですか?」
と、同じく目で追ったキクが美しい様子でコクリと首をかしげる。

今までは気取りのない女ばかり目にとめてきたが、ああ、品のある女ってのもいいねぇ、癒やされるねぇと、主人の様子に少しばかり気持ちの沈んでいたサディクも浮上する。
急に表情を柔らかくしたサディクにまたキクは不思議そうに首をかしげた。

「いや、今日宮中で何かあったらしいんですが、俺ぁこの通りの身分なモンで中の事はわからねえんです。
ただ帰りに頭の中将様宅に招かれて飲んであれでも少し浮上はしたみてえです」

「宮中で…もしかして……」
さっと顔色を変えるキクに今度はサディクの方が気遣わしげに声をかける。

「キクさん?」
「サディクさん、大将とお話させて頂くことはできますか?」

普段はあまり表情のわからない綺麗な顔に緊張の色を浮かべて言うキクに、サディクは非常時ならしいことを察してうなづいた。




「率直に申します。今日源氏の君が沈んでいらっしゃることには、アーサーさんと藤壺の女御様の事が関係なさってますか?」

こうして人払いをして3人きりになった室内で、スッと背を伸ばして正座をしたキクはそう言ってアントーニョを見上げた。

「え……」
瞬時に変わるアントーニョの顔色に何かを察したらしい。

「やはりそうですか……」
キクはふぅ~っとため息をついて俯いて…しかしすぐ顔をあげ、
「全てをお話致します」
と、何か決意したような目で口を開いた。



「元々は…執着なさっていたのはアーサー様のお母様らしいのです…」
キクは静かに話し始めた。

「女御様…いえ、エンリケ様と同じ年の幼なじみでいらして、とても仲がよろしかったそうです。
正確には…エンリケ様が帝に嫁がれる時までは…。
エンリケ様の側近くに仕えていらしたアーサー様のお母様は、エンリケ様は嫁がれる時には当然一緒に付き従われるものと思っていたのですが、そのまま館に残られました。
秘かにエンリケ様の兄上、兵部卿宮のお手つきでいらしたのがその理由らしいのですが、それが判明するまでは宮中から日を置かず届き続けた便りがピタリと止まり、それと時を同じくして、兵部卿宮のご正妻様の態度が一変、風当たりがきつくなったそうです。
その2つの事象が何か関連性があるのかと言われればわかりません。
ただ、尼御前は穏やかに思えるエンリケ様の中に何か恐ろしいものを感じていらしたのです。
こうしてアーサー様が生まれるとほぼ同時に母君は亡くなられ、その報を受けるとすぐエンリケ様から生まれた子が正妻様の元で育つのは不憫だから…と、ご自身が手元で育てるとの申し出がありましたが、尼御前はそれを嫌い、しばらくは会わせられたりもしてたのですが、やがてアーサー様が5歳の頃にアーサー様を連れてご自身の兄上の僧房へと身を隠される事にしたのでございます」

淡々と告げるキクにアントーニョの表情は歪んでいく。


「恐ろしいモンて何?
エンリケはずっと母を亡くした俺を可愛がって育ててくれたんやで?!
めっちゃ情が深くて優しいヤツや」

あの冷たいように見えた目は自分の勘違い、間違いなのだ、と、思いたい。
だって親がわり、家族だったのだ。
唯一子ども時代の自分を可愛がってくれた相手なのだ。
そう訴えるアントーニョにキクは困ったように眉を寄せた。

「情が深い…優しい方なのかもしれません。
相手が自分を頼りにすがってくる子ども相手なら…。
でも人はずっと子どもではいられませんから…」

キクの言葉にアントーニョはハッとする。

――子どもは…いつか親元を旅立って行くもんやで?
あの時それを口にしたのは自分だ。

そして、それで一気に視線が空気が冷たくなったのは………

「アーサー様のお母様にもとても優しい方だったんです…自分から離れて愛する人を作るまでは…。
アーサー様がずっと被保護者で子どもでいるのならば、良いんでしょう。
でも大人になって愛する人を作る事が出来ないまま一生を終えるようなことを、尼御前はさせたくはなかったんです。
保護者の元でずっと穏やかな春のまま、冬の厳しさも夏の暑さも…そして、不足があるからこそ感じる真の喜びを知ることもなく不自然に作られた子どものまま終える人生を歩ませたくはなかったんです」

「………うん…」

「他にも自分について来ない、実家に残るという選択をした側仕え達は皆、与えた物は着物の一枚まで全て取り上げて解雇したということも、尼御前が心を痛めた要因の1つでもあります。
ですから…どうかお気をつけてください。
今アーサー様がここにいらっしゃるということは、あなたはまさに、付いて行かないという事を選択した元被保護者なのですから…」

「…堪忍…少しだけ待ったって。頭が…気持ちが付いて行かれへん」

まさに全てが寝耳に水、今までの常識が全て根本からひっくり返されたばかりなのだ。
ただただ混乱して頭を抱えるアントーニョ。
その様子にそれまでシャンと背を伸ばして静かに正座していたキクが、スクっと立ち上がった。

そして叫ぶ。

しっかりなさいっ!このマザコンっ!!

「は?」
「へ?」

「あなたは一体エンリケの坊やなんですか?!アーサー様の伴侶なんですか?!
後者だと言うならピシっとしなさいっ!
ああ、もう私に人選を間違ったなどと思わせないで下さいね?!
私の可愛い可愛いアーサー様を託してさしあげたんですよ?!
他の人間関係など全てをかなぐり捨ててもお守りするというのが筋ってものでしょうっ?!
違いますかっ?!サディクさんっ!!

「へ?」
いきなりクルっと振り向いたキクに振られて目を白黒させるサディク。

「…違いますか?」
にこりと迫力のある笑みを浮かべられて、額に汗をかきながら
「はあ…そうでやすねぇ…」
と哀れ蛇に睨まれた蛙状態の中年男は苦い笑いを浮かべて言う。

「キクちゃん、おおきに。ようやっと目ぇ覚めた気ぃするわ。
そうやな。俺が望んで俺が託された俺の伴侶や。俺が守ったらなあかんよな」
よっこいしょ…と、アントーニョは立ち上がった。

「サディク、ちょお宮中に戻るで」
「はあ?」
「会うとかなあかん相手がおるねん」
「了解しやした」

すっかり…とまでは行かないものの、幾分顔色が回復した主人に安堵しつつ、サディクは主人の外出を他に伝えに走って行く。
こうして考えると同時に動くアントーニョの性格が、この時には限りなく悪い方向に向かうのを、アントーニョもサディクも…聡いキクですら予想できず、事態は切迫した方向へとむかっていくのだった。



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